第25話 闇に潜む告白
孤独を溶かすのは、彼女だけだった。
夏休みが終わり、二学期が始まって数日。
教室では新しい授業が始まり、街路樹の葉は少しずつ色づきはじめている。
それなのに、私の胸の奥だけが、まだ冷たいままだった。
あの夜から、もう何日も経つ。
けれど、時間が経つほどに恐怖は薄れるどころか、
ますます私を締めつけていた。
浩司さんの顔をまともに見られない。
視線が合うと、あのときの眼差しが蘇ってしまうから。
母とも距離を感じるようになった。
優しく声をかけられても、「別に」としか返せない。
胸の奥で、居場所のない自分だけが取り残されていく。
——あのとき、浩司に肩を押さえられそうになったことを、母に相談したい。
でも、言えない。
恵理子は母であるけれど、あの恐怖を打ち明けることは、どうしてもできなかった。
口にした瞬間、家族の安心が崩れてしまうような気がして、声が喉に詰まる。
相談できずにいる自分が、さらに孤独で惨めに感じられた。
……私を救えるのは、沙耶しかいない。
そう思えば思うほど、彼女の姿を探してしまう。
同じ部屋で机を並べて勉強しているときも、
黒板に向かって授業を受けているときも、
気づけば何度も目で追っていた。
沙耶の存在が、唯一の拠りどころになっていた。
その日の夕食のあとも、私たちはいつものように机に向かう。
ノートを開き、教科書を並べる。
けれど、文字は頭に入ってこなかった。
ペンを握る手は震え、ページの上を目が空回りしていく。
沙耶は横で静かに問題集を解いていた。
私が集中できていないことに気づいているのだろう。
それでも、何も言わなかった。
その沈黙が、優しさのようで、同時に切なくもあった。
やがて時計の針が進み、部屋の照明を落とす時間になった。
机を片づけ、それぞれの布団に潜り込む。
二段ベッドの上段に横になった私は、目を閉じても眠れなかった。
ふと、窓の外に目をやる。
遠くの街灯が川面に映り、かすかに波が光を揺らす。
夜の静けさに、深く呼吸を合わせた。
日常はまだここにあり、恐怖の世界だけではないことを、
ほんの少し思い出す。
瞼の裏に浮かぶのは、あの恐怖の記憶と、母とのすれ違いばかり。
胸が苦しくなり、自然と涙が溢れた。
枕を濡らすほど泣いても、声は出さないように必死に堪える。
けれど涙は止まらなかった。
やがて耐えきれなくなり、私は布団から身を起こす。
——もう、一人でいるのは嫌だ。
はしごを静かに降り、下段の布団へ潜り込む。
沙耶は目を開けていた。
驚いたように瞬きし、けれど何も言わなかった。
狭い布団の中で、私たちは向かい合う形になる。
沈黙。
互いの呼吸だけが、暗闇の中で重なり合っていた。
涙で濡れた頬に、沙耶の温もりが近くで感じられる。
私は声にならない声で唇を震わせた。
言わなければ、この気持ちは伝わらない。
でも、言ってしまったら、もう後戻りできない。
「……好き」
震える声が、布団の闇に溶けていく。
沙耶は目を見開き、息を呑んだ。
答えようとしても、言葉は出ないのだろう。
それでも彼女は、私を拒まなかった。
次の瞬間、沙耶の腕が私を包み込む。
強くもなく、弱くもない。
ちょうど私が壊れないように支えてくれる抱きしめ方だった。
その胸の中に顔を埋めると、涙はさらに溢れる。
返事がないことはわかっていた。
でも、それでよかった。
言葉よりも、この温もりが欲しかった。
孤独も恐怖も、すべてを忘れさせてくれるような、そんな抱擁だった。
私は「好き」ともう一度繰り返す。
沙耶の胸の奥に吸い込まれるように、その声を届けた。
返答はないまま、ただ腕の力が少しだけ強まる。
近いのに、遠い。
けれど、この夜だけは、その距離を忘れたかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます