7
移動手段には兵装つきの通信車と幌つきのトラックが用いられた。砂漠の砂に馴染むよう黄土色に塗装された二台の車を、五人でかわるがわる運転し、街から街へ移動してゆく。トラックの荷台には各地で回収した放置サーバーを収容する予定……であったが、任務開始からすでに一ヶ月が経過し、十以上の街を巡った時点で回収されたサーバーマシンは一台もなく、五人の間にも重々しい空気が流れ始めていた。特に今回が機構に入って初めての任務であったトムは、行く先々で肩透かしをくらうものだから、行き先はこの街で正しかったのか、そもそも放置サーバーは本当にあるのかといった疑問をよく口にした。
「機構は本気でおれたちにサーバー回収をさせるつもりなのか」
砂漠地帯の東部の街をすべて回り、機構の第五基地にたどり着いた夜のことだった。夕食後、イワンを除く四人で雑談をしている最中に、トムの不安と不満がついに爆発した。
「本当は別の目的があるんじゃないのか」
その問いかけに答える者はいなかった。トムを除く三人は答えるかわりに、互いに目を合わせバツの悪そうな顔をした。トムが口にしている疑問は当然ほかの三人も抱いており、もっと言うならば、三人はその疑問に対する答えにうすうす感づいてもいた。しかしその答えを言葉にするのがためらわれるため、互いに視線を交わし、沈黙が正解であることを示し合わせるしかなかったのだ。
結局その場はトムがひとしきり癇癪を起こしただけでおさまったが、ぼくの胸のうちには黒い不安のもやがかかったままであり、その不安はやがて現実のものとなるであろうという予感めいたものがあった。
エマがトムをなだめながら部屋を出てゆき、ぼくとリツの二人だけが残された。
「あのトムって子、新人なんでしょう。きっとなにも知らないのね」隣に座っていたリツは、そう言ってこちらを見た。「あなたにもああいう時期があった?」
「機構に入ったばかりのころにはね。夢と希望にあふれているというか、正義というものの存在を信じていた。ガダルカナルに放りこまれて、なにもかも変わってしまったけれど」
「私もそう。夢も希望も、すべてパリで打ちのめされた」
リツは立ち上がった。
「メンテナンス室に行きましょうか。あなたのコンピューターを診てあげる」
彼女に連れられ、ぼくは初めてメンテナンス室という場所に足を踏み入れた。小さな施術台がひとつと、まわりにはたくさんの機械が置かれており、その光景は病院の集中治療室を彷彿とさせた。
施術台に横になり、傍らの椅子に座る彼女を見上げると、彼女もこちらを向いて微笑んだ。
「もしかして緊張してる?」
「緊張してるってわけじゃあ……」ぼくはそこで言葉に詰まり、やがて苦笑いを浮かべた。「いや、そうだな。緊張してるのかもしれない」
「大丈夫よ。痛くも辛くもないから」リツはコンピューターコンソールを操作しながら言った。「パスワードを教えてくれる?」
彼女に促され、ぼくは自身のコンピューターのパスワードを開示した。本当ならパスワードを教える相手はよく選ばなければならないのだが、このときのぼくは彼女にならそれを教えてもかまわないだろうと、とくにわけもなくそう思っていた。彼女はそのパスワードを入力し、ぼくの脳内へとアクセスした。
「最近、補助コンピューターの動作にかんして気になるところはない?」
「気になるところというか、ここ数日、戦闘中に意識が飛びそうになることが何度かあった。身体が疲れているだけかもしれないけれど」
この日のように機構の拠点や緑化都市にたどり着けたならば部屋とベッドと安全を手に入れられるが、そうでない日は砂漠のまんなかで野宿をしなければならなかった。野宿の夜は緊張感に満ちていた。闇に紛れて忍び寄るゲリラ兵に注意を払わねばならなかったからだ。そして現に彼らは、毎度のようにやってきた。厚手の布で目元以外の顔全体を覆い隠し、くぐもった声で知らない言語を話す彼らは、ぼくらの目には悪魔か死神のように映った。幸いにして彼らの戦闘能力はさほど高くはなかったものの、やられてもやられても次の夜にはまた現れるため、相手をするこちらの心身には応えた。
先般のトムの癇癪には、おそらくこのことも関係していたのだろう。行けども行けどもサーバーは見つからず、そのうえ次々とわいて出てくるゲリラ兵を迎え撃たなければならないのだから。
「コンピューターと脳の接続回路に不良が生じているのね。待っていて。接続回路を改造してあげる」
リツの指が軽やかな動きでキーボードを叩く様子を、ぼくは黙って見つめた。彼女の言うとおり、頭に痛みはなく、かわりにうつらうつらしているときのような心地よさがあった。やがて視線を白魚のような指から上げてゆくと、細い腕とほどよく膨らんだ胸、滑らかそうな首筋、それから切なげな彼女の顔が目に入った。口をきゅっと結び、悲しみを乗せた重たい睫毛を静かに上下させる彼女の横顔はあまりにメランコリックで、魅力的だった。
このとき、ぼくはすでに彼女を異性として強く意識し始めていた。その気持ちの半分は自然に発生したものだが、もう半分はおそらく彼女の手によって形づくられたものと思われた。彼女はしばしば思わせぶりな、もっと言えば誘うような言動をし、ぼくの心を揺さぶってきた。そしてその誘惑に対し、この心は知の恒常性プログラムの許す範囲で非常に素直な反応を示したのだ。
すると彼女はふいに手を休め、こちらを向いて微笑んだ。それは母親が子どもの粗相を許すときに浮かべるような、優しさと少しばかりの困惑に彩られた笑みであり、それを見た瞬間、ぼくは自分の思考がメンテナンス用の機器を通じて彼女に筒抜けであることに気づいた。まさか、ついさっき彼女に対して抱いていた感情までも? ぼくは恥ずかしさにたえきれず、リツから目をそらした。だが彼女はそんな態度に対してもなにも言わずにキーボードを叩き始め、その無関心さはぼくの気分をいくらか楽にさせた。
「トムも大変ね。初めての遠征任務が、こんな砂漠のどまんなかだなんて」リツは言った。「でも、あなたの初めてはもっと大変だったでしょう。ガダルカナルは誰も行きたがらないところだから」
「戦場や紛争地域なんてものはどこでも一緒さ。きみこそどうなんだ? パリでは違法アンドロイドの回収を行っていたという話だったけれど」
「表向きはね。でも実際には、もっと別のことをやらされていた。あなたがガダルカナルでやっていたのと同じ、残党狩りよ」
残党狩り。それは上級倫理官たちの間でしばしば交わされる隠語であったが、使われ方といえば、今度の遠征任務は残党狩りらしい、残党狩りだけはご免だという具合で、その言葉が誰かの口から出てくると、場の空気は重たくなるのだった。ぼくはその残党狩りというものの存在をガダルカナルで初めて知り、そして初めて実践した。それは自分自身のなかにあった正しさの定義が崩れ去った瞬間でもあった。
「ここでも同じことをやらなきゃならないのかしら」
リツはそう言って、自分の右手をぼくの左手に重ねた。その手は想像していたよりもずっと温かく、そして柔らかかった。
彼女のほうを見ると、救いを求めるような眼差しがこちらに向けられていた。ぼくは答えるかわりに彼女の手を強く握りしめた。ただ、ぼくもきみと同じ気持ちだということを伝えたかった。
リツはほっと溜め息をつくと、ぼくの手を握り返した。そうして補助コンピューターの改造が終了してからも、二人は長いこと手を繋いだままでいた。
第五基地を出発して二日後、タラト・ジャミラという街に到着した。サヘル地域の中部に位置するその街は小高い砂丘の上につくられており、街の北端の広場からは広大なサハラ砂漠が一望できた。もちろんそれは見渡す限り砂の海という光景ではあったが、日差しを受けてきらめく黄金色の海は眩しく、心に抱えている不安ごとぼくを包みこんでくれるような懐の深さを感じさせた。
そして街の南端には住民たちの生命線である、時代遅れの緑化設備があった。
まず昼食をとってから放置サーバーの捜索を行おうという話になり、ぼくらは街の大通りに並ぶ店の一つに入った。店は三十平米ほどの広さで、一行は隅のテーブルに案内された。第五基地での一件の影響なのか、五人の間には気まずさがあり、料理を待っているときも、出された料理を食べているときも、誰もなにも話さなかった。とりわけイワンとトムは深刻な面持ちで、淡々と料理を口へ運んでいた。トムのほうは自分のせいで空気が悪くなってしまったことに対する単純な罪悪感のようだったが、イワンのほうは違った。彼はトムが癇癪を起こしたことなど知らないはずだし、それになんとなくではあるが、彼の持つ深刻さの裏には複雑なわけがあるような気がしてならなかった。いつも感情を表に出さない彼が、今日に限ってこうもわかりやすい顔をするということは、もしやなにか重大なことを打ち明ける算段ではあるまいか。そんな根拠のない考えがぼくの頭に浮かんでおり、実際、それは起こったのだった。
昼食を終え、店を出たぼくらがサーバー捜索作業の準備を始めていると、イワンが咳ばらいを一つしてから言った。
「今日は放置サーバーの捜索は行わない」
「どうして。昼食のあとに捜索を行うって話だったじゃないか」
トムが食ってかかるように言った。
「いいや、捜索は行わない。おれたちには別にやらなければならないことがある」
その言葉を聴いた瞬間、ぼくは、時が来たのだと直感した。また、リツとエマも同様の考えに至ったようで、三名は互いに視線を交わし、互いの予想が間違っていないであろうことを確かめ合った。
唯一、トムだけが得心の行かぬ様子で訊ねた。
「やらなければならないことって、なんだよ?」
「それをいまから教えてやる。ついて来い」
イワンの先導により、一行は大通りを緑化設備のほうへと進んでいった。その間、ぼくは雲一つない空を見上げていた。機構のイメージカラーと同じ水色の空は、『健全かつ正常』という言葉を思い出させた。しかし緑化設備に近づくにつれ、不安が現実味を帯び、健全かつ正常な心はみるみる損なわれていった。
緑化設備はドーム状の巨大な建物のなかにつくられており、立ち入りを許可されているのは国連の派遣した技術者か、もしくは上級倫理官に限られていた。
指紋認証を済ませてドーム内部に入ると、一面に麦畑が広がっていた。ドームの屋根は外側から見ると白色であるが、なかからは青空が透けて見えるようになっており、たわわに実った麦の群れは外の砂漠と同じように日の光を受けて金色に輝いていた。
ドームの中央には五メートルほどの高さを持つ制御盤があり、これがドーム内の食物の種まきから栽培までのすべての工程を管理していた。この盤の指示により、アンドロイドが土を耕し、種をまき、地中の栄養補給管から水と肥料が供給され、実りのころになればアンドロイドが収穫を行った。この街の人々の食料はこうして、すべて無人のまま行われていた。
イワンは盤の前に立つと、戦闘服の胸ポケットからUSBメモリを取り出した。
「こいつをこの制御盤に接続する。たったそれだけの、簡単なお仕事だ」
「接続して、そのあとは?」
トムが訊いた。
「このメモリのなかには機構が独自につくり出したウイルスが入っている。そいつが制御盤のなかで悪さをすると、栄養補給管から毒水が供給されるようになる。動植物に影響はないが、人が少量でも摂取すれば確実に死ぬ。つまりこの街の人間は知らぬ間に毒を盛られて殺される。殺すのはおれたちだ」
「待ってくれ。いったいどういうことなんだ。おれたちの任務は放置サーバーの回収だろう。それなのにどうして、なんの罪もないこの街の人たちを殺さなければならないんだ」
「残党狩りだよ」トムの隣にいたエマが答えた。「そうでしょう、イワン?」
イワンは黙って頷いた。エマは、今度はぼくとリツのほうを振り向いた。
「あんたたちもうすうす感づいていたんだよね?」
「そうだな」ぼくは前に出て、トムの肩に手を置いた。「ぼくたち上級倫理官の主な仕事は、放置サーバーと違法アンドロイドの回収だ。でも、それだけじゃない」
「残党狩りって、なんだ?」
「ぼくらの世界はいま、限界を迎えつつある。データの水が、サーバーの器からあふれかえるときは近い。それを防ぐためには、器の数を増やし、かつ水の量を減らさなければならないんだ。器の数を増やすために行うのが通常の任務。水の量を減らすために行うのが残党狩りさ。あらゆるデータは人間によって生み出される。だから人間の数を減らせば、生み出されるデータの量も減る。この世界には、魂の間引きが必要なんだ。そしてこういうことがシステム化された場合、間引かれるのは常に弱い立場の人間だ。たとえば、補助コンピューターを拒む少数派の人たちのような……だから、残党狩りなんだ……」
トムは黙って話を聞いていた。怒るわけでも戸惑うわけでもなく、ただ口をきゅっと結んで、少し泣きそうな顔で。
長い沈黙のあと、トムが口を開いた。
「あんたはこれまで回ってきた街でも、同じことをしていたのか」
「そうだ」イワンは答えた。「これまでに訪ねた街でも、おれはこうやって毒を仕込んだ。いや、おれだけじゃない。コウもリツも、そしてエマも、かつて別の場所で残党狩りをやってきたはずだ。みんな残党狩りのことを知っていた。知っていたのに、お前には話さなかった。すまなかった」
イワンがUSBメモリを制御盤に接続しようとするのを、ぼくは止めた。
「ぼくがやる」
「いいんだ。これまでひとりでやってきたことだ」
「お願いだ。やらせてくれ」
するとイワンは深い溜め息をついてからメモリをぼくに手渡した。
「私も手伝うわ」リツは制御盤のキーボードの前に立った。「あなたじゃこれを操作できないでしょうから」
「すまない」
ぼくはリツに笑いかけ、USBメモリを制御盤の挿入口に差しこんだ。数秒の間を置いてディスプレイにウインドウが表示され、リツがキーボードを操作すると、すぐに『プログラムの実行完了』という文字が表示された。これですべては終了。あまりにあっけなかった。
栄養補給管にはすでに毒の水が流れ始めているだろう。そしてこれを食べた人間は死んでゆく。魂が、間引かれてゆくのだ。
ドームの壁に開けられた通風口から渇いた風が吹きこみ、黄金色の穂がさわさわと波を打つ。ぼくとリツはその光景を見ながら、互いの手を強く握った。
ぼくがリツと結ばれたのは、それからすぐあとのことだった。どちらから言い寄ったということもなかった。もしもこの世界に二人の男女しか存在しないならば、二人はどちらからともなく寄り添い、愛を育むだろう。そういうふうにして、ぼくらは互いを愛し始めた。
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