明日美がもう、そこまで子どもじゃないことくらい、俺だって分かっている。分かっているけれど、やっぱりそっと、彼女の肩をゆする。

 「明日美。」

 眠りは浅かったようで、すぐに目を覚ました彼女は、眠たげな表情ながらも、俺を見るとぱっと表情を明るくした。

 「悠ちゃん。」

 「ん。勉強。」

 「うん。」

 そのとき俺の胸の中には確かに、東さんへの罪悪感みたいなものがわいていた。それと同時に、自分への嫌悪感もだ。なぜ俺は、先生の家族は幸せそう、と言われたときに、素直に肯定できなかったのか。その理由が東さんへの遠慮だけなら、こんな嫌悪感はわかずに済むのに。

 「悠ちゃん?」

 なんか変だよ、と、明日美が首を傾げる。

 「なんでもないよ。」

 明日美に変だといわれるような、どんな表情をしているのか分からないまま、俺は笑みを繕って、明日美の頭に手を置いた。

 「今日はどこ教えればいい?」

 「えっと、数学。このプリント全然分かんない。」

 「全然か……。」

 テーブルに広げられていたプリントは、基礎的な内容のもので、教えることはそう難しくはない。ただ、これが全然分からないとなると、もう少し遡ってつまずいた部分を洗い出さないといけないかもしれない。

 「うん。ごめんね。」

 明日美が芯から申し訳なさそうな顔をするから、俺は思わず笑ってしまう。塾で担当している生徒たちも、みんなこれくらい殊勝にしていれば俺だってやる気もでる。

 「よし、単元遡って、どこから分かってないのか探そう。明日はバイトないから、徹底的に付き合う。」

 「ありがとう! 悠ちゃんいなかったら、私絶対留年してる!」

 そんなことで絶対とか自信持つなよ、と苦笑しながら俺は、俺がいないのが明日美にとっては当たり前の方の人生だったのだろうな、と思う。子どもの頃に俺がやってきたから、彼女にはきっと、俺が人生に割り込んできたという認識すらない。だからこんなに素直なんだろう。

 明日美のピンク色のペンケースから出した赤ペンを、キャップをしたまま指示棒代わりにプリントに滑らせながら、俺はなんだか、彼女に申し訳ないような、自分の存在自体が誰に対しても申し訳ないみたいな、そんな気分になってくる。こういう気分になることは時々あって、そんなとき俺は、自分の母親を恨む。置き去りにするくらいなら、いっそ殺してくれればよかった。そうでなければ、俺の人生はずっとこれからも続いてしまうのだ。実の母親に見殺しにされかけた、哀れな子どもとしての、人生が。

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