「急ぐから。ごめん。」

 俺は彼女との会話を早々に切り上げ、急ぎ足で駅に向かった。いつもなら、人通りのない道を選んで二人並んで帰るところなのだけれど、今日は明日美が待っている。人通りも多い近道を選んで進んだ。東さんは、ついてはこない。そういう子なのだ。俺は彼女がそういう子であることに、そういう子であることがくっきりと確認できたことに、安堵に近い感情を覚えた。

 時々、自分には人間関係みたいなものを築くための、余裕も地盤もないと感じることがある。父親の顔は知らず、母親はろくに家に帰らず、最終的には俺を置いて出て行った。そういう経歴が関係しているのかもしれないし、ただ俺がそういう性格なだけなのに、経歴を言い訳にしているだけなのかもしれない。

 適当にうわべだけの付きあいをするのは、むしろ得意な方だと思う。学校でも、バイト先でも、友人と呼べる存在は多い方だ。でも、その友人との関係が深くなろうとすると、俺は一歩引いてしまう。相手が男でも女でも変わらない。恋人に、それが原因で振られたこともある。

 多分、怖いのだ。自分の欠落に触れられることが。その欠落がどこにあって、どんな形をしているのか、そしてそもそも存在しているのかさえ、自分でも分かってはいないくせに。

 東さんなら、と思ったこともある。同じような経歴を持っているのであろう彼女ならば、俺も心を開けるのではないかと。でも、今のところそうはなっていない。結局は俺が、後ずさりをするせいだ。

 電車で一駅。駅から徒歩7分。9歳で引き取られてきたときから馴染んでいるマンションの一室。もう咲子さんはとっくに出かけている時間だから、明日美が一人で時間をつぶしているのだろうリビングに足を踏み入れる。

 明日美。

 声をかけようとして、慌てて口をつぐむ。明日美はリビングテーブルに突っ伏して眠っていた。

 さて、どうしよう。教えてほしいと言っていた勉強は、どれくらい切羽詰った内容なのだろうか。わざわざ起こした方がいいのか、それとも寝かせておいて平気なのか。

 結局俺が明日美を揺り起したのは、彼女がひとりで取り残されるとふてくされる性格だと思いだしたからだった。こどものころからそうだ。一番年下の明日美は、家族会議と言うまでもないちょっとした話し合いの際に、ひとり早く眠ってしまったり、違う部屋で遊んでいたりすることがたまにあった。そういとき、彼女は決まって、盛大にむくれた。

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