第16話 生ごみを撒き散らす妃

「あと、少し外に出てきていい?」

「彩玉様、どちらにお出かけになるご予定ですか?」


「決めていないけど、一人で外を散策したい気分なの……」

「長公主の一人歩きは推奨できません。危ないですよ」


「紫陽花宮の周りだけでも駄目?」

「うーん、そうですね……」


 桃姉はしばし考えたあと「紫陽花宮の周辺だけでしたら」と、許可を出してくれた。


(これでも、譲歩してくれた感じか。長公主って、地位はあるけど不自由な身よね)


 一人の時間を手に入れた彩玉はホッとする。

 大勢に囲まれる生活に慣れていないため、少しだけでもゆっくり過ごしたかった。


 紫陽花宮の裏口を出て庭園を散策する。

 少し北側へ進むと巨大な池があり、朱色に塗られた橋が、いくつもかけられていた。

 池には蓮の葉が浮かんでいて、鮮やかな色の鯉なども泳いでいる。

 岩の上では、亀が数匹、日向ぼっこをしていた。


 一見、のどかな風景だ。

 しかし、彩玉は昔、他の公主に虐められて、ここに落下した覚えがある。


 ずぶ濡れで、なんとか池から脱出した彩玉を見た蘭葵をはじめとする公主たちが「微塵子」と言い出したのが、彩玉のあだ名が決まったきっかけだった。

 昔を思い出しながら、ゆっくり橋の上を進む。


(この辺りは上級妃や公主の散歩場所。でも、私は堂々と来られなかったのよね)


 ほかの妃に、「薄汚い微塵子は景観を害する」と言われて、立ち入り禁止にされていたのだ。


(まあ、池には食料確保のときしか用がなかったから、別にいいんだけど)


 途中にある東屋の屋根の下で池を眺めていると、背後からドスドスドスドスと、地鳴りのような荒い足音が聞こえてきた。


(何ごと!?)


 振り向くと、顔を茹で蛸のように真っ赤にした瓶徳妃が、侍女たちを引き連れ、橋の上を彩玉へ向かって歩いてくる。


「おい、微塵子!」

(げ……!)


 厄介な人物に見つかってしまった。

 橋を渡る彩玉を発見し、瓶徳妃はここまで追ってきたようだ。


「先日は、よくもやってくれたな!」


 開口一番、瓶徳妃は茶会での出来事を蒸し返してきた。

 彼女の侍女たちは、悔しげに彩玉を睨んでいる。


「……えっと」


 むしろ、やってくれたのは瓶徳妃のほうではないだろうか。

 彩玉は彼女の課した無理難題をなんとか乗り切っただけである。


「少し楽器ができるくらいで、いい気になるでないぞ! 次の宴では、大恥を掻かせてくれる! あっはっは!」


 言いたいことだけ言うと、瓶徳妃はきびすを返して橋の上を戻っていく。

 その後ろを歩く桶を持った侍女が、にやにやしながら橋の上に何かを撒いていた。

 よく見ると、虫の死骸や異臭を放つ生ゴミなどである。


「うわ……」


 嫌がらせの内容が子どもっぽい。

 幼稚だが効果は抜群だ。


(なんてことしてくれるの? 来た道を戻れないじゃない)


 元の場所に戻るには、死骸とごみの上を歩かなければならない。

 靴も服も汚れてしまう。


(あ、でも虫は食べれるものがあるかも、生ごみも……じゃなかった!)


 今の自分は食べ物に困る身ではないし、何より長公主用の衣装は高級品だ。

 あそこを通ったら大変なことになる。


(こんなことで、大事な衣装を汚せないわ)


 彩玉には、この突貫悪臭街道を踏破する勇気はなかった。


(遠回りだけれど、別の道から帰るしかないわね)


 幸い、彩玉は後宮内のあらゆる抜け道を熟知している。

 橋を渡らず戻る方法も把握していた。


(そういえば、次の宴……ってなんのことだったのかしら?)


 瓶徳妃に確認すればよかった。

 聞いたところで、素直に答えてくれるかはわからないが。

 東屋から出て、きた道を反対方向に歩を進めて池を渡りきる。


「ふぅ……」


 大回りをして、池の形に沿うように紫陽花宮へと歩き出す。

 池の南側へ近づいてきたそのとき、彩玉はまたしても呼び止められた。


「彩玉長公主!」

(今度は誰?)


 嫌な予感がしつつも、声のほうを見ると、侍女を引き連れた射賢妃に出会ってしまった。ついていない。


「こんなところで、供の一人も連れずに何をしているのかしら。ここは、梔子宮のすぐ裏手の道なのだけれど」

「ああ、そういえば」


 梔子宮は射賢妃の住む宮殿だ。

 彼女の宮殿は白を基調としており、品がある格式高い外観になっていた。


「で、うちを偵察に来たのかしら?」

「まさか。瓶徳妃のせいで、遠回りして帰らなくてはならなくなって……」


 彩玉は詳細をかいつまんで、ざっくり悪臭街道の話をする。

 あまり話したくない内容だが、妙な誤解をされるよりましだ。


「まあ、瓶徳妃ってば、品のない嫌がらせだわ。さすが子どもね。そんな相手にしてやられる、あなたもあなただけど」


「今思えば、橋の上にいる私を見つけて、嬉々として虫やら生ごみやらを持って、走ってきたんだろうなと……。侍女たちの頑張りがすごい……」


「陛下の妹のくせに、相手の嫌がらせを、他人事のように話しているんじゃないわよ! そんなんじゃ、宴を乗り切れないわよ?」


(……宴。また出たわ)


 今度こそ、宴の詳細を聞きたいと思った彩玉は、すかさず射賢妃に質問した。

 本当は会話もそこそこに逃げ出したいところだが、こういう情報は早いうちに聞いておいたほうが、生存率が上がる気がする。


「あの、その宴って何? 瓶徳妃も話していたけれど……」

「知らないの? 陛下が即位してから始まった、五穀豊穣の宴よ。農作物が豊かに収穫されることを願う、後宮で開かれる催しなの」


 五穀とは、一般的に米、麦、粟、豆、麻の五種類の穀物を指す。

 その豊穣を願う催事ということらしい。


「……具体的に何をするの?」

「そんなことも知らないなんて、信じられない! 皇帝と四妃がそれぞれの作物を担当して、農耕の神に豊穣を祈願した芸を捧げるの!」


「華やかな宴なのね」

「ええ、会場は皇宮だし、宮廷内の重要人物たちが揃うからね」


 よかった。長公主とは無縁の宴のようだ。


「観客として、見物をしていればいいだけだなんて、素晴らしい宴だわ」


 しかし、後宮行事はそんなに甘くはなかった。


「何を言っているの? 彩玉長公主……」


 射賢妃は困惑した表情を浮かべる。


「今年は陛下の代わりに、あなたが四妃とともに参加すると聞いたけど?」

(どういうこと!?)


 彩玉はギョッとして顔を上げる。

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