五〇歳の誕生日
彰が五〇歳の誕生日を迎えた五月某日、折しも金曜日だったが、彰には何の予定もなかった。エートスでの夜から彩音とは会えてなかった。飲みに誘うメッセージにはOKしてくれたものの日時を決める段階で、レスが途絶えた。
誕生日の夜、彰は駅前のすき家で豪勢なディナーを摂ると前に何度か行った近所のカラオケバーに行くことにした。そこのマスターと常連客とは多少話したことがあった。一昨年の誕生日にそこで祝ってもらったが、やがて足が遠のいた。結局、彼はカラオケのある店が好きではなかった。
その店の引き戸を緊張しつつ開けると、彰より年長と思しき二人組みの男性客がいた。マスターは彰より五歳くらい年下だった。マスターは、「いらっしゃい」と声をかけてくれたが、一年以上ご無沙汰だったので、気まずかった。
彰はビールを飲みながら、二人とマスターとの会話を聞いた。二人のうち作業服の男性は、近所の工務店の経営者らしかった。二人とも相当飲んでいるようだった。当初は自分の子供のことを話していたが、彰が来たこともあってか、下ネタへと傾斜した。作業服の客が奥さんのマンコについて話した(ウチのはすぐ濡れるのよ、云々)。野郎だけの場合、そうした話題こそが盛り上がった。彰はといえば、直近のマンコは、およそ半年前に舐めたピンサロ嬢のものだったが、そのマンコももはや忘却の彼方だった。
「お兄さんはどーですか?」と客から話題を振られても「最近、ヤッてなくて」としか答えられなかった。
本来なら今日は女性と過ごしたい日だった。そしてできれば、マンコに与りたかった、と彰はしみじみと思った。
やがてカラオケタイムに突入した。彰も一曲ほど昔の曲を歌ったが、驚くほど声が出なかった。「もう少し元気だそうよ」と客に言われるほどだった。
結局、誕生日であることを言い出せず、彰は一時間経たないうちに店を出た。
家に戻るとまだ九時台だった。彰はYouTubeで動画を見たあと、FANZAでエロ動画を物色したあげく、『極上!!四十路奥さま初脱ぎAVドキュメント 里中みづき』を購入し鑑賞した。その中で四〇代の女性が見せるフェラや性器を突かれる姿、感じている表情、喘ぎ声に陰茎が反応した。誕生日にオナニーとは自虐的ではないか、という気もしていたが、結局、してもしなくても変わらないとも考えられた。エロ動画収集はもはや習慣になっていた。エロ動画を見ずに、生きていく自信がなかった。「エロオヤジ」とは昔からよく聞くフレーズだが、完全に自分がそうなっていた。男は皆エロオヤジというのは半ば正しいとしても、女性との愛に満ちた(あるいは少なくとも合意の下で)性行為をしている男にはそうした蔑称は当てはまらないだろう。なぜなら、彼らはエロ動画でオナニーしている男とは違い、エロティックラブを実践しているからだ。
射精後、虚脱感に襲われた。彰は自分が二〇代の頃に知り合った同年代の大人たちのことを思い出していた。彼らは経営者だったが、スーツを着て、家庭があり、高校生や大学生になる子供がいた。未だに若い頃とほとんど変わらない生活をしている自分とは何と隔たっていることだろうか。そういう人たちから見たら、どうしようもない男に見られるだろう。人の目は気にしないが、自分自身は果たしてどうなのか? 今の人生に満足しているとは到底言えない。セックスできる女がいない、低収入、友人が少ないなどいずれもマイナス要素だが、そうしたことは問題だろうか? わからない。そもそも結婚や高収入が人生の目標になったことはなかった。とはいえ、ただ年を取るだけだとしたら、それはどうなのか。しかし、ただ年を取るだけという人など実質的にはいない。例えば、仕事や人との出会いなど日々変化があり、その中で人は変わっていると考えられる。もちろん、それは自分にも当てはまるが、一つ言えるのは、以前のように熱心になれるものがないということだった。
彰が一時期熱心に取り組んでいたことは小説創作だった。二十代後半から二十年余り何かしら小説は書いていたが、最後に書いたのは三年以上前だった。
いつからかめんどくさい、という思いが上回るようになった。彰が公開した小説にはほとんど感想はつかなかった。感想がついても書けるかどうかわからなかったが、少なくともやる気にはなっただろう。感想がないこともまた一つのリアクションと言えた。それが意味することは、ほかのことやるべきということだった。
実際のところ、彰に創作への強い思いなどなかった。いったいどれほどの人間が小説という形で自分の思いを言葉にしているだろうか? ごく限られた人間だけである。マジョリティである消費するだけの人間ではなく、少数の生み出す側に立っているということにエリート意識をくすぐられた。小説を通して、プライドを手に入れるという思惑があった。しかし、自分の小説は感心も注目もされない。それが違いを生むわけではない。それならば、書く意味などあるだろうか?
結局のところ、書くことは承認欲求と密接に結びついていた。つまり、他者から認められるための行動という側面は確かにあった。しかし、一方で書くことの快楽も知っていた。書くことは、思考することであり、探求することである。それがおもしろくないはずがない。
彰は、彩音に今日が誕生日であることを伝えていなかったことを思い出した。どこか自分から言うのは押し付けがましいと思っていたが、そういう体裁などどうでもいいと思えた。好きな女性に自分の誕生日を祝ってもらいたいという強い願望が上回った。
〈こんばんは。元気? ところで、今日は僕の誕生日です。五〇歳になりました〉
彰はそうメッセージを送った。彩音の顔を思い描こうとしたが、うまく思い出せなかった。
寝落ちして、午前四時頃に目が覚めたタイミングで、スマホを見ると、母親から再来週に控えた家族旅行に関するメッセージが来ていた。
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