家族旅行

 五月最後の週末の晴れた日に、彰は初めて新幹線の高崎駅で降りた。両親と弟との一泊二日の家族旅行のためである。


 二年前に親は結婚五〇周年を迎えていた。そうしたことを祝うのは子どもの務めなのだろうが、彰が自発的に旅行を企画したわけではなかった。そうした密な親子関係はなかった。それは価値観の相違のためだと彼は考えていた。しかし、親が年寄りになった今、そうしたことを超えて、生物学的な限界こそが親との交流を貴重なものにしていた。いくら価値観が違うとはいえ、彰がこの世に生を受け、二〇数年にわたり金銭的な援助を受け、さらに何百万もの金銭を譲渡した親を無下にできなかった。


 およそ二年ぶりに会う父親は、最後に会ったときよりもいっそう老いていた。背は曲がり、足はガニ股になっていた。


 目的地は、富岡製糸場と妙義神社だけだった。日暮れ前に二つの目的地に寄り、タクシーで旅館に着いたのは午後五時頃だった。テレビを見た後、温泉に入ってから夕食の席に着いた。


 夕食は個室が会場だった。和室にテーブルが置かれており、旅館のスタッフが食べ物・飲み物を運ぶ形式である。


「いろいろとおめでとう!」と彰は乾杯のときに声を上げた。そこには、結婚五〇周年だけでなく、妙義神社参拝へのお祝いも込められていた。急な石段で有名な神社の参拝は、特に父親にとって過酷だった。


 上りは、石段に手をついて這うようにして上った父親だったが、下りは、より危なっかしかった。彰は横に付いていたが、万一足が滑っても支える自信はなかった。慎重に、一歩一歩、身体を横向きにして下り、なんとか最後まで下って、彰はほっとして父親から離れたが、その直後に足が止まっていた。すでに限界が来ていたようだった。彰は慌てて駆け戻り、母親と二人で身体を抱えてお土産屋のテーブルに着かせた。


 彰は歩けなくなった父親を見て、途方にくれていたが、しばらく座っていたら、回復したようだった。しかしながら、もはや身体障害者とほぼ変わらないケアが必要であることは衝撃的だった。


「旅の目的が果たせて良かったね」

「ああ、危なかった。来年だったら、たぶん無理だったのう」 

「これから鍛えればもっと歩けるようにならあさ」


(鍛える、これから?)


 彰はあまり同意できなかった。鍛えることで老いを跳ね返せるとは思えなかったからだ。



 一泊二万弱の旅館だけあって、夕食は豪勢だった。お品書きを見て、まだこんなにあるのか、と皆言っていた。昼に食べた天ぷらそばは余計だったと皆思っているに違いなかった。というのも、また同じ天ぷらが出るからである。


 入れ替わり立ち替わり訪れるスタッフに世話を焼かれての食事は、あまり好きではなかった。例えば、スタッフは、一人ひとりの場所に移動してドリンクを置いたが、一箇所にまとめて置けばよいのにと考えずにはいられなかった。そうして人を動かすのが贅沢なのだろうが、彰には悪趣味としか思えなかった。


 四人の中で、彰は自分だけが、人生でまだ変化の余地があることに気づいていた。賃貸アパート暮らしである彰が実家に帰ることは半ば決まっていた。親も老い先短い今、いよいよ具体的な時期を訊かれるかと構えていた。


 田舎では「家を継ぐ」ことが、とりわけ小田島家という旧家では、至上命題だった。そして、それは長男である彰の役割となっていた。実際、彰自身、昔からそのことを意識しており、海外に移住した友達を羨ましく思っていた。彰は年々、そうした習慣に反発を覚えるようになり、家の廃棄という考えに傾いていた。家であれモノであれ所有することに対して、嫌悪を感じるようになっていた。江戸時代に建てられたという家屋や土地を守り続ける人生は、およそ二一世紀の生き方とは思えなかった。例えば、もし自分に子供がいたとしても、彼/彼女に家を継ぐことを求められるかと言えば、大いに疑問だった。


「今度は、健二が子供を連れて妙義神社に行かんならんぞ」と彰は対面の弟に言った。町の大半を焼き尽くしたという江戸時代の大火があったが、そのとき、家に滞在していた妙義神社の山伏の祈祷のおかげで家屋は大火を逃れたそうである。そのお礼に一代に一度は妙義神社にお参りに行くという山伏と交わした約束があったと聞かされていた。今度は弟の子供がその役目を果たす番である。


「そうか。まあ、忘れなければ。でも、家もあと何年持つかわからんしな。家がなくなればその約束も反故になるだろ?」

友樹ともきの代はまだ持たあさ。屋根を新しくしたり、いろいろと手直ししとるから」


 そうだとしても、前時代の遺産である家屋はもはや機能性の面からも次の世代には耐え難い気がしていた。



 およそ一時間半ほどかかった会食は、あまりいいものではなかった。美味しい料理ばかりだったが、明らかに過剰摂取だった。親は食べきれなかった。もったいないと言えたが、あと何年生きられるかわからない親にとっては、贅沢がすべてに勝るとも考えられた。

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