第15話
「あたしね、知らない子に会うのやだから、逃げてきたの。フィーシェと。おじさん、アリムエルさんに言われて探しに来たんじゃないの?」
犬をぎゅっと抱いて少女が口にした言葉は、ゼレックの背をひやりと駆け抜けた。親切のつもりでやることが、すべての子どもを幸せにするわけではないのだ。人見知りをするらしいこの子は、ずっとここで息をひそめていたのだろう。
ゼレックが何か言おうと口を開きかけたそのとき、ガラリと読書室のドアが音をたてた。
「ここにいたのね、アイシェル。みんながいる部屋にいらっしゃい。シスリルが来てくれたし、ユゼールとシノンも心配してるわ」
あちこち探してきたらしいアリムエルさんだった。
「やだ。あたし、行かない」
アイシェルは首を振る。
アリムエルさんは困った顔をして、ゼレックのほうを見、
「すみません。せっかく来てくださったのに」
と、申し訳なさそうに言った。
「いいえ。私のほうこそ、子どもたちのことをろくに知りもせず、独りよがりな考えで押しかけてしまって……」
ゼレックは、シスリルにもアイシェルたちにも悪いことをしてしまった、と反省していた。
アリムエルさんは否定も肯定もしないで、曖昧に笑っていた。ゼレックと同じように、ボランティアや親切心でこの施設を訪ねてきた人は、今までにもたくさんいたのだろう。
子どもたちのためになったすばらしい活動がほとんどだったのだろうが、中にはただの善意の押しつけでしかなかったものもあったに違いない。人々の寄付や協力で運営されている施設は、よほどのことがないかぎり、ボランティアを拒まないのだ。つまり、与えられる好意を選べない。外部の人々の想像や独善的な考えから生み出されたそれらは、ときに施設側を苦笑いさせたことだろう。
この施設で働き始めてまもないアリムエルさんは、院長たちから、これまでにあった困ったことを聞かされていたのかもしれない。何かを思い出しているような表情をしていた。
それから彼女は、アイシェルに、
「あなたはどうしたいの?」
と、尋ねた。
「フィーシェの散歩に行きたい。今日はまだ行ってないから」
「そう。だけど、私はこれからみんなのところに戻らなくちゃいけないし、院長先生も他の先生たちも、今忙しくていっしょに行けないの。だから……」
「大丈夫。このおじさんがいっしょに来てくれる」
アリムエルさんの言葉をさえぎって、アイシェルがしっかりした声で言った。彼女の片手はいつのまにか、ゼレックの右腕を握り締めていた。
「まあ」
「いいですよ。私はひまなので、この子といっしょに犬の散歩に行きましょう」
ゼレックは、せめてものつぐないにと、少女の希望をくんだ。
「ありがとうございます。アイシェルをお願いしますね。アイシェル、おじさんを困らせちゃだめよ。遠くに行きすぎないよう、早めに帰ってらっしゃいね」
以前院長から聞いていたが、この施設では、子どもたちの意見をできるだけ尊重して、活動の予定をたてているらしい。わがままにならないように、すべきことはきちんとさせ、約束を守らせるようにしているが、それ以外の時間においては、一般の子どもたちと同じくらいの自由を保証しているのだ。
アリムエルさんがシスリルたちのところへ戻った後、アイシェルとゼレックは、フィーシェを連れて施設の外へ出た。
「おまえ、ピアノ弾けるの?」
ユゼールが、最初よりは親しみの感じられる口調で話しかけてきた。
「ううん。オレは弾けない。母さんが弾いてたんだ」
シスリルは、絵を描きながら答えた。
「そっか……。おまえには、ママいるんだな」
ユゼールの声には、さびしそうな響きが宿っていた。
「どんなママなんだ?」
彼が知りたがったので、シスリルは、一瞬だけ手を止めてさらっと教えてやった。
「優しかったよ。死んじゃったけど」
「ふうん」
ユゼールは、小さく鼻を鳴らした。
横からシノンが、
「おれのお母さんなんか、いるけどちっとも親っぽくないよ。すぐ泣くしもの投げて暴れるし、本とかに出てくるような、よそのお母さんとは全然違うんだ」
と、口をはさんで、初めてじょうぜつに話しだした。
「泣いて、暴れる……?」
シスリルは、首をかしげる。
「こいつのママ、心の病気なんだってさ」
ユゼールが代わりに説明した。
「でも、いるんだからいいよな。ぼくなんか、会ったこともないよ。ぼくを産んでしばらく経ったある日、病院のまわりを散歩してたら、事故にあって死んじゃったらしくて」
何でもないことのように語るけれど、そのときも今もつらいに違いない。
施設の子どもにかぎらずとも、みんなそれぞれに事情を抱えているものだ。学校をやめてから久しぶりに会った同年代の子どもたちと、シスリルはしばらく家族の話をした。
以前からずっと気になっていた「父さん」とはどんな人なのかも、二人に訊いてみた。
ユゼールは、
「ひとことで言うと、最低。ぶったりけったりでさ。今も傷、残ってる」
と、そでをまくって腕の上のほうを見せてくれた。どこかのかどにぶつけたのか、ざっくり切れた跡が残っている。
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