8
残党狩りのことが明かされて以降の旅は、それまでとまったく異なるものとなった。
ひとつには、毒水を仕込む役目が持ち回り制になったことがあった。それまではイワンがほかの四人に黙って毒水を流していたが、タラト・ジャミラでぼくとリツがその役目を引き受けてからは、五人がかわるがわる毒を仕込むようになった。だがトムだけは臆病風に吹かれてなかなか仕込みを行うことができず、そういうときには決まってぼくかイワンが彼の肩に手を置いて、USBメモリを預かった。彼はメモリを手渡すと、ごめん、と言って後ろに下がり、残る四人は青ざめた顔の彼に、いいんだよ、と言うのだった。
そして二つには、毎晩ばか騒ぎが行われるようになったことだ。このことはナイジェリアでの数少ない良い思い出のひとつだった。それまではトラックの荷台に大量のサーバーマシンを乗せるものと思い、誰も嗜好品を買い過ぎることはしなかったが、こたびの任務の本当の目的が残党狩りだと判明して以降、みんなが行く先々の街や基地で酒や煙草といった嗜好品を大量に買いこむようになった。おかげでトラックの荷台はいつもボトルとカートンであふれかえっていて、ぼくらは毎晩酒を浴びるように飲み、肺癌になればいいとばかりに煙草を吸った。特に酷かったのはトムで、彼は飲めない酒と吸えない煙草を無理して味わっては、吐いたりむせたりを繰り返していた。毒を仕込んだことのない彼がどうしていちばん酷い荒れ方をするのかわからなかったが、それでも彼を非難する者はいなかったし、ぼくやリツなどは彼の体たらくを温かい目で見守っていたくらいだった。
ばか騒ぎは当然ながら野宿の夜にも行われ、そうした場合、闇に紛れて現れるゲリラ兵をぼくらは酔っ払った状態で迎え撃たなければならなかった。ぼくらは死ねだとか、殺してやるだとか、そういう言葉を吐き捨てながら引き金を引いた。ときには両手を広げて自ら的になることもあっただろう。だが幸か不幸か、撃たれる者はなかった。いつも敵の死体が転がっているのをみんなで見つめ、誰かが「そろそろ休もう」と言って、その日の宴はお開きとなるのだった。
リツとの関係は、ときに穏やかで、ときに激しかった。
普段の彼女は明るいながらも品よく落ち着いており、羽目を外すようなことはめったになかったと思う。毎夜のばか騒ぎの場でさえ、表向きは浮かれているように振舞っていても、二つの瞳は常に凛として冴えていたし、それに騒ぎの輪から外れて紫煙をくゆらすときなどにはどことなく冷めた顔をしていた。
ぼくは彼女が輪から離れると、たいていそのあとを追いかけ、二人で誰にも気づかれない場所を探しにいった。それが野宿の日の場合、行き先は近くの岩場の陰であることが多かったと思う。そうした二人だけになれる場所を見つけては、そこでぼくらは煙草を吸ったり、口づけをしたりした。ゆったりとしていて、幸福に満ち、いつまでも続けばいいと思えるような時間だった。でもそういう時間は、たいていの幸せがそうであるように、あまり長くは続かなかった。闇に紛れて襲ってくる者たちがいたからだ。
闇夜に響く銃声が、彼らのやってきた合図だった。その音が聴こえると、ぼくはリツを見て微笑み、それから戦いに出ようとした。だがぼくの微笑みに彼女が笑顔で応えてくれることはなく、かわりに親兄弟と別れる子どもがするような、不安と怯えに満ちた表情を浮かべるのだった。その顔をされると、ぼくは岩場の陰のなかに戻り、彼女に口づけをしなければならなかった。ときにはそれだけでは足りず、愛しているなどといった囁きまで必要なこともあった。そこまでしてあげて、一時的にでも彼女の気持ちが安らいだのを確認したらようやく戦いに出ることが許されたのだが、実際のところ、彼女の表情はすぐにもとの暗いものに戻っていただろう。ふたたび後ろを振り返って確認したわけではないけれど、きっと、そうだと思う。
と、ここまでは野宿の日のことで、基地や街で夜を越すときには、ぼくらの関係性はまったく異なる様相を呈した。セックスの時間があったからだ。
現代におけるセックス、つまり補助コンピューターを持つ者どうしのセックスは、悟りの境地を共有するための行為とされている。自らの性欲を可能な限り押し殺すこと。パートナーの性欲の
しかしナイジェリアで、ぼくとリツはそれらの制約のほとんどを破り、野蛮なセックスに耽った。いや、正確には、ぼくが制約を守ろうとするのをリツが許さなかったのだ。セックスの最中、彼女は昂り、乱れ、そして求めた。彼女の言動のひとつひとつに、ぼくの悟りを打ち砕こうという強い意思が感じられた。それに対してぼくは初めこそ制約を意識して振舞うよう努めたが、しかし最終的には彼女の感情の波に呑みこまれ、自分から進んで彼女を求めるようになっていた。そうしてぼくの悟りが崩れ去ったのを確信すると、決まって彼女は言うのだ。殺してくれ、と。
「殺して……私を殺して……」
彼女はその言葉を繰り返しながら、ぼくの背中に爪を立てた。殺して。殺して。殺して。彼女は苦悶に顔を歪めながら言い、そういうとき、ぼくには彼女の唇を塞いで無理やりに黙らせるほかに方法がなかった。知の恒常性プログラムの恩恵を受けているはずの彼女が、どうしてここまで荒れるのかと考えながら……。しかし彼女はぼくを押し返してふたたび死の呪文を言い放ち、それをまたぼくが口づけによってやめさせた。その応酬を続けていると、まるで心の奥底にある闇を、自分でも気づかぬ黒い願望を、彼女の手によってえぐり出されているかのような気がしてくるのだった。殺してと言っているのは彼女だが、本当に殺してほしいと思っているのはぼくではないのか。誰が誰を殺せばよいのか。誰が誰に殺されればよいのか。彼女は誰を殺し、ぼくは誰を殺すのか。誰が彼女を殺し、誰がぼくを殺してくれるのか。
死はどこにあるのか……。
たぶんこのころのぼくらにとってセックスという行為は、前時代の少なからぬ人々にとってそうであったように、生の実感を得るためのものではなかったかと思う。二人とも罪を背負っていて、その罪から解放されるために死を望んでいた。だからこそこうして、まだ生きていることを、まだ死んでないことを確かめ合わなければならなかったのだ。
すべてのことが終わり、激しさの余韻に浸っているとき、ぼくは隣でぐったりと横になっているリツの姿をぼんやりと見つめた。夜の砂漠で撃ち殺した者たちもこんなふうに倒れていて、彼らの吹き飛ばされた頭蓋の中身をかき集めると、一個の完全な脳ができあがる。ぼくらは違う。ぼくらは脳の一部を切除して、そこに金属の塊を埋めこんでいる。でも、ぼくらと彼らの間にあるのは、たったそれだけの違いだ。なのに、彼らはその違いのために死ななければならないのか。そんなことを考えながら、ぼくはいつもリツの隣で泥のように眠るのだった。
殺しの旅も後半になってくると、明るいものへと変わっていった。サヘル中部を抜けるころにはトムも毒を盛れるようになったし、全員が残党狩りによる罪悪感にも慣れてきた。それから、西部の砂漠のまんなかでようやく一台のサーバーマシンを見つけることができた。砂のなかから打ち捨てられたマシンが顔を出しているのを、リツが見つけたのだ。マシン自体は内部にまで砂が入りこんでいて使い物にならなかったが、ぼくらにとってはマシンを見つけられたという事実そのものが喜ばしきことであり、それからしばらくは壊れたマシンを肴に五人で酒を飲むほどだった。特にトムのいれこみようといったらなく、酔っ払うとよくマシンを抱きしめて眠りに落ちたし、自らの手で毒を盛った日の夜には、ずいぶん長いことひとりでマシンを眺めていた。
酒を飲み、煙草を吸い、銃を撃ち、そして毒を盛りながら、ぼくらは砂漠を横断した。ときには訪れた街で気の合う仲間を見つけ、夜通し語り合うこともあったが、翌朝にはそんな彼らにも毒を盛った。ぼくらの足跡を死神がたどり、その死神に追いつかれぬようぼくらは車を飛ばして進んだ。トラックの荷台にはいつも酒と煙草を積みこんで、陽気な歌をうたいながら。みんな幸福で、不幸だった。晩にはばか騒ぎを起こし、トムが飲みすぎて吐くのをみんなで笑ったし、セックスのときには、リツはやっぱり「殺して」と言い続けた。みんなどうかしていた。どうかしていて、健全で、正常だった。
旅に出てからちょうど一年。最後の街を出て西の端の基地に到着したところで、ぼくらの『サーバー回収任務』は終わりを告げた。来た道を振り返れば死の轍がどこまでも続いていて、やっぱりこの旅は暗いものだったのだなと思い知らされた。
みんな死んだ。ぼくらが殺した。残ったのは酒と煙草と壊れたサーバー、それから数えきれないほどの死体の山だった。
病院から自分の部屋に戻ると、リクライニングチェアに身体を預け、溜め息をつく。
疲れが身体を鈍く、重たくさせていた。それはリツを抱いたあとに味わった感覚にも似ており、ぼくにまたナイジェリアでのできごとを思い出させた。
あのときの二人は、同じ種類の罪と孤独を共有し、きっと同じ種類の罰を望んでいたのだと思う。しかし望む罰を得られず、罪ばかりを重ねてゆくだけの旅だった。その旅の記憶から逃れたくて、ぼくは彼女のもとを去った。
そう。ぼくは逃げたのだ。彼女のさらけだす闇から、苦しみから、欲望から、そして人を愛するおそろしさから……。
リツの死の知らせが届いたのは三日後のことだった。ぼくは毎日病室を訪ねたけれど、最後まで入室を許してはもらえなかった。
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