コラージュの土地。


 ナイジェリアは現代の人々の間でそう呼ばれていた。様々な新聞や雑誌の切れ端が無秩序に貼られてゆくように、様々な民族や思想が集まりひしめきあって、緊迫感に満ちた均衡を保ち続けている、アフリカの火薬庫。それがナイジェリアであった。


 しかしながら、補助コンピューターが世に普及して世界宗教という言葉が死語になってから、この国における争いごとは補助コンピューター賛成派と反対派という対立の構図におおむね収まるようになっていた。あるいは、機械がもたらす個人的宗教を信仰する者と、歴史がもたらす世界宗教を信仰する者との対立と言い換えてもいい。生まれながらに悟りを開くことを望むか、ムイの言う魂の触れ合いを感じつつ迷い続けることを望むか、その選択の差がこの地に新たな争いのコラージュをつくりあげていった。


 北部のサヘル地域はもとは北の砂漠地帯と南のサバンナとの中間にあたる半乾燥帯であったが、前世紀より進行していた砂漠化の影響で草の根も這わぬ死の土地となっていた。しかしそれでも人の営みがまったくなくなったというわけではなく、砂漠のなかに点在する都市には、百年以上も前に国連によりつくられた旧式の緑化設備を用いて作物を栽培しながら、細々と暮らしている者たちの姿があった。彼らは砂漠化以前のサヘルに住んでいた人々の末裔で、望んでこの地に縛られる者たちだった。補助コンピューターを受け入れずに前時代的な宗教に基づく集団を形成する彼らは、自分たちの神へ祈りを捧げながら、死の土地にひっそりと歴史の根を張っていた。


 そのサヘルの砂漠の東端にある技術保全機構ナイジェリア第二基地にぼくは配属された。初めての長期任務を終えた直後のことだった。ガダルカナル島で行われたその任務には、正直なところ、辛い思い出しかなかった。人を殺し、仲間を殺され、伝染病に侵され、眠れぬ夜を過ごす。その繰り返しの二年間だった。任務が終わるころには身体も心もすっかり疲れ切ってしまっており、また、湿気の多いガダルカナルの気候にうんざりしていた。ゆえに初めてサヘルの地に立ったときに吸いこんだ渇いた空気と、一面に広がる砂漠の景色は、ぼくの心をいくぶんか軽くしてくれた。


 ナイジェリアでの任務は、サヘル地域に点在する都市を訪れ、放置されたサーバーマシンを回収するというものだった。街から街へ、流浪の民のようにさすらい続けるこの任務は、一年をかけて砂漠を東から西へ横断する長旅であった。途中、補助コンピューター反対派の武装組織との交戦が予想されたが、それでもぼくの胸は、出発前の段階では期待に膨らんでいた。初めての土地で初めての景色を見る。それだけで人間の心は新鮮さを取り戻し、豊かになってゆくものと思われた。


 任務遂行にあたっては五人の上級倫理官が選抜された。出発時のメンバーはぼくと強面の隊長イワン、ブロンドヘアのエマ、そして弱虫のトムの四人。東側の街をいくつか回ったあと、第三基地にて五人目のメンバーである往生リツと合流する手筈となっていた。




 第三基地でリツと初めて会ったとき、彼女に対して抱いたのは、倫理官らしからぬ女という印象だった。ぼくらより一日遅れて支部にやってきた彼女は、ストライプのブラウスにホワイトデニム、そしてベージュのトレンチコートという出で立ちで、大きめのサングラスをかけ、大きな革のトランクケースを持っていた。その恰好は言うなればパリジェンヌ気取りで、きけば以前はパリで違法アンドロイドの回収任務に就いていたという。このナイジェリアに来てからすでにいくつかの街を巡って持たざる者たちの棲み処を訪ね、夜の砂漠で補助コンピューター反対派と思われる武装集団との戦闘も経験したぼくは、この場違いな格好の女に少なからぬ苛立ちを感じていた。ガダルカナルでの過酷な日々を生き抜いたことでこのころのぼくには戦士としての矜持のようなものが芽生えていて、それがリツの恰好を戦士に対する冒涜であるかのように見せていたのだった。


 寄宿舎へ向かう廊下で、彼女はサングラスを外し、


「夜の砂漠は寒いと聞いていたけれど、まさかここまでとは思わなかったわ」


 彼女はふいに立ち止まって、窓の向こうに広がる闇とそのなかにぼんやりと光を放っている砂の海を見つめた。


「どこにいたって夜は寒い」ぼくは彼女の少し前方で立ち止まり、振り返った。「パリでもそうだったろう?」


 するとリツはこちらを向き、そうね、と呟いた。そのとき、これまでサングラスに隠されていた彼女の瞳を初めて見たぼくは、驚きに息を呑んだ。彼女の瞳は夜の砂漠よりもなお冷たく渇いており、寂しげな輝きを放っていた。そこにさきほどまでの浮ついたパリジェンヌ気取りの面影はなかった。いまになって思えば、このときぼくは恋に落ちてしまったのかもしれない。そうでなくとも、その瞳の輝きを目にした瞬間に、彼女もまた心のなかに闇を抱えているのだということがわかり、ぼくのなかで彼女に対する強い親近感が芽生えたのは確かだった。


 これがぼくとリツとの出会いであった。そしてこのあと、辛い長旅を通じて二人は愛し合い、傷を舐め合い、その上に傷つけ合ってゆくことになる。

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