第14話
「サンキュ、アンタのおかげで、すごくよくなったよ」
くっとあごを上げてお礼を言うと、ユゼールは紙から顔を離し、シスリルの手元をのぞいて、驚いた顔をした。
「すげえ」
ひかえめに、ぽつりとつぶやく。
彼も意外に素直な面を持っているのかもしれない。自分が描いていた鳥の絵を置いて、パレットにいろんな色を出し、
「もっと描いてもいい?」
と、尋ねてきた。
「いいよ、いっしょに音符描こう」
シスリルは、ちょっぴりお兄さんの気分になって、丸に旗のついた記号を紙にちりばめる。
いつのまにか、シノンも寄ってきて静かに見ていた。
「やるだろ?」
ユゼールが、音符のそばに大きな口を開けて歌っている猫を描きながら誘った。シノンは浅くうなずいて腰を下ろす。シスリルは色鉛筆の箱を差し出し、彼は青を選んだ。
少し時間がかかってしまったけれど、三人はそれなりに仲よくなり、一枚の紙にそれぞれ好きな絵を描いて過ごした。
そのころゼレックは、読書室にいた。昔、レシテカが閉じこもっていた場所だ。
数年前に足を踏み入れたときとは様子ががらりと変わっていて、驚かされた。光を取り入れやすいように大きな窓がつけられ、テーブルもイスも、カフェにあるようなおしゃれなデザインのものに取り換えられている。
遊戯室や視聴覚室など、いろんな部屋を見て回ったが、やはりいちばん落ち着くのはこの部屋だ。棚に収められた本の数も以前より増えていて、最近刊行されたばかりの絵本や児童書が真新しい背をこちらに向けて並んでいる。
ゼレックはイスに腰を下ろし、近くの棚に手を伸ばした。本を一冊引き抜いた瞬間、とがめるように、けたたましい声が響いた。
ワン、ワン!
「おっと」
びくっとして本を取り落としそうになりながら、ゼレックは辺りを見回す。
「だめよ、ほえちゃだめ」
押し殺した少女の声が、部屋の隅の本棚の裏から聞こえてきた。
ワン!
犬は興奮しているのか、少女に叱られてもほえ続けている。
ゼレックは立ち上がり、静かにそちらへ近づいていった。
ワンワンッ!
犬は、匂いで人間が来たことを感じ取ったのか、棚の裏から飛び出して、はねるように駆けてきた。小さくて毛がふさふさしている白い犬だ。真っ黒な瞳はほとんど、毛の中に隠れてしまっている。
ゼレックが飛びついてきた犬を受けとめ、首の辺りをなめられていると、本棚の陰から、犬を叱っていたらしい少女がちらっと顔をのぞかせた。おびえたような表情でこちらをうかがっている。
「出ておいで」
ゼレックは優しく声をかけた。
少女は、犬のほうをじっと見ている。犬を取り返しに行きたいが、ゼレックが怖くて出てこられないのだろう。
ワン!
犬がもう一度、少女を呼ぶようにほえて、しっぽを振った。
「フィーシェ!」
少女はついにがまんできなくなったのか、飛び出してきた。
ふわりとゆるく巻いた紺色の髪の、八歳くらいの少女だった。白いエプロンのついた赤いワンピースを揺らして駆けてきた彼女を見て、フィーシェという名前の犬は、ゼレックの腕をするりと抜けて飛びつく。
犬を離すまいとしっかり抱き締めている少女に、ゼレックは話しかけた。
「君、ここの施設の子だろう? 可愛い犬だね」
少女はびくりと震えておそるおそるゼレックを見上げたが、やがて、この人は危険ではないと悟ったのか、小さい声でぼそっと答えた。
「そう。あたし、アイシェル。おじさん、あたしのおじいちゃんに似てる」
しゃべっている間、彼女は無表情だった。ゼレックを見つめている瞳は、森に生きる気高いオオカミのような、灰色をしていた。
ゼレックは、少女の目線に合わせてしゃがみながら、
「君のおじいちゃんはどんな人なの?」
と、訊いた。
「分からない」
アイシェルは、即座にぶっきらぼうに答える。
「……」
もしかしたらもう亡くなってしまったのかもしれないと気がついて、ゼレックは口を押さえたい気分だった。シスリルと出会って以来、何度か経験した気まずい空気だ。
いけないことを訊いてしまった、という後悔。自分に訊かれたくないことや思い出したくないことがあるように、子どもたちにもそれぞれの事情がある。特にここは、デリケートな環境に生きる子どもばかりが集まっている場所なのだ。
しかし、あまりろこつに謝っても不自然なので、ゼレックはあえて「ごめん」と言わなかった。
少女は長いまつげを動かしてゆっくりまばたきをし、
「おじいちゃん、あたしが二歳のときに死んだの。写真でしか見てない」
と、犬の頭にあごをうずめて答えた。
そして、
「おじさん、何しに来たの?」
と、不審がっているように首を傾けた。
ゼレックは少し戸惑ったけれど、ありのままを口にした。
「おじさんはね、君たちに会いに来たんだよ。シスリルという男の子といっしょに来たんだけど、会わなかったかい?」
アイシェルは、ううん、と首を振る。
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