第4話:戦の影と決意の夜

 「宣戦布告……?」


 書状を握り締める手が震えた。

 封蝋に押された紋章は間違いなく祖国――エルディナ王国のものだ。


 「間違いなく、王国からの正式な通達です」

 伝令の兵が声を低くした。

 「アールディアが王妃を奪い、辱めた。よって国の威信を守るため、開戦する――と」


 喉の奥が焼けるように熱くなる。

 奪われた? 辱められた?

 私が自ら祖国を追われたことは、都合よく書き換えられていた。


 ――これは、陰謀だ。

 私の追放を利用して、隣国との戦を正当化したのだ。


 ◇


 「セレスティア様」

 低い声に振り返ると、王弟ジルヴァートが立っていた。

 その瞳は、決意の色を帯びている。


 「我が国は既に軍を動かす準備を始めています。だが、民の不安を抑えるには――あなたの存在が不可欠だ」

 「私が……?」


 ジルヴァートは静かに頷いた。

 「あなたは、王国に捨てられた王妃。だが民衆には“理不尽に追放された聡明な女性”と映っている。

 戦の大義を示す旗印として、あなたほど相応しい存在はいない」


 旗印。

 祖国に追い立てられた私が、別の国で戦の象徴になるなど――想像すらしたことがなかった。


 「……それは、祖国を敵に回すということです」

 「そうだ。だが、避けられぬ道だ」


 ジルヴァートの声には迷いがなかった。

 その真剣さに、私は胸を突かれる。


 「セレスティア様。あなたは選ばねばならない。

 ――過去の王妃として朽ち果てるか、新たな未来を築くか」


 ◇


 夜。

 私は与えられた部屋で、灯火の前に座り込んでいた。

 過去と未来が、胸の中でせめぎ合う。


 アランの顔が浮かぶ。

 冷酷に私を追放した、あの瞳。

 だが同時に――あの一瞬の震え。


 「……もし、あれが演技ではなかったなら」


 もしも、彼が何かを隠していたのなら。

 もしも、私を守るために嘘をついたのなら。


 そう考えれば、わずかな希望が灯る。

 だが、現実は無情だ。祖国の軍はすでに進軍を始めている。


 迷いを振り払うように、私は立ち上がった。

 机の上に地図を広げ、視線を走らせる。


 「南部の街道を抑えられれば、祖国軍の補給は滞る……」

 無意識に、政務官として培った知識が口を突いて出る。

 「川を堰き止めれば、敵の野営地は泥沼と化す……」


 震えていたはずの手が、いつしか確かな力を帯びていた。


 ◇


 扉を叩く音。

 「入ってください」


 入ってきたのはジルヴァートだった。

 彼は地図に目を落とし、静かに笑った。


 「……やはり、あなたはただの王妃ではない」

 「私は、ただ……祖国と、この国、どちらの民も守りたいだけです」


 その言葉に、ジルヴァートの瞳が柔らかく揺れた。

 「ならば共に戦おう。あなたの知恵と、私の剣で」


 胸の奥に、熱が灯る。

 かつて宮廷で、ただ冷遇され、黙るしかなかった私が――

 今は、自らの声で、未来を選ぼうとしている。


 「……分かりました。私も、この国のために尽くします」


 そう告げた瞬間、長い鎖が外れたような感覚に包まれた。


 ◇


 一方その頃――エルディナ王国王宮。


 玉座の間で、王太子アランは冷ややかに宣戦布告の文を読み上げていた。

 だがその掌には、深く爪が食い込み、血がにじんでいた。


 「……セレスティア。必ず取り戻す」


 誰にも聞こえぬよう、声を押し殺して呟いた。

 その瞳には、氷より冷たい決意と、燃えるような後悔が宿っていた。

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