第6話
流れていく景色を私はぼんやりと眺めていた。街をたくさんの車が行き交い、それに混じって私達は進んでいた。ファミレスの大きな看板がゆっくり回るのが目に入った。
「二人で食事に行くなんて久しぶりだよね」
ハンドルを握る佳代が助手席に座る私に言った。近頃、コンビニ弁当で三食を賄っていた私にとっては外食自体が久しぶりなのだが、とりあえず、そうだね、と返した。
「最後に行ったのって大学生の時だよね?」
ファミレスの駐車場に車を入れながら佳代が聞く。ハンドルを切り返して、駐車スペースの白線に車体をぴったりとそろえる。
「そういえば、そのくらいになるんだね」
「それじゃ、行こうか」
佳代がドアを開くと同時に、私も鞄を持って車を降りた。昼間の日差しとは打って変わって、夜はずいぶん涼しい。
車の走り去る音に混じって虫の鳴き声も聞こえてくる。それでも昼間に比べれば静かなものだ。
私は昔からあまり夏を好きになれない。暑いのは苦手だし、日焼けをするのも堪らなく嫌だ。蚊も多いし、蝉はうるさい。夏のいいところは休みが長いことぐらいなもので、それも学生でなくなった今は、もうその魅力も失われてしまった。
そんなことを考えていると車の正面側に立った佳代がこちらを見て待っている。私は少し急ぎ足で佳代の隣に並んだ。
二人で並んで駐車場からファミレスの入口側に回る。明るい店内が窓の向こうに見える。オレンジ色のやわらかい証明が店内で食事する人たちを幸せそうに見せた。
扉を開くと、からんと鐘の音が小さく鳴った。その後に続いて電子音が店内の奥のほうで聞こえる。するとすぐに若い女性の店員が顔を出した。
「いらっしゃいませ、二名様ですか?」
ニコニコと笑って指を二つ立てて訊ねてくる。佳代が頷いて答えると、店員は間髪いれずに、
「おタバコはお吸いになられますか?」
と、またニコニコと訊ねてくる。私は佳代が頷いて答えようとするのを遮って、
「禁煙席でお願いします」
「それではこちらへどーぞ」
そう言って、店員に導かれるままに席に誘導される。
窓際の席に通されて、私達は向かい合ってテーブルにつくと、軽い食事を注文した。
店員がオーダーを持って立ち去るのを確認してから佳代が口を開いた。
「私、煙草吸うつもりだったんだけど?」
「今ちょっと体調よくないから煙草の煙りはちょっとね」
佳代はふーんと、鼻を鳴らして少し顎を上げた。そして少しの間の後に、溜息と一緒に微笑を浮かべた。
「――なに?」
「いや、思っていたより元気にしてるんだなって思ってね」
そう言って佳代は水をひとくち口に含む。私も一口飲んで応える。
「体調よくないって言ってるじゃない」
「体のことじゃなくってね」
そう言う佳代の表情は穏やかで、言葉の奥からほっと胸を撫で下ろしているのを感じ取った。
佳代の言いたいことは分かる。だが、きっと佳代の心配を解消させてやれるほど、私は回復していない。
「――たぶん、佳代の前だからだよ」
私は正直に言った。佳代に心配をかけさせたくなかったが、それ以上に、彼女に隠し事はしたくなかった。
「佳代の前だから、元気にしてるだけだよ・・・・・・。一人でいるといろんなことが頭に浮かんで、全然駄目なの。何もする気が起きないし、ずっと眠っていたいと思ってしまう。でもね・・・・・・」
一呼吸置いてから続ける。
「毎日、電話がかかってくるの」
「電話? 誰から?」
佳代が首を傾げる。私は視線を手元に移して答える。
「――母さんがさ、早く帰ってきなさいって。お葬式の日に家に帰ったら、留守録音に入ってたの」
「おばさん。福井くんの葬式に顔も出さなかったね」
頷く。あの人の葬式の日、母さんは仕事に出ていた。まるで自分には関係ないと、言い張るように、頑なに葬式に出るのを拒んでいた。
「お葬式だけじゃない。結婚式にだって来なかった」
「幸の結婚、反対してたもんね。おばさん」
私達は結局母さんの反対を押し切る形で結婚した。その日からほとんど母さんとは話していない。
外には何台かの車がヘッドライトで道を照らして走っている。走るたびに光るガードレールの白色が目の中に残る。ぼんやりと目に残る白がなんだか自分を映しているようで、不思議な気持ちになった。
ぼんやり薄い白色を見ながら、呟く。
「なんだか、毎日が苦しい。悩みは尽きないし、居場所が無くなったみたいに私の周りがぽっかり穴になってる。夜になるたびに不安になる」
佳代は少し眉を寄せて、グラスに入った水を見つめた。
「――そうだよね。辛くないはずないよね・・・・・・」
しばらくの沈黙が私達の間に入った。
親子連れがとなりのテーブルにつく、夫がメニューを眺めながら、妻と子供に笑いかけている。胸のしこりが痛み、私は思わず視線をはずした。天井を眺め、ぐるりと店内を見まわす。ふと、昔のことが頭に浮かんだ。
「そういえば、あの人と初めて会ったのもこういう感じの店だったね」
店全体に視線を巡らし呟く。高校一年の春の終わり、駅前のレストランで私達は出会った。
「――そうだったね」
佳代も懐かしそうに呟く。私と同じように店を眺め、耳から下がるピアスがきらりと光を跳ね返す。
「そうそう、あの頃の幸って私と福井くんが付き合ってるって思ってたんだよね」
ふっと口の端を上げて佳代が笑みを浮かべる。フラッシュを焚くように一瞬だけ、あの頃の風景が頭によぎる。
店に入るとあの人と佳代が向かい合わせに座っていて、仲良さそうに笑顔を交わす二人は、それだけで恋人同士に見えた。
「だって仕方ないないよ。あんなに仲良さそうだったんだから・・・・・・」
そもそも佳代に男の人を紹介されることなんてそれまで無なかったから、それでいきなりそんな二人を見せ付けられれば誰だって勘違いを起こすだろう。
その頃のあの人は私のことを天野さんと呼んでいたけど、佳代のことは今と変わらずに呼び捨てにしていた。クラスメートの佳代とその友達の私では、やはり親しみの度合いも違ったし、接し方も違っていた。私は二人の間に後から紛れ込んだ『お客さん』だったのだ。
「二人の関係をきちんと確認しなかったし・・・・・・」
わざわざ確認することじゃ無いと思った。なんだかそれはとても野暮なことだとも思ったし、でも本当ははっきりしてしまうのが怖かったからかもしれない。こればっかりはあの頃の私でなければわからないことだ。
「見ててわかんないもんかなぁ。あ、でもそれじゃあうちの学校の子たちもそういう風に見てたのかな?」
佳代は眉に皺を寄せて、怪訝そうにグラスを見た。
「学校でもあんな感じだったの?」
佳代は視線をグラスから私に戻して首を横に振った。
「そんなわけないじゃない。さすがに恥かしいわ。でも、学校の外で見られたと思うから・・・・・・」
溜息交じりそう言って、佳代はほんの少し唇を尖らせた。だけどその目は昔を懐かしんだ優しいものだった。
佳代は強いんだな、と思う。
それと違って私は、どんなに過去を振り返っても、どんなに思い出を振り返っても、あの人を失った悲しみがただ大きくなっていくだけなのだ。
「・・・・・・最近、あんまり外に出てないのはね、いろんな外の刺激を受けるのが怖いの」
「怖い?」
佳代が上目遣いで聞き返した。どこか怯えた目をしているように思えた。私は頷いて続ける。
「だんだん夢を見なくなってるの。――あの人の顔も、仕草も何だって覚えてるのに、全然夢に出てこないの。耳に残ってる声だって本当にあの人の声なのかわからないの」
不安だった。水が乾いていくように、ゆっくりとあの人のことが心から消えていくようだった。
「夫婦だったのもたったの二ヶ月で・・・・・・。私、あの人の妻なのに、それなのにあの人のことが心から抜けていっているみたいで、そんなこと望んでるわけじゃないのに・・・・・・」
泣いてしまいそうになった。視界の隅に映る佳代が悲しそうに視線を逸らした。
あの人の死は佳代にとってもきっと辛くて、悲しみを堪えているのだと思う。いや、同じ時間だけ過ごしてきたのだから、私と同じだけ辛くてもおかしくない。
佳代が私に笑いかけてくれるのはほんの少しでも私を元気付けてくれようとしているからだと思う。
「・・・・・・めん」
「――えっ・・・・・・」
佳代が軽く頭を振って、ゆっくりと口を開いた。あまりに小さな声で私は聞き取れずに思わず聞き返した。
「――ごめんね」
佳代は俯いていて、その表情はわからない。だが、声はひどく沈んでいて、いつもの彼女からは想像もつかないものだった。
「――こないだ、駅のホームでさ。別れ際に、私、酷いこと言ったね」
佳代はコップについた水滴を指ですくった。
「――『がんばって』なんて、ひどいよね。幸が元気出して、前向きにがんばるってことは・・・・・・。福井くんのこと、忘れろって言ってるのと同じだよね」
私は答える言葉を失っていた。
あの日、私も同じことを思っていた。がんばれるわけがない、あの人を忘れて笑えるわけがないって。
元気付けてくれようとする佳代の気持ちは正直に嬉しい。でも、それに甘えてしまうことがあの人を忘れてしまうことに繋がるような気がして、怖くもなる。
心のどこかが冷たく凍ったような感触があった。なにか幸せに対する嫌悪感が胸に生まれていた。
もう、あの人とは心でしかつながっていられない。いなくなった人を偲ぶことでしか、あの人とのつながりを保てないような気がしていた。
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