第18話 素手で鯉を捕獲する微塵子は熟練の漁師だった

「ここは普通に人通りがある……場所を変えましょう。手伝うわ」


 食事ができない辛さはよく知っている。

 面倒と感じながらも、彩玉は新人侍女を放っておくことができなかった。


「えっ、ええっ?」


 戸惑う侍女の手を引き、彩玉は後宮の目立たない通路を使って東側へと移動する。

 予想通り、東側は人がまばらだった。

 特に池の周りには誰もいない。


「ほらね」

「え、ええ。本当ですね。あなたは一体……」


 正体を伏せたい彩玉は、誤魔化すように早口で話を続ける。


「こ、鯉を捕まえるには、夜間や早朝を狙うといいの。警戒心が弱まるから」

「は、はぁ……」


「あと、冬のほうが捕まえやすいわ。鯉の動きが鈍くなるからね。バレたらまずいけど、水を一部抜いておいたり、網を作ったりしても効率がいいわよ」


 鯉の捕獲に関しては任せてほしい。

 十年以上の経験がある熟練の漁師なので。


 上衣を脱いだ彩玉は、裙の裾をたくし上げて両足を池へ差し入れた。

 悠々と泳ぐ鯉の群れを目で追いつつ、じーっと水の中を見つめ、端のほうで捕まえやすそうな獲物を探す。


 するとその中に無警戒かつ、丸々と太った鯉がいた。

 水底の小さな石の間に、その鯉が頭を突っ込んだ瞬間……。


(今よ……!)


 彩玉は、すかさず両手をすぼめて鯉を包み込む。

 ばしゃりと水が跳ねた。


「ほらね、こっちの池のほうが捕まえやすいでしょ?」


 腕に大きな鯉を抱え、彩玉は侍女に告げた。

 二年間、天敵の彩玉が後宮にいなかったせいか、鯉たちの警戒心も緩んでいる。

 以前より捕まえやすい。


「何匹必要?」

「え、ええと、五匹くらいです……」

「わかったわ」


 彩玉は手際よく、次々に鯉を捕獲していく。

 そうして、五匹目を捕まえて池を出た。


「あ、ありがとうございます。こんなに早く、鯉を捕まえられるなんて」


 侍女が感動した様子で、鯉を袋に入れつつ彩玉を褒めた。


「……熟練の漁師だから」


 とはいえ、池にいるような鯉は泥臭い。

 例えば、鯉を宮廷料理に使う際は、三日間泥抜きをするなどの工夫がなされる。

 きれいな水の中で、餌を与えずに泳がせて腸を空っぽにするのだ。


 そして、料理のときには酒や香辛料で臭みを消す。

 酢を使ったり、油で揚げたりするのも効果的だ。

 本来、そこまでした上で、食べる魚なのである。


(でも、鯉をくすねた新人侍女に、そんな調理はできないわよね。勝手に厨房を使わせてもらうなんて、不可能なはず)


 かつての彩玉もそうだった。

 臭いとわかっていても、目立たない場所で、こっそり煮たり焼いたりして食べることしかできなかった。

 そして今も、独断で厨房を使わせてもらうなんてことはできない。

 だから、彩玉は代わりに侍女に告げた。


「加熱だけはしっかりとね。寄生虫がいるから。内臓も取り除いて」

「は、はい!」


「万一当たったら、池の周りに生えている茵陳蒿かわらよもぎで熱を冷まして。向こうに生えている檳榔びんろうの木の実の外皮で虫下しもできるわ。檳榔は毒性もあるから、採りすぎないように。池の鯉を盗んで食べましたなんて、後宮の医官には言えないでしょ?」

「ごもっともです」


南瓜子かぼちゃのたねでも、ある程度は虫下しできるわ。干したほうが効果が安定するわよ。いくつか保存しておくと便利だわ」

「うう、ありがとうございます。おかげで今晩は、安心して鯉をたくさん食べられそうです」


 一旦袋を地面に置いた侍女は、嬉しそうに彩玉の手を握って言った。


「鯉を盗って、雑草を勧めただけよ?」

「いいえ、私を飢えから救ってくださいました! 私、田花と言います! このご恩は一生忘れません!」


「そんなに大げさにしないで。私は最初の池の近所にいるから、また食べ物がなくなったら言って。今度は鯉以外のものも用意できればいいけど……」


 たくさんの鯉を得た田花は、お礼を言いながら、満足そうな顔で西の建物へ向かって去っていく。


(それにしても、後宮を小さくしたのに食べ物がないなんておかしな話ね。麗豹に確認してみたほうがいいかも……他の人が信用できるかどうか、まだわからないし)


 仕事を増やして申し訳ないが、彼ならそういう事情にも詳しそうだ。


(紫陽花宮の食べ物にも限りがあるし、池の鯉が全滅する前になんとかしたいところね)


 本当はこんな面倒なことに関わるべきではない。

 彩玉も後宮掌握で手一杯で、余裕はないのだから。

 しかし、食べ物となれば話は変わる。


(あれはもう、本当に辛いのよ……)


 さらに、下女や宦官や下っ端侍女たちがいなくなれば、後宮が回らなくなる。

 彩玉も紫陽花宮でゆっくりしていられなくなる。

 もはや後宮掌握どころではなくなる。

 後宮が掌握できなければ、待っているのは……。


(嫌だ、死にたくない。やりたくないけど、なんとかしなきゃ……まずい……)


 どうしてこうも、次々に命の危機がやってくるのか。


(少しは平和に過ごさせてほしいんだけど)


 そういうわけで、上衣を羽織った彩玉は、嫌々重い足を動かし始める。


(なんで私が、お兄様の尻拭いをしてあげなきゃなんないの……もう……)

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