第6話 義父の視線が私を刺す

ひとつの視線が、空気を凍らせた。


朝の食卓。

湿った風が網戸をすり抜け、梅雨の始まりを告げていた。

四人で向かい合って座るのは、まだ慣れない光景だった。


テーブルの上には、ベーコンエッグとトースト、野菜スープ。

和食よりは簡単で、母が“手早く整えた家庭の朝ごはん”という感じだった。


二人暮らしの頃、母と食べていた簡素な食卓とはまるで違う。

温かいはずの湯気さえ、どこかよそよそしく感じられた。

母は箸を置き、浩司さんに視線を向けて切り出した。


「……私、仕事、見つけてきたから。知人の紹介で」

わずかな緊張が走る。


浩司さんは怪訝な顔をするでも、驚くでもない。

むしろ“当然だ”と受け止めるような表情だった。

否定しない。けれど、理解しているわけでもない。

——ただ「それでいいだろう」と言外に圧をかけているようだった。


「夜のスナック。今までの経験があるから」

母はそう続けた。

その言葉に、私は胸の奥がざわついた。


母は私を育てるために、ずっと働き詰めだった。

昼間のパート、深夜の清掃……

最後に腰を落ち着けたのが、スナックの仕事だった。


結婚してから口にすることはなかったけれど、

あの場所こそが母にとって一番長く過ごした職場で、

私にとっても「母を思い出す匂い」になっていた。


だからこそ、食卓でその言葉を聞くのが妙に生々しく感じられた。

その瞬間、私は気づいてしまった。

母の視線が沙耶の顔を探すように動いたことを。


不安げに揺れる眼差し。

けれど、沙耶は何事もなかったかのように箸を動かし、表情を変えなかった。

その仕草がかえって拒絶を隠しているように見えて、背筋がそわそわした。


ふと母が浩司さんを見た。

その横顔は、何かを知っているようにも、何も気づかないようにも見えた。


そして——その時だった。

浩司さんの眼差しが、ふと私を掠めた。

正面から向けられたものではない。

けれど、盗み見るような、測るような視線だった。

父親としてのものには思えなかった。


あまりに生々しく、私は本能的に体を強張らせた。

スープを口に運びながら、心臓が早鐘を打つ。


——どうして私を見るの。

問いかけは喉で凍りつき、声にならない。

隣では沙耶が黙ってパンをちぎっている。

彼女が気づいているのかどうかも分からない。


けれど、私の背骨に冷気が染みたのは、温かい朝食よりも強烈に残った。

義理の娘としての立場は、まだ確立していない。

沙耶との姉妹関係だって、始まったばかりで形になっていない。


だからこそ、あの視線が何を意味するのか分からないことが、余計に恐ろしかった。

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