再会

 梅雨入りした頃、彰は彩音が出演するイベントの会場である恵比寿のDJバーに足を運んだ。彩音に送った自分の誕生日を伝えるメッセージには返信こそ来たものの、飲みのアポはいまだに取れてなかった。出会ってから一か月以上が過ぎ、顔も曖昧になっている今、これ以上会わないでいるともう相手への思いを持続させることもできないように思えた。


 彰は真夜中近くにDJバーの入っているビルの前に着いた。二階のフロアからドンドンというバスドラムの音が路上に漏れていた。バーのドアを恐る恐る開けると、かなり暗い空間で、目の前にバーカウンターがあった。彰は男性のバーテンにエントランスフィーを支払い、最初のドリンクを受け取ると、「今日は誰か目当てのDJがいらっしゃるんですか?」と訊かれた。


「えっと、AYANEさん」

「AYANEさんでしたら、今、DJ中ですよ!」


 窓ぎわのDJブースでは、中年女性がプレイしていた。


 彰がフロアに移動して、距離を置いて彩音を見たとき、DJ機材に視線を落としているというのもあるが、知らない女性のように思えた。この一か月余り夢見ていた女性は恐らくは美人だろうが、最初に会ったときの印象とはだいぶ違った。


 やがてDJが終わったが、彼女は彰をスルーしてフロアにいる他の人たちとハイタッチやハグをしていた。彰はそんな彼女を尻目にどうしたものかと思案していたが、やがてバーテンの男性が自分のことを彼女に話した。


「前にエートスで会った方ですか?」


 彩音がそう話しかけてきた。


「そうです。もう顔、忘れましたよね」

「……今日は来てくれてありがとうございます!」

「なかなか会えないから来ちゃいました」


 それはアポが取れないことへの当てこすりだった。


「ごめんなさい。……ここは初めてですか?」

「はい、入るのなかなか緊張しましたよ」

「ですよね。真夜中にありがとうございます」


 フロアにはハウスが大音量で流れているため、自ずと近距離で会話する必要があるが、彰にはそれが嬉しかった。


「そういえば、普段は何をしてるんですか?」「一人暮らしですか?」


 彰は基本的なことを訊き、お互いの仕事や居住地を開示した。彰は彩音が神泉に住んでいることに驚き、結婚していることに少なからずショックを受け、思わずよろめいたほどだった。


「結婚してても遊んでくださいよ〜」


 彩音はそう言って、微笑んだ。彰はその言葉に救われた気がした。


「はい。ところで、お子さんはいらっしゃるんですか?」

「いえ、いないです。……こんなこと言うと、引くかもしれないけど、わたし、子供好きじゃないので。子供がいたら、当面は子育て以外何もできなくなります。当然、クラブにも行けないでしょうし」

「……ああ、そうでしょうね」


 彰は昂奮気味に話す彩音に気圧された。


「何か奢りますよ」と彩音。


 彰はウオッカトニックを奢ってもらい、カウンターの席に二人並んで座った。


「今日はよく来てくれましたね」


 バーテンはそう言うと、自分がこの店のオーナーであること、またDJであることを明かした。


「今日はプレイするんですか?」

「いえ、ぼくはヒップホップのDJなので」

「そうなんですか。それでも、テクノ・ハウスのイベントをやるんですね」

「ええ、やはりこっちのほうが集客が見込めるので」

「へぇ~、それは立地のせいですか?」

「そうだと思います。渋谷近辺ではこっちのほうが盛んですからね」


 彰は頷くと、「今日は来てよかったです」と彩音のほうに向き直って言い、グラスを合わせた。


「ここは、何度か来てるけど、居心地がいいのよ。お酒も安いし」

「同じこと言っている知り合いのDJがいました。ここでDJしたのはだいぶ昔ですが」

「そうなんですね。DJのお友達が多いんですか?」

「いえ、友達と言えるような人はいないです。この前のエートスのパーティーをオーガナイズしたダーザインのイベントにはよく行きますけど。たぶんここ二年くらい前から。前にWOMBウームのイベントで出会って誘われるようになって」

「へぇ~、そうなんですね。WOMBはよく行きますよ。家からも近いし」

「ですよね。ほんとに羨ましい立地です」

「でも、いいことばかりじゃないですけどね。あまり治安が良い場所ではないし、狭いし」

「そうかもしれないですけど、神泉に住んでいる人に会ったのは初めてです」


 彰は内心で彩音との経済格差を痛切に感じており、アプローチするのはかなり無謀なことではないかと思っていた。とはいえ、何一つ迷いがないことは事実であり、だからこそ深夜にこのバーに一人で出向いたのだった。


「大倉山は、住みやすいんじゃないですか。行ったことないですけど、高級住宅街なのは知ってます」

「まあ、ぼくの住んでいるところは駅からかなり離れているので、高級住宅街という雰囲気はないです。でも、確かに駅周辺はどこか小洒落ていますね。缶酎ハイ持ってウロウロしてる人はいないです」

「ハハハ、そうでしょうね」

「ぼくがよく行く飲み屋街ではまったく違和感ないんですけど。ぼくも缶酎ハイで路上のみしたことあります」

「そうなんですか。わたしも飲むほうですよ。ビール派ですけど」

「ぼくもビール好きです。今度飲みに行きましょう」

「是非」


 彩音はそう言うが、彰は疑っていた。また日程が決まらないというパターンになりそうだからである。彰は具体的な日にちを挙げた。ひとまず再来週末に決まった。


「踊りましょうか?」


 彰はそう言って笑いかけた。

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