一週間の休養期間を経て退院したぼくは、すぐさま技術保全機構本部へと呼び出された。ひさびさに着る制服は身体をきつくしめつけ、まだ寝ぼけたままの脳を引きしめてくれた。やっと自分のいるべき場所に戻ってこられた。そんな気分だった。


 第一特殊調査室を訪ねると、布施ゼン室長と往生リツの姿がすでにあった。


「来たか」布施室長がぼくの姿を認め、言った。「長い休暇はどうだった?」

「おかげさまで、ぐっすり・・・・眠れましたよ」

「それはよかった」


 室長は笑いながら言い、それから分厚い資料を引っ張り出した。なにかの報告書のようだ。


「これは今回発生した一連の事件に関するレポートだ。内容を要約すると、おまえが研究所の地下サーバー室でデータ化された死者の人格を発見し、それとほぼ時を同じくして世界じゅうでアンドロイドたちが暴れ始めたってところだな」

「そしてそのアンドロイドたちのなかにはやはり死者の人格が存在しており、彼らは自らを転生者と呼んでいる。そんな話でしたね」

「違うわ」リツが会話に割って入る。「サーバーやアンドロイドの内部に保存されているのは単なる死者の人格ではない。魂なのよ」

「魂、だって?」


 リツは頷いた。


「そう。暴徒と化したアンドロイドたちには生前の記憶があるの。だから彼らは自分たちにゆかりある地のアンドロイドを選び、操作している。それだけじゃない。彼らが自らの遺した家族に会いに行ったり、かねてより恨みを持っていた相手を襲ったりしているという報告もある。転生者たちは単なる人格だけではなく、記憶や感情さえも引き継いでいるのよ」

「だから人格ではなく魂か」ぼくは近くの椅子に腰を下ろした。「その表現の適否を問うには魂とはなにかという議論から始めなければならないが……とにかく転生者たちは自らの人格だけでなく、記憶やそのほかもろもろの要素まで再現しているという。その事実を表現する語としての魂ということならば、確かにそのとおりだと思う。しかし問題なのはどうしてこのような事態が引き起こされたのかということだ。まさかぼくたちが行った調査が原因という可能性は?」

「その可能性は低い」布施室長が答えた。「パリで最初の転生者が確認されたのは、われわれの調査の開始時刻よりも少しだけ前だったからな」

「なるほど。しかし彼らは本当に死者の生まれかわりなのでしょうか。たとえば新種のコンピューターウイルスを用いたテロの可能性は?」


 その質問に布施室長は首を横に振った。


「あり得ないな。テロならばアンドロイドの脳内サーバーにクラッキングを仕掛け、システムを乗っ取るだけでいい。死者の個人情報を再現するなんて高度かつ無意味な方法をとる必要性がないよ。それにこれほどまで多くの人間の人格や記憶を再現するウイルスやプログラムなど、現代の技術をもってしても不可能だ」

「では、やはりアンドロイドを操っているのは本物の死者の魂……。しかし、人間の魂がデータ化されるなんてことが本当に起こり得るのか」


 ぼくはリツと目を合わせる。


「わからないわ。でも、あり得ないとも言い切れない、というのが私の考え。たとえば、私たちはほとんどの記憶を脳から補助コンピューターへ移し替えているでしょう。それが可能なくらい、人間の脳と補助コンピューターとのあいだにある敷居は低いのよ。だったら、私たちの意識をコンピューターへ移し替えることができないなんていう道理はないわ」


 リツの言葉には独特な重みと説得力があった。たしかに脳とコンピューターとの距離はぼくらが思っている以上に近いであろうし、それに記憶と意識は完全に独立したものではなく、複雑に絡み合っているものだ。ならばその片方、たとえば記憶を脳から補助コンピューターに移動させたとしたら、意識もまた脳から切り離されてしまうかもしれない。つまりいまこうして働いているぼくの思考は、すべて補助コンピューター内部で行われているかもしれない。そんな可能性も一笑に付すことはできない。


 そのとき、ふいに六道ムイのことが思い出された。いや、正確には、彼女がかつて投げかけてきた問いかけのことが思い出されたのだ。ねえ、あなたは自分の意識の存在を信じている? もしかすると、あの問いにはぼくが思っているよりもずっと多くの意味や可能性が内包されていたのかもしれないという考えが脳裏をよぎる。


 そこで、布施室長が話の流れを変えようと口を開いた。


「転生だとか魂だとかいう言葉が出てくると、どうしても話が哲学の方向へ進んでしまうからかなわん。結局のところ、現時点でわかっていることは三つ。一つ目は、アンドロイドたちを操っているのはデータ化された死者の魂だということ。二つ目は、その死者たちは自らを転生者と名乗っているということ。そして三つ目は、転生者たちがサーバーの破壊から殺人までありとあらゆる犯罪を行っているということ。気になるのはデータ化された魂がどこから発生したのかということだが、そのあたりについてはなにかわかっているのか、往生?」

「データ化された魂の出処については未だ特定されていません。ですが個人的には、死者の魂はとつぜん大量発生したものではなく、以前からネット上に存在していたのではないかと考えています」

「以前から存在していた、とは?」


 布施室長が怪訝そうな顔をする。


「こんにちサーバーの容量不足は世界規模で生じており、今世紀中にありとあらゆるサーバーは食べ尽くされると言われています。しかし、実はネット上に存在するデータの約八割は詳細不明のブラックボックスなんです。このブラックボックスのなかに死者の魂があったとしても不思議ではないでしょう」

「フム」布施室長は半信半疑といった様子で唸った。「転生者たちの発生前後の、ネット上のデータ総容量はわかるか」

「すでに調査済みですが、データ総容量に特段の変化は見られませんでした」

「そうすると、いよいよお前の推測が正しい気がしてきたな」


 室長とリツの話を聞きながら、ぼくはまだムイのことを考えていた。今度は死を目前にした彼女が遺した言葉、彼女との約束のことが思い出されたのだ。生まれかわった私を探して。その言葉と、それを口にした彼女の、諦めと少しばかりの恐怖のまじった笑みが、頭から離れない。


 もしかすると彼女の魂もデータ化されて、どこかのアンドロイドに転生しているかもしれない。そんな馬鹿げた妄想が郷愁を誘う。


 すると、とつぜんデスクの固定電話がけたたましく鳴り、布施室長が受話器を取る。いくつかの受け答えをして通話を終えた彼は、しかつめらしい顔でぼくとリツを見た。


「緊急出動要請だ。二番街の新次元機工社東京本社ビルにて、転生者たちによる暴動が発生。奴らはビル内のサーバーを片っ端から壊して回っているとのことだ。二人とも現場へ急行し、転生者たちを制圧せよ」

「承知しました」


 ぼくとリツは敬礼し、駆け足で部屋をあとにする。


 いまは余計なことを考えている場合ではない。健全かつ正常な心で、目の前の問題に取り組まねば。ぼくはそう自分に言い聞かせ、六道ムイの面影を補助コンピューターの隅へと押しこめた。


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