第18話

 灰色の建物は、思っていたほどぼろぼろではなかった。むしろ、味のある古ぼけかたをしたビルだったので、ゼレックは好印象を持った。「ギルドール印刷」と黒味を帯びた銀色の字で彫り込まれた門をくぐり、ゼレックは面接室のある三階へ上がる。

 木の扉を叩くと、

「どうぞ。お入りください」

 と、返事が返ってきた。

 面接官は、白髪で、クリーム色のスーツに身を包んだくだけた感じの男だった。

 仕事への意欲や経験などの他にはほとんど何も訊かれず、青春時代にはやった音楽や本の話で盛り上がるうちに面接は終わった。

 面接官は副社長だということで、

「明日から来てください」

 と、あっさり採用してくれた。

 ゼレックがかつて議員だったのももちろん知っていたそうだが、議会の不正でクビになったことなど、さして問題にはしないようだった。

「政治にくわしい人もいてくれたほうが、何かと心強い気がするんでね」

 と、副社長はちゃめっけたっぷりにウインクしてみせた。月並みなたとえになるが、まるで少年のような人なのだ。

 最近の世の中では、実際の子どもたちよりも、かつて子どもだった大人たちのほうが、無邪気に生きているような気がする。シスリルやアイシェルなどを見ていると、特にそう思う。

 あまりに簡単に仕事が決まったので、ゼレックは何だか気が抜けてしまった。おおまかな仕事の説明を聞いて、予定よりも早く帰宅し、揺りイスで考え事をしているうちに眠りに落ちた。



 子ども同士で過ごす時間の流れは、ずいぶんと早い。ホールでボール遊びをしたり、部屋でトランプをしたりするうちに日が暮れて、あっというまに就寝時刻になった。

 レシテカは勉強のためべつの部屋で一人起きているらしいが、シスリルたち四人は、静かに眠るようにアリムエルさんに言われた。

「はあい」

 と、一応返事はするものの、みんな興奮していて眠れない。電気を消してからも、ユゼールは小声で話しかけてくるし、シノンは懐中電灯を探してきて、「怖い話をしよう」と言いだした。

 シスリルは、久しぶりにはしゃぎすぎて少し疲れが出てきていたが、彼らの話がおもしろくて、つい夢中になってしまった。

 時計の針が十二時をさし、会話が途切れて静まり返ったとき、

「アイシェル、おまえ、もう眠いだろ?」

 と、ユゼールが暗闇に声をかけた。

 返事はない。

「もう寝ちゃったんじゃないの」

 シノンが言った。

 三人は黙ってみたが、寝息は聞こえない。

 シノンが小さな懐中電灯で部屋を照らした。アイシェルの姿は見当たらない。

「さっきまでいたよな」

 シスリルはかけ布団をめくって、ベッドの下までのぞいてみた。彼女はどうやら、この部屋にはいないようだ。

 どこから出ていったのだろう。

 ドアはアリムエルさんがカギをかけていったけれど、窓は開いている。ここは一階だ。

「あいつ、窓から出ていったのか!」

 ユゼールが大きな声を出した。

 小さな女の子なら簡単に抜け出せるに違いない窓の向こうで、卵色の満月が、大地に光の糸を投げかけている。

「アリムエルさんや先生たちに言おうか」

 シスリルは二人に意見を求めた。

 もしもここにいるのが自分一人だったら、迷わずそうしていただろう。実際、それがいちばん正しいのだと思う。

 けれど、同世代の少年二人の前で、優等生ぶった行動をとるのは、恥ずかしくていやだった。何でも大人に頼ったりしたくない。

 あとの二人も同じ考えだったのだろう。

「ぼくたちだけでも探せるよ、きっと」

「そうそう。先生たちももう寝てるだろうし。叱られたら面倒だからね」

 と、強がった意見を口にした。

 三人はうなずきあってベッドを抜け出し、アイシェルが出て言ったらしい窓から静かに外へ降り立った。

「手分けして探そう」

 いつかどこかで聞いた覚えのあるセリフを口にして、べつべつの方向へ、少女と犬を探しに向かう。



 アイシェルの、青白い小さな手には、きらりと光るナイフが握られている。腕の中の小犬は眠っていた。

 少女はザクザクと足音をたてながら、バラ園のほうへ歩いていく。追ってくるのは、月の光だけだ。

 少年たちが盛り上がっている間に、そっと窓から外へ出たアイシェルは、近所の料理店で店内の片付けをしていたコックに、

「ナイフを貸して」

 と、声をかけた。

 コックはぎょっとして、尋ねた。

「何に使うんだい、おじょうちゃん」

「おまじないよ。パパのためなの」

 少女が答えると、コックはそこいらにあったナイフをすべて引き出しにしまって、首を振った。

「こんなものを遊びに使うんじゃない。もう遅いし危ないから、早くおうちに帰りなさい」

 遊びなんかじゃない、と少女は言い返したくなったが、相手が怖い顔をしていたので、おとなしくその場を立ち去った。

 そして今度は、まだ明かりがついている家を探して戸を叩き、出てきたおじいさんに同じように頼んだ。

 おじいさんも驚いて、

「何に使うのかね?」

 と、訊いた。

「鉛筆を削るのよ」

 アイシェルは、この上なく無邪気な表情で嘘をついた。

 おじいさんの心には、この可愛らしい少女を疑う気持など、みじんもわかなかったに違いない。もしかしたら、そろそろ眠くなってきていて、頭がぽぅっとしていたせいもあるかもしれない。

「使い終わったら、すぐ返しておくれ」

 とだけ言って、ナイフを貸してしまった。

「ありがとう。たぶん明日返す」



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