第14話 絶叫
しかし、篠原碧は彼が言いたいことをくみ取っていたようで言葉を続けた。
「言ったでしょ。磁界が変わればと」
彼にはそんな実験的なことをした覚えがすぐに思い出せることはなかった。
「そんなこと言われても、磁界を変えるなんて……」
が、自ら言葉によって、あることが思い出された。瑞穂を抱えた時、彼女の身体の上にタブレットを置いた時、汗が一滴垂れた。それがタブレットに触れると、一瞬ビリッと電気が流れるような感覚を覚えた。左手に持っていた携帯電話の画面も光ったように見えた。
「あれだけで磁界が変わるってのか?」
「人間の尺度で『あれだけ』とか言わない方がいいわよ。あなたが言いたいのは電流の大きさとかのことだと思うけれど、所詮単位なんて人間が勝手に決めた仮の名前でしかないのよ」
篠原碧のそれに反論をしようとは思った。けれども今の彼にとってはそんな反論よりもこの現実に向かい合い、瑞穂を助ける手段を手に入れる方が重要だった。
「それで、ここで一体何を持って帰ればいいんだ?」
「さっきも言ったでしょ。あれよ」
篠原碧の示す指先を辿る。直立する結奈瑞穂から伸びるケーブルだった。
「どれを選べばいいんだ?」
「この中からどれでも良いわ。一本ケーブルを持って行くのね。そのケーブルをタブレットとあなたの結奈瑞穂と接続し、タブレット画面に出る通りにOKボタンをタッチすれば、再起動するわ」
「ケーブルを取った、こっちのはどうなるんだ?」
「当然、消滅よ。普通の〈ゲンジツ〉にあるような治療ではないのよ。だとしたら、この中の一体が消えるくらいの代価が無ければならないわね」
「!」
〈ゲンジツ〉の結奈瑞穂を救うためには、ここからケーブルを持って帰らなければならない。が、ケーブルと取ってしまえば、その一体がなくなってしまう。が、それというのも憚られる、そこにいるのは千宙にとってはどれも結奈瑞穂に相違なかった。ならば、彼がケーブルを取るということは、その結奈瑞穂を抹殺することに等しい。
「何を迷っているのかしら。どの個体も、〈ゲンジツ〉の結奈瑞穂と全く同じだけれども、その交換にできるのよ。どれもね。あなたはあの結奈瑞穂を救いたい。ならば、これらの結奈瑞穂が一つくらいなくなることに躊躇いを持ってはならないはず。それに私にとってはどちらでもいいこと。どちらかと言えば、こうしている方が私には芳しくないことで、あの結奈瑞穂は予定通りジャンクにした方がいいと思っているのよ」
そこまで言うと、千宙は瞬発、篠原碧の胸倉を掴むと、扉に打ち付け持ち上げた。
「随分、狂暴なのね」
篠原碧は驚きもしない。むしろ憐みの視線を彼に送る。
「うっせな。お前みたいなのには分かんねえよ」
襟首を占める力が強くなる。けれども、篠原碧の表情も声色も変わらない。
「じゃ、あなたには何が分かっているの? 瞬時に自分が最も大切なものを選べないくせに」
「それが人間ってんだよ」
「浅はかね。勝手な定義は止めてもらえる? 人間はそんな風に作られたわけじゃないのよ」
「黙れってんだよ。ケーブルを使わずに、瑞穂を助ける方法を教えろ」
「無いわ」
「いや、あるはずだ」
「無いと言っているのよ」
それを聞くと千宙は力を緩め、篠原碧を下ろした。襟元を直して、篠原碧は訊いた。
「それで結局あなたはどうするの?」
それに返答する代わりに、彼は
「もう一度だけ訊く。ここのケーブルを持って行かない限り、瑞穂を助けることは出来ないんだな?」
「愚かしいわね。それほど反復しなければ自分の選択を決められないなんて」
「いや、もう決まっている」
「へえ? で、どのケーブルにするの?」
「その質問の答えの代わりだ。タブレットってのは、瑞穂にしかないのか?」
「いえ、緊急用に用意されることもあれば、夢の中で使うようにゲーム機に変換されたり、遊園地のアトラクションのように拡張されることもあるわ。あくまでタブレットはその個体の調整のための一つの形式でしかないから」
「なら、これも非常時だ」
「なんのこと?」
「俺の誕生日は明日だ。俺のタブレットはどこにある? いや、ここに持って来い」
「何を言っているの? さすが人間。荒唐無稽なことを言わせたら、知的生命体の中でも最下層にいる生物ね」
「いいから! あるのか、ねえのか?」
「……」
彼の大声は施設内に反響した。それを迷惑そうに、あきれるような表情を浮かべならが、篠原碧はスマホを取り出した。それは瑞穂の部屋に来た篠原碧のスマホと同じ機種だった。それのタッチパネルを何度か触れた。それから篠原碧は壁際に歩き、そこにあった扉の付いた戸棚を開け、そこからタブレットを取り出してきた。彼の目の前で電源を入れる。起動音は、瑞穂の家で聞いたのと同じだった。
「これをどうするの?」
「俺に渡してくれ」
「……」
篠原碧はタブレット画面に目を落としてから、千宙を見つめた。
「何をしようとしているの?」
「俺に渡せるのか? 渡せないのか?」
「問い合わせをして、これが出て来たということは、あなたに渡しても可ということなのでしょう」
差し伸べられた篠原碧の手から、千宙はタブレットを取った。
「今来た道順を逆に戻れば出られるんだろ?」
「ええ」
「お前も俺のやることに興味があるんだったら、瑞穂の家に来い」
言うが早いか、千宙は疾走を始めた。
――急げ! 間に合え
何度も何度も同じ言葉を思うのは、そう言うことで自分を鼓舞するためだった。速まる鼓動はどうやっても収まることはなかった。その彼は気づかなかった。歴史博物館の二階の非常用出口に出る、施設からの扉の上に、「Integral」の文字があることを。
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