恵比寿のDJバー再訪

 彰が退院後に彩音と会ったのは、九月の最初の土曜日だった。まだまだ暑い九月の夜更け、彰は二度目となる恵比寿のDJバーに行った。


 彩音は彰を認識するや否や、声を掛けてきた。


「手術、大変だったでしょ? もう大丈夫なの?」

「うん、手術は全身麻酔だったからなんともなかったけど、その後がね。辛かったよ。手術は無事成功したから、日に日に良くなってると思うよ」

「それは良かった。わたしが出演したパーティからの帰りだから、責任感じちゃって」

「そんな、完全な自己責任だよ」


 彰はそう言ったものの彩音の言うことにも一理あると思った。ロジカルには彼女には何の責任もないが、それでも彼女が関与していることは事実である。そうしたとき、人は何かしらの責任を感じてしまうものである。


「今日は久しぶりに会えて嬉しいよ」


 彩音と会うのはおよそ三週間ぶりであり、彰の中で歓喜が沸き立っていた。髪型が変わっていることに気づいた。前よりも短くなり、ワンレンっぽくなっていた。そのことに触れると、「よく気づいたね」と彩音。「やっぱり短いほうが楽なのよね」。



 彩音がDJを終えた深夜、人がまばらなフロアで彰は彼女のそばで踊っていた。彩音はいつものように楽しげに踊っていたが、彰はいつもとは勝手が違った。大音量の音楽の中で身体を揺らしながらも、愛の告白という企図で不安でいっぱいだった。


 彰はなかなか言えなかったが、グラスを重ねるごとに、気が大きくなり、午前三時過ぎについに彩音の耳元で声を上げた。


「病院ではずっと彩音さんのことを考えてたよ。俺、君のことが好きなんだ。好きだ!」


 彰はフロアで踊る彩音の耳元で言った。彼女は凍りついたように無反応だった。


「キスしたい!」


 彰はそうたたみかけた。


「ダメだよ。ここは職場みたいなものだから」

「じゃあ、店の外ならいいでしょ? 階段のところでどう?」

「この関係を続けていいものかどうか……」


 彩音は頭を振ると、困り顔でそう言った。その言葉に彰は肺腑を抉られた。一気に追い詰められた思いがした。


「そんな。俺と会えなくなってもいいのかよ!」


 彰はそうわめいた。彩音は無言だった。彼は女性から離れ、バーカウンターの空いている席に座った。手持ちのドリンクを飲み干すと、追加のドリンクを注文した。誰も彰に話しかけなかった。男は酒を急ピッチで胃に流し込んだ。



 帰り際、彰は今度はいつ会えるか訊いたが、彩音は明言を避けた。彼は失意を胸に恵比寿駅に向かった。



 日曜日の午前十一時過ぎに目が覚めると、彩音にメッセージを送った。


〈昨日は暴走しすぎたかな。困らせたらゴメン〉


 それが精一杯のメッセージだった。天気は曇りだった。ベッドから抜け出して、簡素なブランチを摂っている間にも、不安に胸が押しつぶされそうだった。


(しかし、告白したのは間違いではなかった。そうしなかったら、きっと後悔していたはずだ)



 昼間は、彩音からのメッセージを気にしつつ、YouTubeの動画やNetflixのドラマを見たりして過ごした。しかし、何を見ても上の空だった。日曜日のルーチンである掃除もサボった。


 夕食にはサバ缶のおかず、パックご飯、インスタントの味噌汁、冷凍ブロッコリーを摂った。夕食を済ませると、エロ動画を漁った。しかし、そうした動画を見ても、オナニーする気になれなかった。不安が渦巻いていた。喉元に匕首を突きつけられているような心持ちだった。希望を打ち砕くにはたった一つのセンテンスで十分だった。


〈私たちもう会わないほうがいいと思うの〉。そうしたメッセージだけで、彩音との未来は潰える。



 戦々恐々として待っていた彩音からのメッセージが届いたのは、月曜日の朝だった。


〈土曜日はありがとう! 来てくれて嬉しかった〉


 彰はそのメッセージに拍子抜けすると同時に歓喜した。


(マジか!? これは夢ではないよな)


 彰はすかさず返信した。


〈ありがとう! またイベント行くよ!〉


 秋口の月曜日の朝に、彼はこれまでにないほど高揚した。


(まだ続くんだ。また会える。すごいことだ、これは)


 彰はベッドから抜け出すと、部屋の掃除に取り掛かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る