第29話 シノアとお風呂
「どうしたんだ、リュナの奴?」
「さあ、お年頃なのではありませんか」
悲鳴を上げて、脱兎のごとく浴室から逃げていったリュナ。
彼女の素っ裸の背中と尻を見送り、ソレイユとシノアが他人事のような会話を交わす。
ソレイユは全裸。シノアは控えめにタオルを巻いている。
二人はソレイユがこれから寝泊まりすることになる客室のセッティングを終え、リュナよりもやや遅れて入浴にやってきた。
「急に入ったからビックリしたのか? せっかく、背中を流してやろうと思ったのに」
男女関係に疎いソレイユは男女混浴に対して下心はない。
師匠であるカグヤの背中を流していたのと同じ感覚で、これから世話になるリュナにサービスをしてあげるつもりだった。
「お客人を前に悲鳴を上げるだなんてリュナ様もはしたないですね。主人が無礼をいたしました」
一方。しれっと澄ました顔をしているシノアは確信犯だった。
悪戯心とある事案の確認のため、あえて主人がいる浴室にソレイユをぶち込んだのである。
(ソレイユ様は島育ちで男女の機微に明るくないと聞いていましたが……性欲がないわけではなさそうですね)
シノアがソレイユの下半身を見つめながら思案する。
具体的に何を確認しているのかは明言しないが、少なくともシノアの父親や兄よりもかなり立派だった。
(リュナ様だけではない。私の裸にも興奮してくれているようですね。色仕掛けは通用するようで何よりです)
ハニートラップが上手くいかないようであれば、ソレイユを縛りつけるための楔がなくなってしまう。
シノアはひとまず安堵しつつ、バスチェアを指差した。
「それでは、お背中を流させていただきます。こちらへどうぞ」
「ああ、悪いな」
ソレイユが疑うことなくバスチェアに腰かけた。
シノアがソレイユの後ろで膝立ちになり、ハンドタオルを石鹸で粟立たせる。
「失礼いたします」
そして……それをソレイユの背中に滑らせた。
男の広い背中を端からゆっくりと磨いていく。
(立派な背中。筋肉質なわけでもないのにしっかりと鍛え抜かれている……)
無駄な筋肉が一切ついていない。
ひたすら実用性を重視した戦う男の背中だ。
(ストイックで勤勉な性格が伺えます。さて、それでは……)
「『
口の中で小さくつぶやき、シノアが両目を限界まで見開く。
黒い光彩が虹色に染まる。油を垂らした水面のような複雑な色彩となった瞳がソレイユの内側を覗き見る。
(無人島生活。師との二人暮らし。剣術の鍛錬に明け暮れる毎日……どうやら、彼が口にしていたことに偽りはなかったようですね)
シノアの眼にはソレイユの背中と重なるようにして、この世ではない不現の光景が映し出されていた。
「…………!」
目の前に現れた巨大な怪物。
七つ首の竜。一本一本の首が樹齢千年を超える大木ほどもあり、赤、青、黄、緑、紫、橙、黒。一本一本の首が別々の色の鱗で覆われている。
不気味に輝く深紅の眼光は常闇の冥府から浮き上がってきた鬼火のようで、牛を丸呑みにできそうなほど大きな口からチロリチロリと長い舌が覗いていた。
(何度見ても凄まじい……これほどの魂を一人の人間が内包するだなんて……)
シノアが身を強張らせる。
その竜はソレイユの魂を具象化した存在だ。
現実に存在するわけではないが、ソレイユの肉体にそれだけの力が宿っていることを示している。
(人が尋常の方法でこれほどの力を得ることは不可能。何らかの禁忌や秘術を冒している可能性がある……)
シノアが知りたいのはソレイユの力の源泉だ。
ソレイユが何者であったとしても、リュナの力となってくれるのであれば構わない。
それでも、何かあった時のために知からの秘密を解き明かしておきたかった。
(ここからさらに一歩。深く魂に潜る……!)
シノアが緊張に汗を滲ませる。
湯気で身体が湿っているおかげで汗が目立たないのが幸いだ。
心象世界の中で一歩足を踏み入れると、七つの頭の一つが大きく顎を開く。
シノアは意を決して、奈落に繋がっているかと思うほど深い穴の中に飛び込んだ。
「ッ……!」
数秒の空白の後、その光景が目に飛び込んできた。
苦しむ人々。飢えに、病魔に、戦火に、災害に……あらゆる苦しみに人々が嘆き悲しんでいる。
数万、数十万人の人間の苦痛と絶望がそこには詰まっていた。
一人の人間の胸に収まるにはあまりにも膨大な絶望。凶悪な悪意。
(こんなものをソレイユ様は背負っているのですか……いったい、どんな運命の下に生まれたらこんなものを……!)
「うっ……」
あまりの衝撃に強制的に現実世界へ引き戻される。
心象世界が閉じて、浴室の湯気の中へ。
シノアの身体がふらりと傾いで前に倒れた。
「お?」
ペタンと背中に貼りついてきた感触にソレイユが不思議そうに振り返る。
「どうした? 逆上せたのか?」
「い、いえ……何でもありません……」
シノアがどうにか答えた。
ソレイユの背中に身体をくっつけ、豊満な乳房を押しつける形になっているが……眩暈が酷い。しばらく動けそうもなかった。
「大丈夫か? 体調が悪いのなら外に運ぶが……?」
「いいえ……すぐに直りますので、どうかこのままで……」
(結局、強さの秘訣は何もわかりませんでしたけど……ソレイユ様がとんでもない苦痛と絶望を背負っていることだけは理解できました)
ゆえに確信する。
ソレイユを敵に回してはいけない。絶対に味方として置いておかなくては。
(幸い、方法はあります……明確に、すぐ目の前に……)
シノアが肩越しにソレイユの『それ』を見やる。
豊満な果実を押しつけられたことが原因だろうか……『それ』は先ほどよりも高々と、まるで天を衝くかのように
(ムッツリですね……女性に興味がおありなようなら、どうにか御することもできるでしょう……)
この力を手にするためならば、我が身など惜しくはない。
場合によっては、主人であるリュナもセットでプレゼントしよう。
(幸い、リュナ様も憎からず思っているようですし……今度はベッドで同衾するように仕向けてみましょうか?)
ソレイユの背中に身をゆだねながら、シノアが脳内で悪だくみを始める。
リュナのあずかり知らぬところで、彼女は邪悪な計画に組み込まれてしまったのであった。
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