思わぬ落とし穴
梅雨開けを迎え、夏になっても相変わらず、彰は毎週のように彩音が出演するパーティーに出かけていた。
お盆の季節は、神田のクラブまで遠征した。その天井が低く、アングラな雰囲気満載の小箱は、再入所可だったので、彰は彩音に挨拶すると、いったんクラブを出て、近所の居酒屋で飲酒した。
その後、クラブに戻ってからも飲酒を重ねたせいで、そのクラブでの記憶は断片的なものになっていた。彩音の服装や笑顔は覚えていたし、一緒に映った動画からいい雰囲気だったことが伺えたが、いかんせん彩音とどんな会話をしたかほとんど覚えてなかった。
その日、強烈に覚えていることと言えば、クラブからの帰りに最寄り駅から自宅へ自転車で向かう途中に落車し、左肩を強打したことだった。そのとき彰は激痛に大声を上げた。
落車から数日後、近所の整形外科に診てもらったが、そのとき左肩鎖骨の骨折が発覚した。彰は、医院で指示された鎖骨固定帯を着けて帰宅した。
その日の夜、彰は泰子に電話して、骨折していたこと、大病院で手術を受けることになったこと、手術の際に必要な緊急連絡先に泰子の連絡先を使いたい旨を伝えた。泰子は了承した。また、病院で、鎖骨固定帯を明日までそのままにしているよう言われたことを話した。しかし、真夏ですでに汗をかいているのにそれは事実上不可能であった。あまりに現実離れした話だと彰は苦笑交じりに言った。泰子も「そうよね」と笑った。
泰子に連絡した後に、彩音にも骨折して、手術を受けることになった旨のメッセージを送信した。一五分しないうちに返信が来た。それは、自分も足首を骨折した経験があることに触れ、骨折したことに深い同情を寄せる内容だった。足首骨折は考えただけで身震いした。ともあれ、彩音のメッセージには、大いに癒やされた。彼女が優しい女性だという見方がますます強まった。
翌日の木曜日に大病院で診察・検査を受けた。金曜日に手術し、日曜日まで入院する運びになった。
全身麻酔の手術は難なく終わった。というより、医者に「では、眠くなりますよ〜」と言われた後のことはまったく覚えておらず、気づいたら病室に戻っていた。左腕はまったく感覚がなく、他人の腕、あるいは死体の腕のようでゾッとしたが、徐々に感覚が戻ってきた。それと同時に、創部の痛みが増してきた。深夜には痛みが耐え難いものになり、看護師に痛み止めを頼んだが、座薬の痛み止めしかないと言われて、怖気付いた彰は断念した。
痛みは何時間かでピークアウトするものと思っていたが、まったくそんなことはなく、猛威を振るい続けた。この夜に死ぬのではないかという思いが強まった。創部を下にするなど、いろいろと試したが、埒が明かなかった。一秒一秒痛みに悶える中で、まだ彩音に思いを伝えていないことが蟠っていた。
(彩音、好きだ。好きだよ。出会った夜からずっと)
彰は彼女にそう伝えることを固く誓ったが、果たしてまた
彰は、彩音の記憶——彼女の笑顔や踊っている姿、交わした言葉など——をかき集めた。それらは希望と快楽の源泉であり、生きる活力となるものだった。出会って以来、会えない日も、彼女を思い、希望を描いていた。今ほど、彼女のことが強く思い起こされたことはなかったが、いくら彼女のことを思っても痛みが弱まることはなかった。
(本当に俺は朝を迎えることができるのだろうか? できるはずだ。この痛みにもかかわらず。そうでなかったら、病院にとって一大事であり、マスコミの格好のネタになり、病院の信頼が大きく傾くことだろう。しかし、痛い。我痛むゆえに我あり)
彰はそんなとりとめもない考え事をしていたが、やがて気力もなくなり、ただひたすら朝を待つ以外何もできなくなった。痛みの中でジリジリと時は過ぎ、ついに看護師の朝の見回りの時間になった。
彰は看護師に痛くて眠れなかったことを伝えた。すると、彼女は飲み薬の痛み止めを持ってきてくれた。薬を飲むと痛みは和らぎ、やがて睡魔に襲われた。
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