第20話 孤独が求めた抱擁
夏の夜、初めて彼女の隣に身を寄せた。
部屋の電気を落とし、タオルケットを肩まで引き寄せても、眠気は訪れなかった。
闇の中で目を閉じると、昨日の光景が鮮やかに蘇る。
——台所で、沙耶が恵理子に放った拒絶の言葉。
「母親なんてもういらない」
その声の鋭さと、恵理子の蒼ざめた横顔が、まだ胸の奥に刺さっている。
母は「あなたのために結婚したのよ」と繰り返した。
けれど、その言葉は今も実感として届いていない。
形ばかりの笑顔や沈黙が、むしろ距離を広げているように感じられる。
夏休みに入る前の教室で、沙耶がみんなの前で口にした「だって……姉妹だもん」。
その響きは確かに温かかった。
けれど同時に、小さな疼きを胸に残した。
私たちは本当に“姉妹”なのだろうか——それとも。
そして、浩司の存在。
父親と呼ぶ前に、私は一人の男として見てしまう。
視線がかすかに触れただけで、胸の奥にざわめきが広がる。
そのもどかしさと恐怖は、言葉にならずに溜まっていくばかりだった。
心の奥に絡み合う孤独と不安。
それらが解けないまま積もっていき、胸の奥に寂しさを生んでいた。
どうしようもなく、誰かに触れてほしかった。
暗闇の中、思い切って声を出した。
「……ねぇ、今ちょっといい?」
下のベッドがかすかに揺れ、沙耶の「うん、何?」という返事が返る。
鼓動が耳まで響き、自分の心臓の音に追い立てられる。
「……そっち行っていい?」
言葉を吐き出した瞬間、喉がひりつくように固まった。
タオルケットの端をぎゅっと握りしめ、指先に力を込める。
汗がにじみ、呼吸は浅く速くなるばかりだった。
上段から下りるとき、足音を殺すようにしてそっと動く。
心臓は早鐘のように鳴り、胸の奥の緊張は抑えられない。
下段のタオルケットの隙間に身を滑り込ませると、暗がりの中に沙耶の輪郭が浮かんだ。
「……寂しいの」
言葉がこぼれると同時に、胸が熱くなる。
涙が頬を濡らし、声は震えた。
恥ずかしさと、助けを求める必死さが入り混じっていた。
沙耶はしばらく黙ったまま動かない。
タオルケット越しに指先が小さく動いた気配。
そのわずかな音に、私は押しつぶされそうになりながらも希望を感じた。
——沙耶の内心も揺れていた。
幼い頃に母を失い、父に育てられた彼女は、母性の温もりを知らない。
だからこそ、誰かに寄り添うことに戸惑っているのだろう。
きっと彼女は一瞬、「これはしていいことなのか」と自分に問いかけたはずだ。
ためらいがあった。
けれど、やがて腕がゆっくりと伸びてくる。
抱き寄せるその瞬間、沙耶の息が一度止まり、ためらいの影がわずかに走った。
それでも彼女は腕を伸ばした。
そして彼女の腕が、そっと私を包み込んだ。
ぎこちなくも真摯なその温もり。
私は幼い頃から渇望していた何かを、ようやく確かめることができた。
母の代わりではない。けれど確かなぬくもり。
胸に絡みついていた孤独が、するすると緩んでいくのを感じた。
沙耶の肩は小さく震えていた。
その震えは拒絶ではなく、「守りたい」という不器用な意志のように思えた。
暗闇の中で、二人はただ息を合わせていた。
言葉は要らない。
外の世界の虚像と、二人だけの現実が重なり合う。
——この瞬間が、何か大きな変化の始まりであることを、私たちはまだ知らなかった。
けれど確かなのは、ここに生まれた小さな救いだった。
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