第12話

 シスリルは、ふんと不機嫌そうに鼻を鳴らし、ぷいと横を向いてしまった。からかわれたようで照れくさかったせいもあるのだろう。いつもみたいに怒って無作法なことを言わなかったのはおそらく、レシテカのほうがいくつか年上で、しかも女の子だったからだ。彼くらいの年ごろの子どもは、異性を意識して、しばしばぎこちない態度をとる。長い経験から、院長もゼレックもよく分かっていた。

シスリルは視線を伏せてしまっていたが、すでにそういう時期は過ぎているレシテカは、落ち着いた様子で微笑んでいた。カップをみんなの前に置いて、自分も腰かけながら、少年に話しかける。

「あなたもここに入るの?」

「入らない」

 少年は、ぶっきらぼうに短く答えた。

「彼はね、君たち……いや、特に他の三人にね、絵の描き方を教えに来てくれた先生だよ。とっても絵が上手で、将来はきっとすばらしい画家になるだろうと、ラインゾールさんから聞いている」

 初めて会った大人に手放しでほめられて、シスリルはほおを赤くして否定した。

「べつに、そこまでじゃない……」

 うれしさを押し殺している。

 施設には現在、レシテカも含めて四人の子どもがいるのだが、いちばん年上の彼女は、試験が近いためいっしょには遊べないようだ。過去にいた少年たちはもうとっくに就職して、それぞれの職場で働いており、あのころは最も幼かったレシテカも、もうじき進路を決定する予定だった。今日院長室に来ていたのは、そのための相談をしたかったからなのだ。

「そんなわけだから、すまないけれど、いっさいを君に任せてもかまわないだろうか。彼らにはちゃんと伝えてあるから。仲よくやってくれるかな」

 と、院長はシスリルに尋ねた。

「……はい」

 少年は、緊張したのかかたい表情でこくんとうなずく。

「私はどうしましょうか?」

 ゼレックが言った。

「大人がいないほうが、子どもたちもうちとけやすいでしょう。読書室や遊戯室でよければ、どうぞごらんになって自由にお過ごしください」

 院長は答えて、内線で子どもたちの担当者に連絡した。担当者は、学校を出たばかりの若い女性で、「すぐに来てくれてかまわない」という返事だった。

 子どもたちのいる部屋までは、レシテカが案内してくれる。

 院長室を出るとき、シスリルは振り返って、

「じゃあオレ、行ってくるから。アンタも退屈すんなよ」

 と、相変わらずの憎まれ口を叩いたが、その肩はぐっと持ち上がっており、強がっているのは明らかだった。初めてのことに、少年も気が張り詰めているのだろう。

「ああ。みんなと仲よくね。楽しんでおいで」

 ゼレックは、「がんばれ」とは言わず、そっと背中を押すつもりで、優しく彼を見送った。院長も、小さな後ろ姿を、温かい目で見つめていた。



 少年の数歩前を歩きながら、レシテカは、りんと透き通るような声で話しかけてくる。

「私は、レシテカ・ファルキールというの。三歳のときからここにいるわ。今から行く部屋――『天使の休息』っていうんだけど――にいる子たちとは少し、年が離れてる。あなたとも、たぶんね」

「アンタは、ここに住んでるの?」

 ようやく緊張がとけてきた少年は、追いついて横に並びながら尋ねた。

 長い髪を揺らして歩く少女は、おそらくもう成長は止まっているのだろうが、シスリルより頭一つぶん背が高かった。

 施設内は木の香りであふれていたけれど、レシテカからは、それとは違う種類のいい匂いがした。柔らかなバニラクリームのような……たぶん、ひかえめな香水の匂いだ。

「そうね。住んでるっていうのと同じね。自分の家はべつにあるし、お母さんは生きてるけど、いっしょには住めないから。私はほとんどずっとここにいるの。外からじゃ分からないけど、とてもいいところよ」

「アンタの母さん、何でアンタと暮らせないの?」

 少年は、疑問を率直に口にした。

 火事で母親を亡くした彼には、おたがい生きているのにいっしょに住まないなどということが、すぐには理解できなかったのだ。

 レシテカは困った顔をしたが、少年に悪気はないのを見てとると、元の落ち着いた表情に戻って、

「心の病気なのよ。よく知らないけど。お父さんはもう死んだし、お母さんは入院してるから、いっしょには生活できないの。病院から許可が下りたときだけ、私が馬車に乗って会いに行くのよ」

 と、何でもないことのように答えた。

 そして、階段をあがりながら、

「あなたには、お父さんもお母さんもいるの?」

 と、今度は質問する側になる。

 シスリルは首を振った。

「父さんは、ずっと前からいない。母さんは、火事で死んだよ」

「……そう」

 レシテカは、静かに一度、浅くうなずいた。

 二人は、「天使の休息」の前まで来ていた。

 施設の部屋には、それぞれにユニークな名前がついている。通り過ぎてきた廊下に並んでいた部屋は、「プディングの妖精」「花火使い」「魔女のからくり箱」などと呼ばれているそうだ。街の人たちからネーミングを募集して、選ばれた名がつけられているのである。

「天使の休息」は、絵を描いたり工作したりするための部屋なのだそうだ。少女が白い手の甲で二、三度ノックすると、ドアが開かれて、担当者の女性が顔を出した。

「あら、レシテカ。彼を案内してくれたのね。ありがとう」

 彼女はにっこり微笑んで言う。

「ほら」

 レシテカは、シスリルの手を引いて前へ出した。

「こんにちは、シスリル」

「……こんにちは」

 少年は、ぼそっとあいさつを返した。

「院長から連絡をもらっているわ。いろいろ、中でお話ししましょう」

 女性はドアを大きく開け、シスリルを迎え入れた。

「じゃあね、可愛い絵描きさん。あの子たちと仲よくね。院長先生が待ってるから、私は行くわ。アリムエルさん、あとをよろしくお願いします」

 レシテカは、少年が中へ入ったのを見届けると、礼儀正しく頭を下げて、院長室へ戻っていった。



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