【第六章】

 あれから三日が経った。紫からの連絡は途絶え、呪縛から逃れられたのかと思っていた。

「おはよう、天さん」

「おはよう」

 鈴子は毎朝、天に栄養のあるご飯を提供してくれる。

「おはよう、ございます」

 いつぶりの清々しい朝だろうか。

 モノクロの世界から一つの色が差した。

───青色だ。

 鈴子も蒼月も同じ色をしている。

「天さん、あのね」

 食事の最中、鈴子は今後のことについて話してきた。

「このこと、警察に話したほうがいいと思うの。このままだったらまた、連れ戻されちゃうわ」

「はい。それは私も思っていました。……探されないようにもしたい………」

「そうよね」

「それなら、警察で捜索願が受理されないようにすることもできるよ」

 そんなこともできるのか。初耳だった。

「あら、勉強熱心なのね蒼月」

「警察目指すなら知ってて当然だよ」

 将来設計をたてている蒼月は、何も考えてない天にとって尊敬でしかなかった。

「そうなんだ…………」

───あれ、オレンジ色がある。

 蒼月の胸あたりにオレンジ色の帯のようなものが渦を巻いているのが見えた。

───何だろう、これ。

 どうしてそう見えるのかはわからない。

───青と赤とオレンジ。

 今まで見えたのはそれだけだった。


「蒼月くん……その胸のやつ、何?」

 

 思わず咄嗟に訊いてしまった。

「え?」

「あ、ごめんなさい………。気にしないで」

 蒼月は何が何だかわからず、困惑している。

「……大丈夫だよ。君にどんなことがあっても、君を避けたりはしない」

 蒼月は笑顔をつくる。

───今まで見てきた作り笑いだ…………。

 でも、どこか違う。

───嫌な笑顔じゃない………。

「どうしたの?」

 自分の顔に何か付いてるのかとでも言いたそうな目をしている。

───ああ、優しいからか………。

 それだけではない気がした。



  *


 翌日、月曜日だったので天は学校へ登校した。

「送っていくのに」

 鈴子は天の送迎をやろうとしたが、それを断った。

───見られて、何を言われるかわからないし……。

 今日もいつも通りの生活が始まった。


「鯉浦さん、おはよぉ〜」

 廊下でばったり会い、絢寧はいつものように、ただわざとらしく天の近くに寄ってきた。

「金曜日、早退したみたいだけど大丈夫?」

───ただ、それを言いたいだけにこっちに来たの?

「…………なんてことない」

 そっけなく天が答えると絢寧は顔色を一瞬変えたように見えた。

 その姿に一瞬、体が強張ってしまった。

───なに、今の。

 まるで自分の嫌いなものを睨むようにして見つめていた。

「……そうなんだ。よかったね」

 取り繕うようにして、笑顔を見せる。

 その笑顔がとても寒気がした。

「藤崎さーん、今日の化学でわかんないとこあるんだけど教えてくれない?」

 同クラスのクラスメイトから勉強を頼まれた。

 絢寧は天を置いてクラスメイトの方へ向かって行った。

「おい、授業始まんぞ。席につけ、鯉浦」

 後ろから歩いてきた化学教師で担任の後藤ごとう先生は天の背中をばしりと叩いた。

「あ……すみません」

「まったく、お前がいつもトロいから俺の授業がいつまで経っても終わんねぇんだよ。ちゃんと自覚あんのか?」

───それはただ先生の授業の速度が遅いだけじゃないの………?

 後藤の発言にイラッとしたが飲み込み、さっさと教室に戻った。

 教室に入り自分の机を見ると一通の手紙が置いてあった。

「…………?」

 天はそれを手に取り、手紙の表裏を確認する。

───差出人は書いてない………。

 これが誰からの手紙なのかわからない。

 すると、クスクスと笑う声が聞こえてくる。

───ああ、いつものか。

 わざわざ人目につくところに置くのか、と内心呆れる。

───くだらない。

 天はその手紙を鞄の中に仕舞った。

「……───」

 誰かがその様子を見ていることも知らずに。



 昼休み、鈴子が作ってくれた弁当を食べようと袋から出したとき。

「えー、今日お弁当じゃーん。珍しー!」

 絢寧の取り巻きである栗本ゆかが天の机の前に来て鈴子の弁当を見つめた。

「いつも購買のやつなのにー」

 どうでもよいことを。

「………作ってくれたの」

「えっ!誰に?」

 誰だ、としつこく訊いてきた。

───誰かを答えてしまったら何か言われるに決まってる。

 そんなことはわかりきってきたので答えなかった。

「教えてくれてもいいじゃん」

───誰が教えるか。

 そのまま無視を続けた。

 だが、このままずっと居続けるので仕方なく答えた。

「お母さん…………」

───いや、間違ってはいない………と思う。

「へー、そうなんだ」

 すると、一気に興味をなくしたかのように返事を返した。



 放課後。

「あ、あの……鯉浦さん」

 今まで絢寧とゆか以外誰も話しかけることがなかったのにクラスメイトの一人である気弱そうな男子が天の座っている席の前に立っていた。

「おいおい、ちゃんと言ってやれよ〜!」

「もじもじしてんじゃねぇよ!」

「俺ら、お前のために金かけてんだからさ〜」

 ああ、なるほど。

───やらされてるんだ。

 『私』と一緒だね。

「そうだよ〜。松本まつもとくーん、しっかり告らないと〜」

───ただの罰ゲームか。

 なんてくだらない。

「あの……こんなこと迷惑だってわかっているんですけど、こ、鯉浦さんのこと、が…………───」

「それ以上は言わなくていいよ」

 天は咄嗟に松本の口を塞ぎ、耳元で囁いた。

「えっ…………」

「嫌なら言わなくていいよ…………」

「で、でも………」

「じゃ」

 天の携帯が鳴ったことを機に、教室を出て行った。

「あーあ。お前のせいじゃん…………───」

 確かそう言っていたのが聞こえた。


  *


 天は校門前に着くと一台の自動車が停まっていた。

「すみません」

「いいのよ。それにすみませんじゃなくてありがとう、って言ってちょうだい」

「ありがとうございます」

 天は訂正をすると満足したかのように頷く。

「あ、今日はどうだった?」

 後部座席に座っていた蒼月は心配そうに訊いてくる。

「……さっき、告白まがいのことが起きましたね」

 二人は複雑な表情をしていた。

「えーっ。まさかとは思うけど、それって、罰ゲーム的なやつ?」

「うわ、いじめの定番じゃないか」

 最低だな、と二人揃って言っていた。

「相手の子も気の毒にね。周りにはやされて言わざるを得ない状況なんて……遺憾だわ」

 鈴子はいつにもなく怒っている、と蒼月は肌で感じた。

「ほらっ、もう後ろに乗っちゃいなさい」

 鈴子は気まずそうに天を促した。



「天ちゃん」



 聞き覚えのある声が聞こえた。

───何で…………。

 今まで一度たりとも学校に来たことがないはずなのに。

「『ママ』…………───」

 心が、体が、震えていく。

「天ちゃん。いつまで帰ってこないつもり?」

 また昼間から飲んだくれていたのか、顔が赤く足元がふらついている。

「───……もう、帰らな…………」

「また言い訳するの?帰らないとママ怒る、って言ったよね。何でこんなことも守れないの!」

───もう、無理だよ…………。

 膝から崩れ落ちるような思いだった。

 その様子を見ていた同学校の生徒達は何事か、と騒ぎ始めた。

「何よ、その目。親である私に反抗するの?」

「ち、違…………」

「違わないでしょっ!ママのこと何日も放っておいて!それでも違うって言えるの⁉︎ねぇっ‼︎」

 しだいに紫の声が大きくなる。

 キンキンとした高音の声は、天の耳には痛すぎた。

「天ちゃんは、ママの子でしょうっ⁉︎」

───もう、嫌だ………。

 天の腕を掴もうと伸ばしてくる手が気持ち悪かった。

「い、いや……だ…………」


「お言葉ですが、お母さん。本人にも、意志というものがあります」


 鈴子は、運転席から降りて紫と天の間に立った。

「何よ、あんた……」

「ですから、天さんが帰りたい、というまで家で保護させていただきます」

「そういうことじゃないでしょっ!私の天ちゃんを返しなさいよっ!じゃないと警察に通報するからねっ!」

「どうぞご勝手に。捕まるのはあなたの方でしょうけど」

 早く乗って、とぼそりと囁いた。

「『ママ』…………───さようなら」

「待って、天ちゃん⁉︎どうして⁉︎」

 紫の大声で聞きつけたのか教員達がわらわらと出てきて、暴れようとする紫を押さえつけた。

「誘拐よっ!私の子を返してっ!」

 天が自動車に乗ってから離れるまでずっとそう叫んでいた。



  *



 天の通う高校からしばらく離れたところにあるファストフード店に三人で入った。

「お、よっす〜。遅かったじゃん、蒼月」

「こんにちは。大丈夫でした?」

 店内に入ると蒼月の着ている制服と同じ服を着た男子生徒二人が座っていた。

「その子が蒼月の言ってた子?」

 手前の席に座っていた短髪で吊り目の男子が、蒼月の後ろに隠れる天を見つけた。

「そう」

「えーっ、マジか!蒼月やるぅ!」

「尋、そういうことじゃないでしょ」

 隣に座っていたマッシュヘアの男子は彼の頭を拳で殴って制する。

「ごめんね、鯉浦さん」

 後方の席の男子の発言にびくり、と肩を震わせる。

「ああ、あのー……覚えてないかな?中学一緒だった折宮なんだけど………」

 中学の頃は友達をつくるほどの余裕はなかったので、彼がいたかどうかはわからない。

「最初、蒼月の話には確信がなかったんだけど……今蒼月が君を連れてきたときに『ああ、鯉浦さんだ』ってわかったんだ」

「そう……だったんだ…………」

 知り合いがいたことにも驚きだが、何故二人がここにいるのかが疑問だ。

「僕達、蒼月に頼まれてここにきたんだよ」

「どういうこと?」

 朔のこれからの発言に蒼月は言い被さるように話した。 

「君の保護について協力してもらおうかと思っているんだ」

───ああ、そういうことか。

 保護、といっても天が暮らしやすいようにいろいろと手を回してくれるそう。

「俺の親父が警察官だからさ、生活面とかあんたの母親の件とかは任せてくれ」

「そうそう。うちの母さんも市役所勤めだからさ。頼ってね」

 尋も朔も天を助けようと動こうとしてくれていた。

「一人じゃないから………死のうとはしないで」

 天は何度も死のうとしていた。

───何で。

 こんなにも眩しいのか。

───何で。

 こんなにも嬉しいのか。

───どうして。

 与えられてばっかりなのだろう。

「あり、がとう…………」

 自分も、何か返せるようになりたい。

───こんなにも………。

 大切にしてくれる人がたくさんいたなんて。

「おいおい、泣くとこっちまでつられるじゃねぇかよ」

 尋は目頭を押さえながら少し声を震わせる。

「泣き虫だなぁ、尋は」

 朔は尋にハンカチを渡しながら微かに笑う。

「君にも」

 蒼月も天にハンカチを渡してくれた。

「じゃあ、今後について話しましょ」

 鈴子は手をぱん、と叩き本題に移った。

「まずは、天さんを一旦家に保護します。警察とかが色々調査に今後来ると思うから、何があってもいいように万全な状態で、そして天さんにはとにかく安全でいてほしいからね」

「そこから警察に連絡をして、身辺調査をしてもらいたい。それでいい、尋?」

「ああ、いいぜ」

「で、市役所にて今後の手続き諸々を朔に任せる、っていうのでいい?」

「大丈夫だよ」

「それから…………───」

 淡々と話が進み、天は戸惑いを隠せないでいる。

───あ。

 それぞれの胸から以前蒼月の胸から見えたオレンジ色の帯のようなものが全員を囲うように伸びていた。

───まただ。

 この帯のようなものは何なのだろう。

───いや、蒼月君だけちょっと違う……。

 蒼月はうすらとだが、桃色が混ざっている。

「…………だ」

「え?」

「また、あるんだ………」

「え、何か変なもの着いてる?」

「違う……よ………色、が、見える…………」

 天の発言に全員は固まった。特に反応を見せたのは鈴子だった。

「色が見えるですって…………」

 その声は怒っているようにも驚いているようにも聞こえた。

 鈴子はそのまま黙りこくり、時間だけが過ぎていった。



  *



 蒼月の家に帰り、用意してくれた客間の部屋に入る。

───長かったな………。

 長い長い一日だった。みんながみんな、色々と天のために考えてくれて感謝でしかない。

「天さん、起きてるかしら?」

 鈴子の声だ。

「どうぞ」

 天は扉を開け、鈴子を中に入れる。

「ごめんなさいね、天さん。さっき、ファストフード店で言ってたことが気になったものだから」

───言っても、わからないのに。

 どうして気になる、なんて言えるのだろう。

───同情かな。

 病院送りになるのかな。

「あなたって、人の『オーラ』が見えるのね」

───どういうこと?

 オーラ。

 人間が持ち放つエネルギーのこと。

───それが私と何の関係が?

「だから、人の感情に敏感なのね」

 天は元々、人の感情に敏感だった。だから、絢寧の燻りに気付き少し震えた。

───青い……。

 鈴子の胸から青の帯がこちらに伸びてくる。その帯は天の胸を貫通した。

───何これ。

 蒼月とはまた違った、海のような青。

「母さん、もう寝なよ」

 蒼月は客間をノックして入ってきた。

「ごめんね、天さん。このことはどうか気にしないで」

 そう言って部屋を出た。

「今日、疲れたよね。明日祝日だからゆっくり休んでね」

 蒼月はふ、と笑った。

「…………うん」

───何だろう………。

 何とも言えない感情が湧き上がりそうな気がした。

───鼓動がする。

 この感情を何と呼べばいいのだろう。

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