第37話【地の底にも花は咲く】



 御所を出ると、二人は一気に東へと通りを駆け、無幻京むげんきょうの南北を縦貫する鴨川かもがわ沿いを北へ向かった。

 東大路ひがしおおじ通りに出て更に北上すると、闇に沈む吉田山よしだやまが見えて来る。

 普段昼間に来れば浅い山だが、このうしの刻にそこにあると、古くからこの一帯の守りの要となって来たその全貌はやたら大きく見えた。

 吉田山の麓に、大きな屋敷が建てられている。

 百万遍ひゃくまんべんの名門神楽岡かぐらおか家である。

 古くからは百万遍守護代を守る家柄であり、

 今上帝きんじょうていの御代では、美しく聡明な常葉女御ときわにょうごを無幻御所に送り込んだことで、一気に朝廷での立場が華やいでいる。


 瑞貴は蘇芳すおう色の狩衣かりぎぬ姿、溌春は濃紺の狩衣姿でそこに立つ。


 三人いた門番はさすがに少し驚いたようだったが、瑞貴が腰に差した刀に垂れ下がる、桔梗紋を見るとすぐさま身を正した。

 桔梗紋ききょうもんは【安倍晴明あべのせいめい】の神紋であることは、無幻京の者ならば誰でも知っている。

 そして瑞貴は一際若く、また優れた容姿でも宮廷で知られている為、彼らは暗がりの中でもすぐ分かったようだ。


安倍瑞貴あべみずき殿。このような刻限に神楽岡家の屋敷に。どのような御用件でしょうか」


「非礼は承知だが、夜が明けるまで待てぬ事情があって無幻御所から来た。

 当主の神楽岡宗次かぐらおかそうじ殿にお会いしたい。大事にはしたくないので家人は起こさないでいい。

 庭で待たせてもらう」


 

――無幻御所から来た。



 その言葉に込められた意味を素早く読み取ると三人は「こちらです」とすぐに瑞貴と溌春を潜戸から中に通した。



◇   ◇   ◇



「神楽岡家の御当主に何を尋ねられるおつもりですか?」


 庭園の奥で待ちながら、池の鯉を見ている瑞貴に話しかける。

「何も尋ねない。ただ許可を得るだけだ」

「許可?」


 瑞貴は自分の刀に付いた神紋を手に取った。

【安倍晴明】の証である神紋に、もう一つ小さな添え星が付いている。

 羽搏く水鳥の紋だ。

 これは瑞貴個人の印である。


「【安倍晴明】の称号を主上から頂く時に贈って頂いた短刀だ。

 大切にしているから汚したくない」


 そう言って、瑞貴は短刀を軽く溌春の方へ投げて来た。

 少し慌ててそれを受け取り、見下ろす。

 数秒後、瑞貴の顔を見上げた。


「……亡くなった方の墓を掘り起こすのですね」


「私も地中を探ることは出来るが、此度の怪異は思うよりずっと根深い。

 無幻御所むげんごしょが関わっているのに私は気づけなかった。

 この目で見なければ、心が納得しない」


 強い意志でそう言った瑞貴の瞳が霊性れいせいに青く、輝いていた。


 向こうから人がやって来る。


「瑞貴殿。当主の神楽岡宗次かぐらおかそうじにございます」


「このような時刻に済まぬが、宗次殿。緊急のことゆえお許し願いたい」

「はい」

 自分の息子よりも恐らく瑞貴はまだ年下だろうが、宗次は天帝てんていの絶対的な信頼を受ける若き陰陽師に深く一礼をした。

 普段の瑞貴ならば遠慮しただろうが、今はしなかった。


「今年の夏にこの屋敷で火事があったと聞いたが」

「はい。屋敷の東にあった古いお堂が燃えました」

「亡くなった方がいるな?」

「はい。急に火が付き、風の強い火で……逃げ遅れたのです」

「どういった方です?」

 神楽岡家の当主は押し黙った。

「その……、」


「宗次殿。蓼原たではら家と神楽岡家が遠い過去の因縁で結ばれていることは分かっている。――――異能を隠していたな?」


 宗次は驚いた顔をし、すぐに青ざめた。


「か、隠していたわけでは……霊力れいりょくの強い女は、外に出さず本家に住まわせるのが決まりなのです……、それに特別な事情があり」


「その女、何者だ?」


 瑞貴は一歩、踏み出した。

 手にした扇の先を、神楽岡宗次の首元に押し当てる。


「お前が口を噤んでも、私は喋らせることが出来る。

 何故私がここにやって来たのか察しは付くだろう。神楽岡宗次。

 無幻京で今何が起こっているのか。

 それとも名門の百万遍守護代の守り人がそこまで堕ちたか」


 神楽岡宗次は慌てて、瑞貴から離れ、土の上に平伏した。


「お、お許しください。私は何も……、ただ、常葉女御ときわにょうごが是非にと望まれたことだったので、お連れするしかなかったのです。縁は薄くとも、血の繋がった双子ゆえ、見捨てられぬと」


「双子?」


「双子にございます、【安倍晴明】殿。誓って嘘偽りなく。

 常葉女御は……我が家に養女としていらしてからも、修学院しゅうがくいんの寺に残して来た姉君のことをいつも想っていらっしゃいました。

 自分は天帝のお側に行くことになったからと、こちらにお呼び寄せになったのです。

 しかし、鏡に映ったように似ていらっしゃることから、顔に酷い火傷の跡がある尼僧と屋敷の者には説明し、お堂に……」


「それが亡くなった方ですか?」


 二度、強く宗次が頷いた。


「一つ聞くが、その姉妹、他に兄弟などは居なかろうな?」


「――生まれてから会ったことは一度もないそうですが、兄君が一人いらっしゃいます」


蓼原那智たではらなちか」


 神楽岡宗次が驚いたように顔を上げる。

 瑞貴は厳しい顔をしていた。


「今すぐその者を埋めた墓を掘り起こしてくれ。

 遺骸を確認する必要がある。夜が明けぬうちに、急げ」


 そう、ただ一つ命令を出す。



◇   ◇   ◇



 少しだけ夜が白み始めて来た。


 複数人の手で棺桶が掘り出される。

 神楽岡宗次かぐらおかそうじは見ていられなかったらしく、ずっと土の上で祈り、震えていた。


 準備が整うと、瑞貴は人払いをした。

 墓を掘り起こした五人は去って行く。

 

 棺桶に向かって歩き出した瑞貴を、思わず溌春が止めた。


「私は……薬師をしながら、少し病人なども看てきました。

 亡くなった方を清め、身を整えたこともあります。

 私が確認しましょう」


 数時間、ずっと厳しい顔で押し黙っていた瑞貴だったが、その一瞬だけ表情を和らげた。


「……気遣いは嬉しいが、私もこういうことには慣れている。

 それに案じなくていい。私の予想では……」


 瑞貴は棺桶に近づき、しゃがみ込んだ。

 蓋を外す。

 側にいた溌春も息を飲む。


 そこには遺体は無かった。


 噎せ返るような、花の匂い。

 白百合に似ているが、溌春は直ぐに分かった。

 まじない花だ。

 霊力を吸い上げ、大きな花を咲かせるため、陰陽師が霊力の痕跡を探るために使う花でもある。


 種を蒔くと土に霊力が染み込んでいる場合、数日で芽が出て、季節に関係なくこうして白百合に似た白い大きな花を咲かせる。


あまねき花】。


 瑞貴が触れようとした時だった。

 ボッ! と突然花が燃え上がった。

 炎に長い袖を取られかけた瑞貴は身を一歩大きく引き、炎を避ける。


「! 瑞貴殿!」


 瞬く間に花が燃えていく。

 まだ暗い空に煙が立ち上って行った。

 瑞貴が一瞬で宙に呪印を描く。

 判を押したように美しい呪印に【魔言まごん】を吹き込む。


「【がい】!」


 瑞貴の放った【魔言】に押し出されるように輝く呪印から光を纏う獣が飛び出し、立ち上る煙を追っていく。

 消えようとしていた煙が獣の身体に吸い込まれて行った。

 全て吸い込むと、光の獣の姿も薄っすらと闇に消えていく。

 長い袖を押さえて瑞貴は手の平を返す。

 するとその手の平の上に先ほど描いた呪印が浮かび上がり、四方から光がそこに集まって行く。


 光が消えると、そこに黒い灰が残った。

 

 燃えた花の痕跡である。


 溌春は懐から懐紙を取り出す。

 瑞貴がそこへ、灰を落とした。


「人を殺めても最も難しいのが遺体の始末の仕方だ。

 呪詛じゅそも同じ。人を欺く呪詛を張るのは簡単でも、呪詛の痕跡を完璧に消すことは手練れの陰陽師でも困難を極める。

 此度の無幻京の怪異では、痕跡が掴めなかった。

 ――初めて掴んだな、溌春」


 呪詛の痕跡を掴めば、陰陽師はそれを元に術を使った者を遡って辿ることが出来る。


「はい」


「……い、一体これは……確かに……」


「確かに遺体をここに入れたのにか? 持ち出した者がいるんだよ」


 茫然としている神楽岡宗次かぐらおかそうじに瑞貴は冷たい声を響かせた。

「も、持ち出した者?」


蓼原たではら家と神楽岡かぐらおか家の血の因縁はすでに聞いた。

 元々は安倍家との関わりの中で、無幻京においての家の存続をかけた処世術であったことも理解している。

 あなた方は霊力の強い人間が生まれることを、非常に警戒して生きて来た。

 生きる為に魔統まとうを捨てねばならなかった蓼原家に、

 生きる為に魔統を栄えさせられなかった神楽岡家。

 だが……この世にあまねく精霊たちは、時に、人の予期せぬ者をこの世に生み出すものなのだ。宗次殿。例え当主でも、魔統に無い貴方にはこの一件荷が重すぎる。

 ここからは【安倍晴明あべのせいめい】が預かろう」


 瑞貴は狩衣の裾を捌いて宗次の側に片膝をついた。


常葉女御ときわにょうごは子を身籠られてから療養のために幾度か里下がりをなさった。

 ――この屋敷に来た時に、片割れと会っているはずだ。

 修学院しゅうがくいんからやって来たその片割れ――名を何という?」


 溌春の脳裏に、今日挨拶をした時、優し気に微笑んだ女の顔がはっきりと蘇った。



音羽おとわ……」



 すでに多くの後悔や、動揺や、焦燥があるのだろう。

 宗次は弱々しい声でその名だけを紡いだ。



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