第27話 聳え立つ


 防衛隊岩掌駐屯地 医務課棟の駐車場。


 気を失った宇留の口から、いつもとは違う声が聞こえる。


「…頼みがある…」


 藍罠は、それが宇留本人の声では無いと直感した。

「······宇留くんじゃ無いな?誰だ?」

 すると宇留の腕だけが機械的に勝手に動き、胸元からロルトノクヒメナの琥珀を取り出して藍罠に差し出した。


「?!」

 曇りが消えた琥珀の中では、ヒメナが宇留同様に瞳を閉じて気を失い、まるで樹液の中を漂っているように内部に浮かんでいた。

「こ、これは?!······只のフィギュアじゃなさそうだな?」

 藍罠はロルトノクの琥珀を受け取り、宇留とヒメナを交互に確認した。


「…この子を···この子達を頼む······この一帯はもう、奴らの手の平の上だ······気をつけろ…」

「奴ら?再起動アップデートと言ったな?どういう事だ?宇留くんは大丈夫なのか?」

「大丈夫だ。この子は…アンバーニオンと、もっと強く繋がる···」

「アンバー···ニオン?あんた一体?」

「そしたら大逆転といこうぜ?パンチくん?」


 その言葉を最後に、宇留の中の意識は今度こそ、そこで完全に動きを止めた。





 その日の午後八時、藍罠家。


「あ~、それで持って来ちまった······私物窃盗にならねぇかな~~~?」


 藍罠はコタツに入り、ポケットの中のヒメナの琥珀を気にしながらテーブルの上のスマホとにらめっこをしていた。

 すると茂坂から折り返しの電話が鳴り、藍罠は0、75コールで即応答する。

[すぐ出れずにすまなかったな?で?彼女へのプレゼントがどうしたって?]

「はい、頼まれて買って来ちゃったんですけど、間違っちゃったんですよね?」

 【手の平の上】というキーワードを気にした藍罠は、茂坂と暗喩を用いた会話を展開する。これは訓練を伴う厳命と言うよりは、普段から盗聴対策として重拳隊かれらの間に浸透している、今や誰が始めたか分からないクセのようなものである。

[…つい先程、営業に頼んで向かって貰った。さすが天下の護ノ森諸店、もうそちらに着く頃だろう]

「ありがとうございます!で、王子様はどうしてますか?」

[体調は大丈夫だ、今、駅弁ケ駅くんがついてくれている。多分むさ苦しい所に缶詰めで疲れたんだろうな?それで···な]

 茂坂は一拍置いて続けた。

「すまないが、やはり自宅待機は解除だ。用事と食事が済み次第、一時間以内に戻って本待機に入ってくれ」

「何かあったんですか?」

「···実はな、野戦訓練キャンプ中の小隊グループ正体不明の敵性ク マと遭遇して交戦状態鬼ごっこになってな」

「···どんな敵性クマですか?」

「この間椎山が軸泉で話に聞いた店に入ったクマカード人間···くらいの奴···だそうだ······」


 成る程…手の平の上か······?


「···はい······わかりました。色々ありがとうございます·····」

 藍罠は電話を終了した。


王子様スマイくんがどうしたの?」


 学校指定ジャージに割烹着姿の磨瑠香が、兄の分の夕食を運んで来た。

 ネギ卵とじ細うどん、ライス、壺漬け、七味、自家製サラダチキン、コップの水、ノンアルコール缶ビールが盆に乗っている。

「ネタバレ魔って言われるからなぁ···」

「あ!アンゴーか?ごめんね?」

「あと今から隣のご来賓はよく琥は食う客だ客食う客が、ああって!もういいや!食う!···ッタキマァぁース!!」

 藍罠はネギ卵とじを崩しながらうどんを啜る。

「あはは!おそまつぅ!お客さん来るんだね?」

「…むあー!味染みててうめー!でさ、客終わったら待機に戻るから。ごめんな?なんかあったら避難訓練通りにやるんだぞ?」

「うん!わかった!でね?おニィ、今度須舞くんとセッティングしてほしいんだけど?」

「ムゴッ!!ブフォ!な!ご···、ごーこんンー?!」

「わやや!!ち、違うって!ま、間違えた!…須舞くんね?いつか時間あるかなって?あの···ツモルハナシもあってね…?」

 藍罠は手を止め、少し考えてから七味をうどんに追加しながら答えた。倒れたと知ったら磨瑠香は動揺するだろう…。

「んー、ドーダロな~?······今から来るお客さん、宇留くんも担当だから話してみっか?」

「やった!」

「······」

 藍罠は答えてはみたものの、宇留が意識不明だとはついぞ言い出せなかった。



 自室で身支度を整えていた藍罠は、台所からカチャカチャと食器を洗う音に気付いて磨瑠香に声を掛けた。

「あー、いいよ。行く前に俺洗っとくって」

「もー終わっちゃったよ」

 コタツテーブルの上にはノンアルコールビールだけがポツンと残されていた。

「しかしねぇな?」

 そう言いながら、藍罠は何か考え込んでいる。

「······」

「…磨瑠香?ちょっといい?」

「ん?」

 戦闘服に着替えた藍罠はリビングに磨瑠香を呼び、少し渋りながらロルトノクヒメナの琥珀を差し出す。

「え?ナニコレ?カワイイ!」

 割烹着を畳んで脇に置き、琥珀を手にした磨瑠香は一瞬目をキラッとさせたが、すぐに兄をジロッと睨む。

「お、俺の趣味じゃねー!よ、よく見ろ!」


 磨瑠香は琥珀の中のヒメナに顔を近付ける。非常に微妙ながら、動いている。生きている存在のオーラ、琥珀からは人肌の体温が磨瑠香の手に伝わる。


「う、ウソー?このコ、生きてるの?」

「宇留くんのだ」

「え!?」

「そのコがなんなのかワカンネーが、預かってくれって頼まれた」

「えぇ?須舞くん···立体物フィギュア派じゃなかったよね···?いや!オトコノコはわかんないか!?」

 磨瑠香の冗談に、藍罠はリアクションに困っている。

「ムゥ······いつになるかはわからんケド、宇留くんとのはなしは頼んでみる。その時にそれ、返してくれるか?」

「···うん!ちしが持ってればいいんだね?わかった!」

「できれば丁寧にな?で、もし持ってるの困ったら、俺か、宇留くんと居たあの女の人か、今から来る俺より目付きの悪い女の人に預けてくれな?」


 磨瑠香はそんな兄の様子を見て真顔になる。


「ヤバいの?」

「!···うーん、だな、怪しい。多分軸泉のシカエシっぽいな?」

「わかった、真剣に避難する!このコは任せて!」


 カシャ、コシャシャ···!!


「!」

 ベランダから、ハンガーに掛けた服が風で落ちた“ような„音がした。

 続いてバリンと音がする。隣の207号室のベランダから、こちらへと非常用パーテーションを突き破る音。

「なに···?」

次丈鐘じじょうかねさん、まだ帰ってないし、奥さん確か今実家だったっぽいよな?」


 バシ·····バリーーン!!


 リビングの窓を突き破った何者かは、少しの間カーテンの中でモゾついていた。

 藍罠兄妹は揃って戦う構えを見せたが、藍罠は磨瑠香に怒鳴った。

「逃げろ!早くッ!」

 磨瑠香は指示通りに玄関に向かい、自分の重拳隊スタジャンを掴み、玄関の上にあるブレーカーボックスと繋がった非常ボタンをカバーごと押し割って玄関を出る。

「うおおおっ!」ドタドタ·····!

 ロルトノクの琥珀をポケットに仕舞いながら玄関を出る際に、藍罠の発声と暴れまわる音が聞こえた。直ぐに非常ベルと聞き慣れないアラームが宿舎全体に響き渡る。

「ぅう!おニィ!···」

 磨瑠香は半泣きになりながら、兄への心配を振り切って非常ベルの鳴り響く階段を駆け降りた。

 下階の隊員の家族達も慌てて逃げ降りる中、それを掻き分けて駆け登って来る女性隊員と、磨瑠香は三階の踊り場ですれ違う。女性隊員の雰囲気を察した磨瑠香は、その女性隊員。わんちぃに声を掛けた。


「あ!あの、おニ···お兄ちゃんが!」

「!、はイエッサー!」


 わんちィはその娘が藍罠妹だと察して、茂坂に聞いた七階を一直線に目指した。




 防衛隊。岩掌駐屯地総合指令室。


 駐屯地内部や演習場、樹海などでは、既に多数の小規模戦闘の報告や未知敵性体カード人間の目撃報告が入り、隊内では総臨戦体制が整えられつつあった。


 司令室の入り口が開き、高官の制服を纏った壮年男性が階級章を煌めかせながら一番高い席の中心に歩み寄り、椅子に腰かける。

 かつて、宇留とわんちィ、パニぃ、百題と会話をした時とは正反対の真剣な眼差しで、壮年男性はタイムラインを確認し始めた。


「南宿舎B棟、107号室にて敵襲警報!」

「!······茂坂重拳長に繋いでくれ」

 壮年男性はマイクを軽く握り、厳しい目付きで指示を出す。

〔茂坂です〕

「シゲ!アタッカーの所がやられたぞ?」

〔!······彼なら心配要りません。更に一名増援が到着済みです〕

「東正門前、一キロ前方に異様物体!」

「!?」

「む?!…すぐにリサーチャードローンを向かわせろ!」

「了解」ー





 ー 藍罠家、リビング。

「ベレレレレレレレレレレ!」

 カード人間は本の角をパラパラめくるような、気色の悪い唸り声を全身から上げて藍罠に襲いかかる。

「!」

 打撃を入れるもカード人間は、その瞬間に体をくねらせ完全に攻撃の力を逃がし効果が無い。

「くッそ!」

 もしも懐に入ってカード人間が手を振り払いでもすれば、鋭利な刃物と化した手先で、窓を覆っていたカーテンのようにスパッと切り裂かれる。

 だが次の瞬間、部屋の電気が消えた。そして何処からか伸びた手が、ライターでカード人間の頭部にある赤いマークをあぶった。

「ぶルルレルルル…!…!…!…」

 断末魔の声と共に、カード人間の気配が消えた。

 照明が復帰すると、わんちィがリビングの照明スイッチに手を掛けていた。

「うおっ!」

 わんちィは大きいデカイ暗視サングラスを取ると、驚く藍罠に聞いた。

「例の琥珀ものは?」

「?···あ!妹に持たせて逃がした!」

「ハァ····さっきのコかぁ?······」

「だって!遅いんだもん!」

 わんちィはため息をついて悔やむ。すると藍罠は何かを感じてキョロキョロした。

「焦げ臭い?」

 藍罠が振り返ると、人型にバラけたカードの中心で一枚だけカードが燃えていた。わんちィは無言で床に落ちているノンアルコールビールを拾うと、蓋ををプシュっと開けて燃えるカードにかけて消火した。

「あぁ···発進前の一杯が······」

「今度の運転手で、軸泉ウチらの店に来て?奢るから!」

「何で司令長が出てくんの?てか!軸泉あっちまで行ってノンアル返す気満々とか切ないんですけど!」

「とにかく!妹ちゃんを追うぞ!」

「あ!磨瑠香!!」


 わんちィと藍罠は、非常ベルがまだ響く階段に走って出ていった。




 駐屯地の近隣の町では、緊急避難指示が発令され人々は逃げ惑っている。


 駐屯地の東正門の先にそびえ立っていたのは、二百メートル程の巨大な送電鉄塔、のような物体だった。


 物体はゆっくりと前方に跳ねると、着地出来る場所を吟味し、跳ねた時同様ゆっくりと着地しながら着実に駐屯地に迫っていた。


「正面から堂々とこの駐屯地を狙うとはな···」


 指令室の一席で、三竹がコメントする。

 その時、物体をサーチしていたリサーチャードローンが触手のようなもので弾かれて道路に墜落した。もう一機のリサーチャードローンも、空を飛び、物体に集結してきた一回り小さい鉄塔物体群に巻き込まれて破壊される。


 鉄塔群は、浮かび上がった巨大鉄塔の足下の根巻き四ヶ所に連なって合体し、カニの足のような機構を形成する。

 …前右足、前左足、後右足、後左足、と中央の巨大鉄塔物体を中心に合計四脚の巨大な長い足を持つ物体に変化した。


 中心の巨大鉄塔の下部結界付近からは、太い電線のような触手が四本伸びて、身体の周りをヒュルヒュルと揺らいでいた。

「例の不明設置鉄塔!まさか、擬態による兵隊の錯覚を用いたステルス配置······か?」

 最大望遠カメラの映像を見て、茂坂が呟いた。

「J4出撃準備!出ます!」

「!、あれを見ろ!」

 茂坂が司令官に進言した時だった。

 動きを止めた巨大鉄塔物体の直上に、三角パタパタの主機アクプタン マスターが現れ、中央巨大鉄塔の腕金。その最上段付近に取り憑いた。

 逆三角形に張り付いたその機体表面には、うっすらと獣のような表情のディテールが浮かび上がり、赤い一つ目がランランと輝いて駐屯地を睨みつける。

 アクプタン マスターは、さながら、仮面のような様相を呈していた。


 その内部のコックピットシートには、鎧でも服でもない奇妙な服装のエシュタガが座り、口角を歪め薄く微笑みながら時を待っていたのであった。










 

 




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