第3話:隣国で芽吹くもの
「セレスティア様、どうぞこちらへ」
国境の砦を守る兵士たちは、私を敬意を込めた眼差しで迎え入れた。
追放され、国を追われた女に――これほどの態度を取る理由が分からない。
「なぜ……私を待っていたなどと?」
恐る恐る問うと、隊長格の男は静かに微笑んだ。
「我が王弟殿下が、かねてよりあなたにご興味をお持ちだったのです。王妃としての才覚、聡明さ、そして清廉さ。隣国の宮廷にまで噂は届いております」
胸が締め付けられた。
……皮肉だ。祖国では“裏切りの王妃”と蔑まれた私が、別の国では“賢妃”として知られているという。
◇
砦を後にし、馬で半日ほど進むと、視界に城壁が広がった。
隣国アールディアの都、グランセリオ。王国の首都よりも質実でありながら、石造りの建築群は重厚さと誇りを感じさせた。
城門をくぐると、人々のざわめきが耳に飛び込んでくる。
市場の喧噪、馬車の車輪の音、鍛冶場の鉄槌の響き。どれも活気に満ち、どこか懐かしい匂いがした。
「こちらです、セレスティア様」
案内されたのは王城の一角。応接の間には既に一人の青年が待っていた。
長身で、浅黒い肌。切れ長の瞳は油断なく鋭いが、その奥に知性の光が宿る。
「初めまして、セレスティア王妃殿下」
低い声が響く。
「私はアールディア王弟、ジルヴァート。あなたにお会いできる日を心待ちにしておりました」
王弟――つまり、この国の王の弟。
まさか、そんな高貴な人物に直接迎えられるとは思ってもいなかった。
「……私は、祖国から追放された身。王妃の座を奪われた女にすぎません」
「いいえ」
ジルヴァートは即座に否定した。
「あなたは“祖国にとって都合の悪い真実”を知るからこそ追放されたのではありませんか? 我が国は、あなたの力を必要としている」
その言葉に、背筋が震えた。
力――。
冷遇され、誰からも顧みられなかった私に、そんなものが本当にあるのだろうか。
◇
数日のうちに、私は城内に客として迎え入れられた。
豪奢ではないが心地よい部屋、必要最低限ながら質の良い衣服、侍女たちの礼節正しい仕草。
祖国の宮廷での暮らしより、はるかに安らぎを感じる。
だが、安穏と過ごしているわけにはいかなかった。
「セレスティア様、こちらの記録を」
侍女に手渡されたのは、隣国の領地ごとの収穫量や税収の一覧表だった。
どうやら、私が経済や政務に通じていることを聞きつけ、手伝いを求めてきたらしい。
数字を追ううち、私はすぐに気づいた。
「……この南部の村、収穫高が急に落ちています。干ばつの影響でしょうか?」
「はい。しかし役人は『怠慢』として農民に重税を課したのです」
「そんな――!」
祖国と同じ過ちを繰り返している。
権力者が机上の数字だけを見て、弱き者の声を切り捨てる。
「すぐに対策を立てねばなりません」
私は紙に筆を走らせ、救済案を書き上げた。
「備蓄穀物の一部を解放し、労働力を都から回すべきです。農民を罰すれば土地は荒れ、結局は国が損をする」
ジルヴァートに案を渡すと、彼は目を細めて頷いた。
「やはり、あなたは噂以上の方だ。祖国が手放した宝を、我が国は得たのだな」
胸の奥で、何かが静かに芽吹くのを感じた。
私はまだ、終わっていない。
いや、ここから始まるのだ。
◇
その夜。
窓辺に立ち、遠く祖国の方角を見つめる。
あの裁定の場で見せたアランの一瞬の瞳の震えが、脳裏から離れない。
「……本当に、あなたは私を裏切ったのですか」
答えは風にかき消された。
だが、もう迷わない。
私はこの国で、新たな道を歩む。
やがて訪れるであろう再会の時までに、胸を張れる自分であるために。
そう心に誓ったとき、扉を叩く音がした。
「セレスティア様。王弟殿下から伝令です」
「伝令……?」
差し出された書状に記された文字を目にした瞬間、息を呑む。
――祖国が、アールディアに対し宣戦布告した。
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