第13話

「みんな、絵の先生が来てくれたわよ」

 アリムエルさんが朗らかな声で呼びかける。部屋のすみでそれぞれ遊んでいた二人の少年が、ゆっくり歩み寄ってきた。

 だるそうな足どりや、息をするのもめんどうくさいと言わんばかりの表情に、シスリルは思わず後ずさりそうになる。

「何だよ、おまえ」

 シスリルより少し後に生まれたらしい、黒髪の少年が、ぐっとあごを上げて低い声を出す。

「どっから来たのか知らないけどさ。ぼくは、外から来る親切ぶったやつらが大っきらいなんだ」

 長い前髪の奥からきゅっとにらまれて、シスリルは肩に力を入れた。カッとなって何か言い返しそうになったが、相手は年下だ。生意気な態度をとってはいるが、まだ子ども(・・・)なのだ。怒ったってしかたがない。シスリルは自分にそう言い聞かせて、無言でいた。

 もう一人の赤毛の少年は、何も言わず腕組みをして立っているだけだった。群青色の瞳を端に寄せて、冷たく品定めするようにシスリルを見ている。

(何だよ、こいつら)

 シスリルはむっとすると同時に、こんなところにわざわざ連れてきたゼレックを恨んだ。

 険悪な雰囲気を読み取って、アリムエルさんがパンパンと手を叩く。

「にらみ合っちゃだめよ。まだ会ったばかりでしょう。まずはお名前を教えあいっこして、いろいろ話してごらんなさい」

 彼女がそう言うと、二人はふんと鼻を鳴らして、ふてくされた顔のまま、ぼそぼそっと名乗った。

「ユゼール」

 墨色の髪の少年は、ユゼールというらしい。

 もう一人の少年も、

「シノン」

 と、めんどうくさそうに口を動かした。

 そこで、ふと辺りを見回したアリムエルさんが口をはさむ。

「あら、アイシェルはいないの? さっきまでいたのに、どこへ行ったのかしら?」

「知らない」

 二人の少年は首を振った。

「トイレじゃないの」

「それかまた、あの犬がどっか行ったのを追いかけていったか」

 飽き飽きしている様子だった。どうやらその子は、しょっちゅういなくなるらしい。

「私、探してくるわ。みんなは遊んでてちょうだい。ケンカしちゃだめよ」

アリムエルさんは、三人にそう言い残して、部屋を出ていった。

未だうちとけられていない少年たちは、しばらく黙ってたがいの顔をにらみ合う。

沈黙が続いた後、シスリルは、空気を破るようにガサガサ音をたてて、テーブルの上にあった大きな模造紙を床に広げた。

「絵、描こうか」

 棒読みで誘って、そばの色鉛筆の箱を開ける。

「絵なんか描かないよ、ぼくは」

 ユゼールは、イスに腰かけて足を組み、つんとよそを向いてしまった。

「一人でやれよ」

 シノンも、先ほどまで読んでいた本を出してきて読み始める。

 シスリルはそれ以上誘う気にもなれず、黒い色鉛筆を手に取って、紙の上にすべらせた。

 大人が見ていないときの子どもなんて、こんなもんだ。出会ってすぐに、そんなに簡単に仲よくなれるわけがない。

(なのに大人は、オレたちが誰とでも友達になれると思いこんでるんだ)

 居心地の悪い環境にむしゃくしゃしながら、シスリルはいつもより乱暴に白い紙を塗りつぶしていく。描いているのは、母さんが昔弾いていた小さなピアノだ。

 そのピアノは、元は母さんの妹のために買われたものだったのだけれど、妹は早くに亡くなってしまったので、母さんがもらったのだという。「あまり習ったことがないから、短い曲しか弾けないわ」とさびしそうに笑いながら、母さんはときどき、猫の曲を聴かせてくれた。

 思い出にひたりつつ、ピアノの前にイスを描き加えたシスリルの手の甲に、ふいにぼたっと水滴が落ちてきた。

 顔を上げると、にやにや笑っているユゼールと目が合う。彼の手には、絵の具をたっぷり含んだ絵筆が握られていた。

「ひまだからさ」

 いつの間に用意したのか、水を入れるためのバケツも下げている。

「ぼくにも何か描かせてよ」

 言いながらユゼールは、黄色い絵の具を吸った筆を、ぱっぱっと振った。シスリルが描いたばかりのピアノのまわりに、黄色い水滴がべたべたはりつく。

「何するんだよっ」

 わざとやっているに違いない彼に、シスリルは声を荒げた。

 ユゼールは、へらへらとほおをくずして笑い、

「あ、ごめんごめん。落ちちゃったなぁ」

 と、申し訳なさのかけらもない顔で謝る。

 学校に通っていたときには、わりと身近にいたタイプの少年だ。シスリルはかちんときたけれど何とか押さえ込んで、

「そっちのほうあいてるから、そこに描いていいよ」

 と、言った。

 目は、せっかく描いたのに汚されてしまったピアノのほうに行っている。腹が立つけれど、怒っているところを見せるのはみっともないし、恥ずかしい。数秒考えて、シスリルは、ふといいことを思いついた。黄色の色鉛筆を取り、ぼたっと落ちた水玉に、旗のようなものをつける。水滴は、音符になった。ピアノを囲んで、明るい色の音符がひらひら飛んでいる。

 シスリルはさらに、それを柔らかく包むように、きみどり色をぼかしてベールを描き足した。音符が風に乗って流れているようなかっこうになる。今度はシスリルがにやっと笑う番だった。


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