一日が二十四時間では足りない。そんなことを言った人間が大昔にいたという。その言葉を初めて聞いたとき、ぼくはなるほどそのとおりだと感心せずにはいられなかった。万物は有限だ。たとえそれがどんなに無限であると思われても、この世に限りないものなどひとつとして存在しない。そのことを昔の人たちはよく理解していたのだ。


 前世紀の初頭に急速な発展を遂げたネットワーク技術は、世界の総ネット社会化を百年足らずで実現させた。いまや世界の人口五十億人のおよそ九十五パーセントが頭のなかに小型の補助コンピューターを埋めこみ、常時ネットに接続された状態で暮らす時代となった。また、スーパーコンピューターの小型化および高性能化、クラウド技術の発展等も手伝って、世のなかのありとあらゆるシステムはネットに依存するようになり、今世紀に入って人類はいよいよネットなしでは生きてゆけぬ身となっていった。


 と、ここまでは物質的な面だけの話で、実は人の精神的な面に対してもネットは多大な影響を及ぼしている。たとえばぼくの補助コンピューターには『知の恒常性プログラム』が組みこまれており、体内で生じる過度の感情の高ぶりを自動制御してくれる。強い悲しみには強い喜びを。強い憎しみには強い愛情を。ホルモン分泌量の調整と無意識裡の催眠とを用いたメンタルケアによる、苦しみや悲しみのない社会の実現。このおかげで、人はゆりかごから墓場まで微笑みだけを浮かべて歩けるようになった。


 いまやネットは、社会や人の肉体と言った物質世界のみならず、精神世界にまで手を広げている。そしてその大きな手が人類にもたらす恩恵は計り知れない。ゆえにぼくらは思いこんでしまうのだ。ネットの力は絶対であり、見えざる手は無限の広がりを続けてゆくのだと。そして、ネットの安全神話は永遠に続くものなのだと。


 しかし今世紀も半ばにさしかかったいま、五十億総ネットワーク社会は一つの大きな問題を抱えていた。それが、世界規模の容量不足である。


 社会を動かすシステムや人間の感情さえもネットと繋がっているいま、ネットワーク上では日々膨大な量のデータが生み出されている。しかし、生み出されるデータの器となるサーバーやその他記憶媒体の総容量が圧倒的に不足しているのだ。昨年行われた調査では、世界じゅうに存在する記憶媒体の総容量の八割がすでに消費されており、残る二割も今世紀じゅうには食い尽くされてしまうという結果が出ている。もしそうなったら世界はどうなってしまうのか。もはや誰にも想像がつかない。


 だがわれわれとて、そうした危機的状況を前に手をこまねいているばかりではない。この容量不足問題の解決のため、国家や民族の枠組みをこえて世界規模での取り組みを行おうとする者たちが存在するのだ。


 その者たちによって組織されたのが、技術保全機構であった。


 ネットワーク技術の運用および発展を妨げるあらゆる事象を排除し、全人類の健全かつ正常な生活を保護する。その基本理念のもと、機構は世界中の放置サーバーのサルベージや、違法利用によって容量を食い潰すアンドロイドの排除を行っている。なかでも倫理官と呼ばれる者たちは、手つかずのサーバーがあると聞けば弾丸飛び交う紛争地域へ赴き、違法改造されたアンドロイドたちがいると知ればマフィアのアジトにも乗りこむという、最も危険な任務を専門に請け負う集団として知られている。


 かくいうぼくも、その倫理官の一人だ。クリーンでヘルシーな社会において、人類の存亡のために命を懸けて戦う、正義の味方。世間はぼくらのことをそんなふうに祭り上げるけれど、ではぼくらのやっていることが本当に世間の役に立っているかと言われれば、返す言葉に困ってしまう。たとえぼくの命と引き換えにアフガニスタンの放置サーバー五百台をサルベージしたとしても、イタリアじゅうのマフィアを違法アンドロイドごと潰して回ったとしても、せいぜい世界の余命を一ヶ月延ばすくらいの成果しか上げられない。それにぼくは、どうして自分が倫理官なんていう大仰な名で呼ばれているのかも、わからないのだ。

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