第17話

 次会うまでに忘れるまい、と少年は誓う。また近いうちに行くつもりだった。

 初めて彼らに会ったときは、生意気でいやなやつらだと感じたが、話してみればちっともそんなことはなかった。あそこは、シスリルが大きらいな学校とは違う。

 行く前に、「絵を描く楽しさを教えてあげてほしい」と言われたけれど、教えることなんて、実際には何もなかった。楽しい気持ちはシスリルが運んだものではなく、三人が素直になったときに自然に広がっていったのだ。自由に絵を描くことのおもしろさなら、たいていの子どもは最初から知っている。教えることなんて何もないけれど、それでも、また彼らに会いたかった。

(今度は、他の遊びもしてみたいな)

 シスリルは、口元をゆるませて、少しずつ眠りに入っていった。



 少年はそれから、何度も施設を訪問した。

 外から来る人をきらっていたユゼールも、シスリルが自分と似た環境で育ったことを知ってからは、歓迎してくれるようになった。彼が外部からのボランティアをいやがっていたのは、何となく同情されているように感じていたからなのだ。

 シノンは相変わらず無口だったが、時折会話に加わってきて、豊富な知識をひろうしてくれた。本が好きな彼は、難しい言葉をたくさん知っていた。

 アイシェルは、遠くから見ているうちにシスリルに興味を持ったのか、フィーシェといっしょにときどき仲間に入るようになった。いろいろ話しかけてもめったに答えないが、犬の話をしているときは本当に楽しそうだ。院長先生が許可してくれたので、みんなで犬の散歩に出かけたこともある。

 かつて母と暮らしていた家や、それに関するものしか描かなかったシスリルに、描きたい対象が少しずつ増えていった。

 お気に入りの揺りイスに腰を下ろして、絵の具をたっぷりつけた筆を泳がせているシスリルに、ゼレックは尋ねる。

「何を描いているんだい?」

 シスリルはそれに答えず、代わりににっと笑って、スケッチブックをトン、とひざの上に立てて見せた。

「あぁ」

 よく知っている場所だ。

 感心して細部にまで見入っているゼレックに、

「そう、アンタの家」

 と、シスリルはやや得意げに言う。

「家っていうとオレ、あの家しか思い浮かばなかったけどさ。ここもいいよね」

 もうすっかり、この家を自分の第二の居場所に認定しているらしいシスリルだ。施設に通いだしてから、よりはっきりと、帰る場所としてのこの家を意識し始めたのだろう。母親を亡くしてできた心の傷が、少しずついやされて、前へ進む準備を整えている証でもあった。

 少年の照れたような笑顔を、ゼレックは温かい気持ちで受けとめた。一人になってさびしさにうもれていた彼の心が、再び太陽に照らされつつあることに気がついたのだ。

 画用紙の上には、ゼレックが長年大切にしてきた揺りイスも、こちらで暮らすために買った新しいポットや木のテーブルも、きちんと写し取られている。

「こないだ、ユゼールたちにも見せてあげたんだ。オレんち、『すごく幸せそうでいいな』って」

 シスリルは弾んだ声で話す。

「オレんち」という彼の言葉が、誇らしげに響いた。ゼレックは、じわじわと幸せな気持ちがこみあげてくるのを感じる。

 シスリルが、ふと顔をかたむけて尋ねてきた。

「ねぇ、今度泊まりに行っていい?」

「泊まりに行くって、どこへだい?」

 意識が少しばかり宙に浮いていた男は、ふいうちの問いに引き戻されて、聞き返した。

 少年は口をへの字にして、ふきげんになる。

「アンタ、聞いてなかったろ。ユゼールたちが、今度泊まりに来ないかって誘ってくれたんだよ。院長先生もいいって言ってたし。行ってもいいよね?」

 彼らの友情は、大人たちが思う以上に深まっているらしい。「だめだ」と首を振る理由もないので、ゼレックは、

「ああ、もちろん。行っておいで」

 と、うなずいた。

 三、四日泊まってくるらしいから、その間にゼレックは、仕事を探すつもりでいる。新しい生活への一歩を踏み出すべきときが、彼にも来ているのだった。



 一週間後、少年は支度をして、施設へ出かけていった。ゼレックはその日、面接の予定が入っていたので、ついていけなかった。

「じゃあ、行ってくるから。さびしくなったらいつでも、電話かけてきていいよっ」

 いつものように生意気な調子で「行ってきます」のあいさつをして、馬車に乗り込むシスリルを、ゼレックは手を振って見送った。

「ああ、そうさせてもらうよ。ゆっくり楽しんでおいで」

 今日は、印刷会社の面接を受ける予定だ。たいていのところが年齢を理由に断わってきたが、ここだけは快く受け入れてくれたのだ。

「年寄りばっかりの会社じゃから、あんたくらいの年ならまだまだ若いほうじゃ」

 はねるように快活な声が、受話器の向こうで笑っていたのを、ゼレックは思い出す。

(受かればいいんだがなぁ)

 はるか昔の就職試験のときに感じたような期待と不安を胸に、彼は、シスリルが行ったのとは違う方角へ走る馬車に身を任せた。



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