仁美との再会

 十月下旬の平日の夜、フィリピンのマニラから帰国中の仁美と達也を交えて渋谷で会うことになった。


 夕方、待ち合わせ場所の渋谷駅ビルのタリーズに行くと、テーブル席でノートPCを広げている仁美がいた。


 仁美と会うのは七、八年ぶりだろうか。いまや五〇が見えている彼女は、当時とは違いパンツルックで、年齢相応の服装だった。輪っかのピアスも初めて見た。最後に会ったとき、夫との関係に悩んでいた。そのときはまだ、彼女に思いがあった彰は、仁美を必死に口説いたのだった。しかし、彼女がなびくことはなかった。


 仁美はエスカレーターで移動しているときに、仕事をしていたことを話した。勤務先は、洗剤などを扱っている、米資本の大手メーカーのフィリピン支社だった。住居は、守衛付きのコンドミニアムで、現地では、上流の暮らしと言えそうだった。


 駅ビルを出ると、渋谷駅前は相変わらずの人だった。駅周辺の開発に加えて、インバウント客でごった返している渋谷は、彼女が最後に見た渋谷とは相当違っているはずだった。そのことに触れると、仁美は同意した。


「渋谷はユニークな街だよね。世界中探したって似たような街はないと思うよ。だから外人が惹かれるのはわかる」

「日本人にとっては、そんなにありがたいことはないんだけどね。まあ、渋谷で商売している人は恩恵を受けているんだろうけど」



 二人が向かったのは、渋谷の奥まった場所にあるタコス屋だった。屋外の席には外国人客がちらほらいた。二人ともパイントのビールに、タコスを三ピース注文した。まだ夕日が残っている都会の風景を眺めながら、タコスを食すのは乙なものだった。

「美味しい!」と言ってタコスを頬張る仁美は、彩音にはない魅力があるように思えた。マニラ帰りの女性はより親しみやすかった。仁美は彼氏のことも含めて、ほとんど隠し事はなさそうだったが、彩音はプライベートに関しては徹底した秘密主義を貫いており、夫のことはクラブで出会ったことと、DJをしていること以外何も知らなかった。


 そうした秘密主義は、関係を深める上で妨げになっているように思えた。というのは、相手のことを深く知らないことには、相手への感情は薄っぺらいものに留まるような気がしたからだ。その状態で身体の関係を持ったところで、相手のことを愛しているというのは違和感があった。


 そんなことを思っていると、彰は落ち込んできたが、表情に出たのかもしれなかった。


「あっくんは元気してるの?」

「まあ、普通かな」

「また無理な恋愛してるんでしょ?」

「えっ、なんで知ってるの?」

「ビンゴ!?」


 仁美は手を叩いて笑った。


「カマかけたのか……」

「そうとも言うか。でも、元気がないとしたら、それしか思い付かなかったから」

「勘がいいね」


 彰はそう言うと、彩音とクラブで出会ったこと、彼女がクラブDJであること、そのために、毎週末のようにクラブに行っていることを話した。


「相変わらずだよね。その年齢で。あっくんと同じような暮らししている外人、フィリピンにもいるけど、君もフィリピンに来たらそういう人になりそう」

「そりゃそうなるね。でも、ぼくもこの歳でこんな生活していると思わなかったよ。結局、ぼくは根っからのクラバーだったのかも。なんか飲み以外でほかに遊びが思いつかないんだよね。とはいえ、まったくパリピではないけど」

「わたしはもうクラブには全然行ってないよ。一緒に行く人もいないし」

「そうか。じゃあ今日は久しぶりのクラブといきますか。その女性もDJやるんだ」

「へぇ~、それは見てみたいな」


 食の芸術品とでも呼びたくなるようなタコスを食べ終わると、彰は仁美に最近の生活について訊いた。


「わたしは、もう何年も変わってないよ。ウサギと二人暮らし。仕事は忙しいときもあったけど、部署変わってからはそうでもない。まあ、フィリピンは日本とは違って、厳しくないのがいいんだよね」

「休みの日は何してるの?」

「ショッピングモールに行くことが多いかな。あとはカジノか。まあ、行く場所は限られてるよね。危ないところには行かない。あと、不良外人が行くような歓楽街にも行かない」

「そうか。カジノは日本にはないよな。ぼくはギャンブルはやらないけど、結局、株や仮想通貨やってるから、似たようなものなんだけど」

「少なくとも株はギャンブルではないと思うけど」

「たしかに株を購入することは、その企業に資金提供してることだから、そこは違うよね。でも、基本的にもうけるために株買っているから、やはりそこにはギャンブル的な要素はあるんだよ」

「……まあ、それはそうなんだろうけど、女性に対してあまりそういう正論を振りかざすのはやめた方がいいよ」


 彰はそう言われて、ばつの悪い思いをした。


「忠告ありがとう。ところで、彼氏とはどうなってるの?」


 相変わらずシドニー在住であること、毎日のようにビデオ通話していることを話した。仲は良さそうだが、一緒になれないのは辛いのではないか、とも思えたが、ともあれ、完全に人ごとになっていた。昔、仁美のことが好きだった頃なら、嫉妬したかもしれないが。そうした変化は恋愛感情の当てにならなさを示唆していた。よく恋愛は熱病にたとえられるが、彩音への思いにしてもいずれは冷めるのだろう。しかし、だからといって、それが間違いというわけではない。


「そっか。仲良さそうだね」

「わたし、また何か変化がほしいかなって思ってる。日本に戻るとか。結局、子供できなかったし。それは残念だったけど、身軽なことだけが、そのトレードオフなんだな」

「是非、日本に戻ってきて欲しいよ。子供だったら、達也が一人男の子もうけたし、見に行けばいいよ」

「……あっくんは子供欲しくないでしょ?」

「どうかな。どちらにしても、セックスしたい時点で子供欲しくないと言っても、矛盾してる気がする」

「避妊すればいいじゃん」

「まあ、それはそうなんだろうけど。もう、子供ができるような年齢の女性とヤることはない気がする」

「それもそうか」

「……話を戻すと、たぶん、そんなに欲しくはないかな。友達で若い頃から子供欲しいって言ってた人がいて、その人は実際にパパになったけど、俺はそういうのなかったから」

「じゃあ、これからの人生、何が目標?」

「目標か……。子供がいたら、子供の成長になるんだろうね。今はその女性かな。その女性ともっと仲良くなること」

「それで、できれば、その人と一緒になること?」

「……それはどうかな。そこまでは考えてない」

「えっー、そうなの? なんで?」

「そもそも、その人結婚してるし、一緒に暮らすのは現実的ではないから」

「既婚者に横恋慕してのか」

「そういうことになるな。でも、アプローチしないという選択肢はなかったし、諦めるとしたら、その人から振られたときかな……。実は俺も転機が来てて、そろそろ地元に戻ろうかと思ってるんだ」

「えっー、なんで?」

「親も高齢だし、実家も相続することになってるから」

「それはすごいじゃん。家賃払わなくていいなら、悠々自適な暮らしが待ってる。親の介護はあるけど」

「どうなんだろうね。それは違うと思うけど。金銭的にはわからないけど、一人暮らしの方が悠々自適だよ。それに、東京圏の方が刺激もあるし。だけど、地に足がついてない感じはするんだよね。実家がある以上は、その問題に向き合うのは避けられないと思うんだ。だから、戻るのはいいんだけどね」

「なるほどね。じゃあ、その人に振られたら戻るんだね」

「そうだけど、それだと戻りたくない、となるよな」

「ハハハ、なかなか難儀だね」


 仁美はそう言うとビールを飲み干した。


 

 二人はタコス屋を後にすると、道玄坂HUBに入った。そこで達也と合流した。スタンディングテーブルを囲んで三人で乾杯すると、以前達也の彼女を含めて四人でディスコに繰り出していた頃を思い出した。あれから十年余りが過ぎているのに、こうしてまた会えたことは感慨深いものがあった。三人の中で最も大きな変化があったのは達也だった。当時は低賃金の仕事に喘いでいた彼だったが、あれから数年でそこそこの年収の勤め先に転職し、結婚して、子供までもうけた。世間的には達也は勝ち組と言えるだろう。彼は仁美に自分の子供の写真を見せていた。彼女は目を細めている。子供の有無は特に女性の人生の中で大きな意味を持つだろう。産む性としての役割もあれば、社会的な期待もある。それらは少女時代から刷り込まれてきたことだ。


 そうした見方を前提とすると、仁美や彩音は自分と同じような立場ではないか、と思えた。つまり、社会からの期待を裏切っているという意味で。もっとも彩音については、子供をつくる意志が最初からなかったとしたら、負い目などないのかもしれないが。いずれにしても子供がいない中年女性という身分は共通している。それは独身中年男性と似たような社会的ステータスなのかもしれない。 


 フィッシュアンドチップスやピザをつまんでから、三人は今夜最後の目的地である道玄坂のDJバーへと向かった。



 道玄坂のDJバーは、以前、彩音と二人で来て以来だった。午後九時過ぎという早い時間のため、ガラガラだったが、彩音はすでに店内にいた。彰はさっそく彼女に二人を紹介した。仁美がマニラから一時帰国中であることを伝えると、「遠路はるばるありがとうございます」と彩音。彼女は三人にテキーラのショットをおごった。テキーラでの乾杯はテンションが上がるものである。


 それからめいめいがドリンクを片手に、思い思いに音楽に身を揺らしていた。彩音は彰に「今日はお友達連れてきてくれてありがとう」と言って笑顔を見せた。


「三人とも同時期に知り合ったんだ」と彰。


 自分と達也が出会い系サイトで仁美を介して知り合ったことを話した。


「へぇ~、そんな出会いなんだ。おもしろいね」

「都会には出会いって無数にあるような気がするよ。でも、続くのは稀だよね。簡単に縁が切れるから。田舎にはそういうのはない気がする。出会い系もたぶんやってる人ほとんどいないだろうし」

「それはそうだよ。人が少ないんだから」


(そして、田舎に彩音のような女性はいない。……俺はクラブに淫し、その挙げ句、都会の享楽を象徴するような女性に出会ったのだ)


 彰は二〇代の頃、都会に異様にコンプレックスを抱いていたことを思い出した。自宅は多摩地区だったが、都心のカフェや有名なセレクトショップに頻繁に足を運んでいた。そうすることで、自分が東京に同化できるとでもいうかのように。クラブは、その当否はさておき、東京を象徴する場所という位置づけだった。クラブに通ったのも、そうしたコンプレックスが後押ししたと言えるかもしれない。


 ともあれ、いまや三〇年を超える東京圏での年月を経て、一つ変わったのは、人との距離感である。昔、ほとんど誰とでも密な人間関係を持とうとしていたことを思い出した。今から思うと、笑止千万と言うほかないが、そうした態度は、知り合いは皆、兄弟のような田舎の人間関係しか知らないことが原因だったのかもしれなかった。


(長い都会暮らしで、人間関係への態度も変わったようだ。田舎に居住したら、今度は田舎の人間関係に悩まされることになるだろうか)


「これ、佐渡出身なんすよ。知ってました?」


 達也が彩音に話しかけてきた。


「あー、そうだっけ。聞いたと思うけど忘れてた」

「それで、佐渡帰ったら、DJになるんだって」

「えー、いいじゃないですか。彰さん帰るの?」

「……俺が地元に帰ったらどう思う?」

「え~、そりゃあ淋しくなると思うよ」

「だってさ、よかったね。彼女のためにこっちにいてやりなよ」


 達也はそう言ってニヤけた。彰は自分のセリフを言われて苛ついた。


「そう言ってもらえると、嬉しいよ……。というか。俺の方こそ君と会えなくなったら淋しいけどね」


 彰は達也を無視してそう言ったが、前に仁美とも似たようなやりとりをしたことを思い出して、ハッとした(そのときは、東京を離れるのは仁美のほうだったが)。同じ轍を踏んでいるような気がして、不安になった。


「また飲みに行こうよ」


 彰はひとまず当初の目的を果たそうとした。


「いいよ。でも、最近DJが忙しくて」


 彰は食い下がって、十一月下旬の平日にアポを入れた。


 彰は達成感を胸に、壁際のベンチに座っている仁美の隣に腰を下ろした。


「あっくんもなかなかやるじゃん。思ったよりも美人」

「……君にそんな風に言われると、リアクションに困る」

「いいんだよ。わたしは応援してるよ」

「ありがとう」


 彰はそう言って、仁美とグラスを合わせた。かかっている曲は、浮遊感のあるメロディラインが特徴のディープハウスだった。彩音と達也はフロアで談笑していた。彰はビールをちびちびやりながら、四人を包み込むポジティブなバイブスを感じていた。

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