第36話【魔統の柵】


 御所にある私邸の自室で書簡を読んでいた瑞貴は、側の火が揺れたことに気づき、視線を上げた。

 怪しいものではなかったが、気配がしたのだ。

「誰だ?」


「……瑞貴殿、夜分に申し訳ありません」


 立ち上がり、襖を開くと庭先に溌春が立っていた。


「なんだお前か。何故庭先などから入って来る。

 曲者かと思うだろうが。

 お前のことは屋敷の者にもちゃんと話してある。

 きちんと回廊から入って来い」


「すみません」


 やれやれ、と瑞貴は呆れたらしい。

 しかしすぐに「入れ」と顎で示してくれた。


「私は元より夜行性だ。明かりが部屋に付いているなら訪ねて来ていい。

 しかしそのことと蛍姫のことは別だ。

 折角二人で水入らずにしてやったというのにまたお前はこんな夜中に抜け出して来て。

 あいつは夜中に出て行ったきり全然戻って来ない不良男だなどと蛍姫に嫌われても、後の面倒は見ないぞ」


 火のある、囲炉裏の側に瑞貴は溌春を連れて行った。

 湧いていた湯を淹れてくれる。


「何の話だ?」


「時間があまりありませんので、すぐ本題に入らせていただきます。

 瑞貴殿、今から私が話すことに怒りを覚えられるやもしれませんが、話を最後まで聞いて下さい。そのあとどのようになさっても構いませんので」


「……眠れぬ夜の世間話ではないことは分かった。

 此度の怪異のことならば遠慮はいらん。

 私も一刻も早く無幻京むげんきょうに平穏を取り戻したい」


 瑞貴は深く腕を組んだ。


「今日、常葉女御とお会いする機会に恵まれました。

 初めてお会いした方で、噂通りの美しい方でしたが、顔に見覚えがありました。

 少年時代の仙洞御所せんどうごしょ。【桔梗院ききょういん】でのことです。だがあの方ではない。しかし記憶に思い出すほど似ていました。血縁者です」


 瑞貴の表情に驚きの顔が現れる。


「血縁者? 常葉女御ときわにょうご百万遍ひゃくまんべん守護代の神楽岡かぐらおか家に養女に入って入内じゅだいされた。

 元々の家がご両親も血の濃い親族もいらっしゃらず、大きな後見人を持てなかったからだ。しかし楽の才があり、夜宴での演奏が評判になったことで御所に招かれ、天帝てんていの目にお留まりになられた。兄弟がいるなど初耳だ」


「調べていただけませんか? 【桔梗院】の同門ではありますが、縁が薄い……あまり自信は無いのですが、名は……蓼原那智たではらなち殿であったはず」


「……。何が気になっている?」


「那智殿に女御が似ていらっしゃったこと、そのことだけです」


「……そうではないだろう」


 組んでいた腕を解き、瑞貴は火箸を手にして囲炉裏の炭を静かに整えた。

 一瞬、赤い火が見える。


「【九尾】の言い残した言葉が気にかかっているはずだ。

 此度の無幻京の怪異と、お前がすでに顔を突き合わせているとあの魔物は匂わせた。

 お前が無幻御所と関りを持つのは【桔梗院】にいた時だけと、お前は言い切れる。

 だから【桔梗院】時代の知った顔を……その繋がりを奥の院で見つけた時に動揺したんだ。

 奥の院には無幻京で最も『位の高い女』が集まる。

 ――溌春。

 陰陽道は、正しい【魔言まごん】【呪印じゅいん】を用い、そこに霊力れいりょくを編み込むことで呪法が真の力発揮する。いずれも不完全や未熟な技では、未熟な陰陽術の真似事でしかない。

 お前はこの無幻御所むげんごしょで【呪印】の兆しを見た。

 遠い過去だろうが、優れた陰陽師はたった一度見たことを意味あることに出来る。

 そして偽りを紡がぬ五大妖ごたいようの【魔言】が、お前の中の【呪印】と結びついたわけだ。

 だからお前は誤魔化したり見逃すことが出来ない。

 私の目にはすでに何かが映っているが、

 それを私が認識出来ていないだけだと言ったな。

 今のお前がまさにそれだ」


 瑞貴は立ち上がる。


「付いて来い」

「どちらへ」

 立ち上がりながら聞いた。

 瑞貴はすでに歩き出している。


「【桔梗院】は安倍機才あべきさい殿の管理にあった。

 だから【桔梗院】に属した者のことは全てきちんと記録に残っている。

 機才殿の遺品の中に『桔梗院系譜』があり、安倍家の書庫に管理されているよ」



◇   ◇   ◇


 無幻御所の西に与えられた安倍一族の屋敷は、特別なものであり、無幻京の豪族の中でも無幻御所の結界内に独立した邸宅を与えられているのは安倍家だけであった。

 安倍家は古い名門であるため、血を数えれば広すぎるのだが、ここは特に安倍一族を率いる総帥とその縁者や直弟子、その他の【安倍晴明あべのせいめい】の私邸がそれぞれ軒を連ねる形で一つの景観を作り出している。


 こんな刻限ではあったが、同じ安倍家の人間であり【安倍晴明】の名を持つ瑞貴は、まるで家人を迎える自然さで安倍家邸宅の門を通ることが出来た。

 明かりも灯さず、迷うこともなく瑞貴は安倍家の書庫までやって来た。

 彼の場合立ち入るにも許可は要らないらしい。


 瑞貴が通り過ぎると、部屋の壁に吊るされている燭台に自然と火が灯った。


 更に奥の部屋に入る。


「ここは安倍家の者が執筆や編纂に関わっているが、無幻御所に納められるべき格の書物が保管されている。つまり本来は御所にあるべきだが、こちらの方が『管理』としては信頼があるからな」


 御所も守りは固いし厳重な管理の中にあるが、

 人の出入りが多いのは事実だ。

 色んな勢力の人間が出入りする為、貴重な書物は持ち出されたまま紛失することも可能性としてはある。

 

 だがここであれば、安倍家の邸宅内なので強盗も入る気が失せる、というわけだ。


 瑞貴はよくここに来るらしく、どこに何があるかは完璧に把握しているようだ。

 すぐに並び立つ棚から、一つの書物を持って来る。

 表紙に【安倍晴明】の桔梗紋が描かれているのが見えた。


「これが『桔梗院系譜』だ。

【桔梗院】に属した者の記録が書いてある。  

 私には関わりないものだが、【桔梗院】に籍を置いた者は機才殿が自らの目で才を見出した者ばかり。どのような者がいるのか興味を持って眺めたことがある」


 瑞貴は紙を捲った。


「お前は分かりやすい所にいるな」


 すぐに最後に書かれた場所を開き、そこの棚に置いて二人で覗き込む。

 最後の【桔梗院】入門者として、『野宮溌春のみやはつはる』の名があった。


 そのあとは書かれていない。


 共に学んだ者達は同じ時期あと二人いたが、自分より先に機才の弟子になり、先に学んでいた。本当に自分が最後の弟子だったのだとそれを見て溌春は実感した。  


 溌春の前の紙に、二人の名が載っている。

 そのうちの一人が『蓼原那智たではらなち』という名だった。


「蓼原那智……蓼原流は下鴨神社しもがもじんじゃ守護代を歴任して来た名門だ。

 安倍から流れが分かれて随分経つが、下鴨神社守護代は八百年前の【天響てんきょう】で開いた【次元の狭間】から、湧き出た数多の魔物が無幻京に襲来した時、最後の砦となった五つの守護代の一つだ。

 非常に優れた能力者達を輩出する血筋と聞く」


「では安倍家から離れて分流となったのは八百年以上も前のことですか」


 瑞貴は頷いた。


「蓼原流は今も陰陽師として名門ですか?」


「いや。どちらかというと陰陽師としての血は薄れている。そうすることで政の方で力を発揮するようになった。元々安倍家の分流とはいえ、血が分かれてから八百年以上経過している。当然独自の家風や秘伝も持つようになったからな。ただ、安倍家は天帝の守り人として、これは時勢に関わりの無いこと。

 朝廷で力を得るためには、安倍家の分流は陰陽道からは離れなければ重用されなかったのだろう。

 今では蓼原流は有能な文官や政務官を輩出する、豪族の名門となっている。

 とはいえ、安倍機才が那智殿を見い出したとなると、那智殿自身の霊力や陰陽師としての才能は一族としては異質な分類だったのかもしれない。

 お前は本当に思い出せないほどか?」


「残念ながら、まともに話したこともありません。

 今日……常葉女御ときわにょうごにお会いして、突然記憶が蘇ったほどです。

 こちらを見つめて来る表情が、初めてお会いして挨拶した時の那智殿に驚くほど似ていた」


 瑞貴は押し黙る。


「……常葉女御は百万遍ひゃくまんべん守護代の神楽岡家の養女になられて入内されたが元々は修学院しゅうがくいん瓜生うりゅうあたりの小さな寺におられた。幼い頃近くの村が疫病で全滅し、ご家族も全て亡くなられている。

 常葉女御の、そのような寂しい背景にも天帝は心を寄せられていた。

 優しい方だからな」


「……。」


 もう一度、溌春は目を閉じて常葉女御と出会った時のことを思い出してみた。

 瑞貴の話を聞いて、少し鎮まった心で、そういう孤独に苦労して来た女性が今ようやく天帝の妻となり、幸せになろうとしている。

 自分の余計な一言が、その幸福を潰しかねないのだ。


 真剣に、そのことを考えた。


 しばらくそうしてみたが、やはり何かが引っ掛かる。

 自分の思い違いでしたと言うことが出来ない。

 そう言うことこそ、恐ろしい感じがするのだ。


「……一時の、下らぬ感傷で、子供の自分が取り返しのつかない過ちを犯しました。

 ですが自分にはどうにも出来なかったので、私はただ無幻京から逃げ出した。

 後のことは誰かが何とかしてくれるだろうと、投げ出したのです。

 そういう私を、忘れずに……遠くまで苦労して訪ねて来て下さった方がいた」


 蛍の顔を思い出す。

 嵯峨野で庭の仕事をしていたら、祖母が客が訪ねて来たようだ、と言ったのだ。

 自分を訪ねてくる人など薬師としての依頼しか無かったから「急ぎのようならすぐに庭にお通ししてください」と告げた。

 

 そこへ現われたのが蛍だった。

 彼女は袴姿で馬に乗ってやって来た。

 八坂やさかからは馬車に乗って来たが、嵯峨野さがのまで乗り入れると噂になったり邪魔になるかもしれないと考え、嵐山のあたりで護衛とは別れて一人でやって来たのだ。


 確かにいつか嵯峨野の風景を見に行きたいと彼女は文に書いてくれていたけれど、溌春は正直な所、本気にはしていなかった。

 彼女は大納言家の姫だ。

 八坂と言えば無幻京において嵯峨野の真逆にあるような場所で、遠すぎた。

 それでも溌春は「嵯峨野に行ってみたい」と言ってくれた蛍の優しさが嬉しかった。

 いつになるかは分からないが、いつか自分の方が無幻京にいる蛍に会いに行き、文を送ってくれる礼が言えれば……そう考えていたのだから。


 蛍が嵯峨野に現われた時、本当に驚いたのだ。


 だから稲荷山の庵に彼女がたった一人で現れた時も同じような状況だったが、その時は嵯峨野の時ほど驚かなかった。

 彼女ならば、訪ねて来てくれてもおかしくないと思っていたから。


 この直感を安易な気持ちで投げ捨てたら、

 無幻京に住む、蛍を見捨てることと同じような気がした。

 彼女の家族、愛する人々を。

 蛍は確かに自分の家を捨て、溌春の元にやって来てくれたがそれは別に家族が大切でなくなったとか、そこから無性に飛び出して無関係に生きて行きたかったからではないのだ。


 自分といて蛍をどれだけ幸せにしてやれるか分からない。

 いつか、彼女は元の世界に戻ることを望むかもしれない。その気持ちは忘れたことがなかった。彼女が想ってくれていることは間違いなく信頼しているけれど、こういう暮らしをさせてはいけない人だとも強く思うからだと思う。


 無幻京はつまり、蛍の帰る場所なのだ。


 自分が去ったあとの世界で……大切な人が失われる報せを聞くことはひどく辛い。

 悲しいことだった。

 それを自分は安倍機才が亡くなったという報せを風の報せで受け取った時に知った。

 父や母が死んだことを知ったのも同じだったが、

 涙が出たのは安倍機才のことを聞いた時だけだった。


 あんな辛い思いを、蛍にだけはさせてはいけない。


「瑞貴殿。貴方と話して、心が澄みました。

 私の考えていることが正しくても、それを表に出してどんなことが起こり得るか、そのことは自分でも分かっているつもりです。

 貴方は天帝の信頼を受ける立場の方だ。

 ここから先は関わらない方がいい」


 瑞貴は野宮溌春、と書かれた紙の方をもう一度見遣った。


 後に続く名は無い。

 自分が心から敬愛する、

 自分の実の父よりも敬愛する安倍機才が選んだ、最後の弟子。

【桔梗院】に在籍した優秀な子供たち。

 安倍機才は弟子を自分の周囲に置かなかった為、弟子たちはそれぞれの道へ羽搏いて行ったが、きっとそれぞれの場所で偉大な師から教わったことが実りになっているはずだと思う。


 自分も、そうなりたかった。


 自分の名が刻まれていない『桔梗院系譜』を静かに閉じる。


「関わらない方がいいとお前が願ったところで、

 関わることになるのが私の立場だ。

 ……確かにお前の言葉が世に放たれたら、恐ろしい混乱が生まれる。

 しかし、それが真実ならそれも致し方ない。

 安倍家はこの強い陰陽師としての才と力を、真実の道をどこまでも追求することで守り続けて来た。

 我々が時勢に左右され、自分たちを庇護する天帝にのみ膝をつくようであったら、我々が口にする【魔言まごん】に真実の力は無くなっただろう。

 精霊はそういうものを、鋭く見抜く。

 世の平穏を乱すものを、敢えて私情で我々が見逃すようになれば、安倍家の力は瞬く間に失われて行くはずだ。

 私にもお前にも、先人から受け継いで来た本当の力がある。

 それは自分の手柄ではない。

 私たちはこの力を受け継いで来た以上、真実を守るためにこれを使わなければならないんだ。

 他の陰陽師達や、魔の一族が、人の世の金や損得で力を行使するかしないか、そういう生き方を許されても。

 安倍家は許されない」


 自分と同じ年頃とは思えない、瑞貴の言葉の力強さに溌春は圧倒された。

 強い言葉を紡いでも、瑞貴の表情は優しかった。


「特に、私たちは【安倍晴明】でもあるのだから」


「……わたしは、」


「お前も【安倍晴明】だ。

 忌々しくも五大妖ごたいようなどという者が、お前をそう見なしているのだからな。

 私は人の位階でその名を与えられたが、

 お前はどうやら闇の位階でそう名付けられたらしい。

 精霊に関わる者達がお前をそう呼んだのだ。

 もはやその運命からは逃れられんぞ、溌春」


 陰陽師などとっくの昔に廃業したのだ。

 幼いあの日から、陰陽術はまともに使っていない。

 

 ――では【魔言】と【呪印】を自分は忘れているか?


 もう一度溌春は深く瞳を閉じた。



(…………忘れてなどない)



 忘れられるはずがない。

 偉大な師が教えてくれた、美しい【魔言】と【呪印】。

 それまで家族の中で目立ったところの何一つなかった自分に、

 別の息吹を吹き込んでくれた人。


 溌春は瞳を開き、瑞貴を真っすぐ見返した。


「私は……無幻京が危機に晒されているのなら、それを守りたいと願います。

 無幻京が蛍殿の故郷であり、

 私の師が……自分の生涯を懸けて守り抜いた場所だからです」


 ジッとこっちを見ていた瑞貴が、明かりの中で微笑んだのが見えた。




「誰ぞ、そこにおるのか?」




 丁度その時声がした。

 振り返ると、明かりが揺れ近づいて来る。

 すぐに扉から姿が見えた。


「瑞貴ではないか」

土岐とき師範」


 瑞貴はすぐに、その場に膝をつき師に挨拶をした。

 溌春も倣う。


「どうしたのだ、このような時刻に……」


「今すぐ確かめたいことがありまして」

「夜が明けるまで待ちきれぬことか。相変わらずだな」

 土岐は少し笑いながら言った。教え子の性格はよく把握しているらしい。

 瑞貴は立ち上がる。


「そこもとは」


「こちらは野宮溌春のみやはつはると申して、私の友人です。とはいえ元々は嵯峨野の安倍家の者ですから安倍家の書庫に入る資格もちゃんと有しておりますのでご心配なく。 

 師範。夜更けに師を叩き起こすのも非礼かと思い控えましたが、こうしてお会い出来たのならばどうかご教授下さい。

 帝の許しを得て無幻京の怪異について調べている所です。

『桔梗院系譜』に名が載っている、蓼原那智たではらなちについて何かご存知ではありませんか」


 瑞貴が書を見せると、土岐の表情が曇った。


「何故無幻京むげんきょうの怪異を調べる途上でそなたが蓼原那智に興味を持つ?」


 それだけで瑞貴は何かを察したようだった。

「何かご存知なのですか」

「蓼原那智は【桔梗院】を出たあと修学院離宮の守護代に出仕していたが、亡くなったと聞いた」


「亡くなった? いつのことですか? 理由は?」


 溌春が思わず矢継ぎ早に尋ねる。


「去年の夏頃と聞いた。病だと。【桔梗院】の出身だったので安倍一族からも蓼原家の葬儀に人をやったからよく覚えている」


「まだお若いはずなのに」

「……蓼原家は、元々は安倍家同様陰陽道の名門の一つでしたね」


「八百年前の【天響】では、最後まで魔物から下鴨神社守護代を結界で守り抜いたほどだからな。優れた霊力を備えた一族であったことは確かだ」


「今では能力者は少ないのでしょうか?」

「そうであろうな。那智殿が機才殿によって見い出され【桔梗院】に入った時、久方ぶりに蓼原家から出て来た優秀な能力者だと少し話題になった。

 元々……天帝の側仕えに安倍家が重用されるようになってからは、意図的に蓼原たではら家は魔統まとうの血を薄れさせて来たほどだ」


「意図的にとは?」


「魔統の血が濃いまま政に関わると安倍家と対立する。

 その為強い霊力を保有する者を分流に流したのだ。それを繰り返し、今は本流に魔統はほとんど残っていない。那智殿のような例は特別だ」


「その主立った分流を覚えていらっしゃいますか?」


「いずれも無幻京の市街より離れた所だ。修学院しゅうがくいん高雄たかおの方であったように思う。

 気になるならば調べさせるが」


「ありがとうございます。……力の強い霊力者はその後?」

「栄えないように処置されたと聞く」

 つまり結婚などを禁じて一代限りにされたのだ。


「しかし家としては栄えなければならぬからな。分家に霊力の少ない者が生まれると逆に本家に養子として婿入りさせて本流の血は守って来た。

 無幻京でも特に安倍家との関係を重んじ、ある意味その為に大きな苦労をして来た家系とも言える。安倍に対抗する力は無いが、私も当主として朝廷に蓼原家の者がいた場合、気を遣うほどだ。それほど向こうは安倍家との付き合いに苦心して来た」


「例えば霊力の強い女はどのような扱いになります?」


 土岐ときは少し表情を曇らせた。


「女か……女の能力者はもっと話が厄介だ。下手に他流に流れれば、魔統が続いて行く。

 女は子を成すからな。これは安倍家も同じだが。魔統の家の娘は普通の豪族の娘と違って政治のことだけ考えて政略婚をすればいいということにはならぬ。

 血との兼ね合いが大事であるし、あまりに行く末に不安を覚えるような場合、子は出来ても生むことは出来なかった。陰陽師の家に生まれた娘は簡単に幸せにはならぬ」


「……安倍家も似たようなものだ。結果として血の薄い遠縁の同族と結びつくことが多い。 例え霊力の強い子供が生まれても、安倍一族の内で暮らせば、その枠組みの中で大事にはされる。魔統は外に出した時が肝心なのだ」


「……では、蓼原家の本家や分家同士で最近何か諍い事が起こるようなことはありませんでしたか?」


「諍いとな? さて……こればかりは他家から眺めてみても、漏れ伝えて来なければ捉えることは出来ぬからな。しかしさほど気掛かりになるようなものはないはずだ。今の当主である蓼原宗次たではらそうじ殿も非常に温雅な人柄で、人望も厚い。

 今年の夏ごろ百万遍にある神楽岡家で火事が起きた時も、一族の者たちを蓼原の屋敷で引き受けて新しい屋敷を建ててやったそうだ」


神楽岡かぐらおか家?」


「蓼原とはずっと前に血が分かれた遠い縁戚になる。人が亡くなったと聞いてな。

 系譜上の繋がりに過ぎぬというに、神楽岡家の養女であられた常葉女御が心を痛められてはならぬと、直ぐに人をやって救って差し上げた。

 このことで、蓼原殿は主上からも感謝を述べられている。

 そなたら……いかがしたのだ。同じ顔でそこに佇んで」


 土岐ときは不思議がり、手の中にある書を捲った。

 そしてふと、溌春を見る。


「――嵯峨野さがの野宮溌春のみやはつはる……、そうかそなた……安倍機才あべきさいの最後の弟子であったあの溌春か」


 溌春は何と言えばいいのか、という表情で押し黙った。

 安倍機才は安倍家の象徴と言うべき人物だ。

 その人の期待を裏切り、自分は逃げ出した。

 安倍の人間が自分を快く思うはずがなかった。

 

 瑞貴が、変わっているのだ。


 しかし俯いた溌春の肩を瑞貴が叩く。


「俯くな。溌春。機才殿はお前を責めてもいなかったし、全てを許されていただろう。

 師の恩情を知った後も無駄にするな」


「瑞貴殿……」


「機才殿が溌春を許したのか」


 土岐は溌春が失踪した経緯を知っているようだった。


「機才殿が溌春に残された文を読みました。私もこの目で確認しています。

 仙洞御所せんどうごしょから無断で出たこと、安倍家との縁を切って嵯峨野に逃げたこと、全て許しておられた。今は陰陽師を廃業し、薬師として生計を立てていますが、私は機才殿の文に従います。どうか、師範にもそのようにしていただきたい」


 土岐は瑞貴にとって一門の総帥であり、【安倍晴明】としても先輩に当たるが、瑞貴は自分からそう願った。

 土岐は亡き安倍機才から色々と師事は受けたので弟子だが【桔梗院】には関わっていない。あそこには幼少期から才能を見せた少年たちが見い出され教示を受けていた。

 同じ安倍機才の弟子でも、やはり【桔梗院】出身の弟子は直弟子とされ、特別な存在なのだ。


「機才殿がそう成されたのならば、私が否定することではない」


 静かに土岐は言った。

「主上にも挨拶を済ませたのか」

「はい。私が間に入り、知って頂きました。

 溌春が機才殿の直弟子であることもご存知です」

「そうか。ならば何の問題もないということだ。

 無幻京の怪異と蓼原家が……何か関わりあるのか?」


「見せていただいた『桔梗院系譜』と、お話し頂いたことで幾つか見えて来たことがあります。しかしまだお話しすべき時ではないかと」


 土岐は頷いた。


「そなたは主上から此度のこと、信任を受けておる。

 存分に【安倍晴明】として力を振るえ、瑞貴。

 我が一族が天帝の側に在り、無幻京を広く守っていると世に知らしめることこそ、世に漂う闇の芽を事前に摘み取る最も有効な技であるのだからな。

 報告、待っているぞ」


 安倍一族総帥である土岐昂大ときこうだいは瑞貴と溌春の二人を見遣り、部屋を出て行った。


 彼を見送ると、瑞貴は『桔梗院系譜』を元の棚に戻す。


「……蓼原家と、神楽岡家が遠い縁戚関係だったとはな」

「ご存じありませんでしたか?」

「ほぼ知られていない。此度のことも元を辿ればという話だ。

 常葉女御の御実家に何かあれば、朝廷の忠臣であれば我先にと力になろうとする者がいたとして不思議ではない」

「人が亡くなったと仰っていましたね」

「ああ」

 しばらく瑞貴は押し黙って考えていたが、側の燭台の火を吹き消し書庫を出た。



「今から神楽岡かぐらおか家へ行く」



 時はの刻を過ぎていた。



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