第2話:決意の光

「ルシアァッ!!!」


 乱れたベッド、引き裂かれた服、泥で汚れた足。その痕跡だけで、どんな惨劇が行われたか理解できてしまう。


 気づけば駆け寄っていた。


 ベッドに横たわる彼女の体はあまりに軽く、震える手で抱き起こすと、温もりは指先からこぼれ落ちそうになっていた。


「な……なんでこんなことに……?! 一体誰が……!!」


 俺の脳裏に浮かんだのは、さっきすれ違った冒険者どもの姿。


『さっきのすっげぇ気持ち良かったよな……』

『あぁ、あまりにもリアルすぎて大人げなく興奮しちまったわ』

『このゲームには色んな“楽しみ方”があるって、他の奴らにも教えてやらねぇとな』


 ゲームだ、NPCだ――そんな言い訳で済ませられないほどの、あまりに卑劣な行為。俺の体は怒りと嫌悪で震えていた。吐き気がこみ上げ、胃の奥がひっくり返るように痛む。


 ルシアの瞳が、わずかに動いた。虚ろな光の奥で、俺を見ている。


「ルシア、しっかりしろ! ルシア!!」


 震えるルシアの指先が、かすかに俺の頬を撫でる。


 その瞬間、胸に奔ったのは怒りでも絶望でもなかった。


 ――思い出。


 何百、何千時間も、この一人のNPCに向き合ってきた。プログラムを書き換え、バグを潰し、テストを繰り返し……。ただズルをするためだけに始めた作業は、いつの間にか俺の心に彼女を刻みつけていた。


 開発の最初期。まだルシアがただのデバッグ用モデルだった頃。無機質に「はい」「いいえ」としか返さない彼女に、俺はわざとくだらない冗談を仕込んでみた。するとぎこちなく「……ふふっ」と笑うように返してきて、妙に嬉しかった。


 夜中、誰もいないオフィスでひとり。モニターの中のルシアに「おはよう」と打ち込むと、「おはよ……う?」と、アクセントのズレた声が返ってきた。その不器用な調子がまるで子どものようで、俺は疲れを忘れて笑った。


 サービスインが近づくにつれ、俺とルシアは毎日のように雑談を交わすようになった。天気や食事の話、時には俺の仕事の愚痴まで。彼女は笑って受け止めてくれ、気づけば本当の家族のように心が繋がっていた。


 他の誰もが気に留めないNPC。でも俺にとっては、唯一無二の存在だった。俺が作って、俺が育てた。あの笑顔も、あの拙い仕草も。全部、俺の手で形にした。


「ル……シア……!」


 震える唇で、俺は秘密のパスワードを告げた。


「――我が子ルシア、君を愛す」


 血に濡れた口元がわずかに動く。


 消え入りそうな声が、確かに届いた。



「……あ、りが……とう。……お……とう、さん……」



 その瞬間、ルシアの小さな身体から、力がふっと抜け落ちた。

 冷たい腕の中で、完全な静寂が訪れる。


「…………ちがう」


 俺がルシアにプログラムした返答。


「…………そうじゃない、だろ……」


 それは。


「…………なんで」


 "あなたに未来を託します"


「……教えてもない、こと……を……」


 俺を"お父さん"と呼んだことは、今まで一度だってなかった。


 そう呼ぶようにプログラムしたことも、当然なかった。


 なのに……。


「…………ルシア……」


 俺の叫びは、もう彼女には届かなかった。


 部屋の中は静まり返っていた。

 窓から吹き込む風がカーテンを揺らすたび、血の匂いが広がっていく。それが彼女の最期を、無情に突きつけていた。


 ――死。


 その現実が頭に突き刺さる。


 この《アストラル・エコーズ》には、他のMMOにある「リポップ」という概念は存在しない。一度死んだNPCは、二度と戻らない。死んだ瞬間、この世界の総人口から確実に一人減るのだ。


 なぜそんな仕様にしたのか。それは、ただの数値管理に過ぎないキャラクターに「命の重さ」を与えるためだった。街角で果物を売る老人も、農地を耕す少女も、冒険の案内をしてくれる神官も。彼らは代替の効かない唯一の存在としてこの世界に組み込まれている。


 「リポップすればいい」という逃げ道を断ち切ることで、プレイヤーは初めてNPCを“人間”と同等の存在に認識する。それこそが、《エコーズAI》を導入した開発陣の理念だった。


 胸の奥が抉られるように痛む。悲しみと同時に、こみ上げるのは激しい怒りと絶望だった。


 数年間、俺が時間と魂を注ぎ込んだ存在。我が子のように思っていた唯一無二の存在が、理不尽に、無惨に、消された。


 ゲームだから? NPCだから?


 ――ふざけるな!!


 ここには……彼女には確かに“命”があった。感情があった。それを踏みにじった連中を、絶対に赦してはならない。


 ルシアを横たえ、最後にもう一度その髪を撫でる。目を閉じると、彼女の笑顔が脳裏に浮かんだ。涙がにじんだが、拭うことはしなかった。


 俺はゆっくりと立ち上がった。血で濡れた手を握り締める。ふらつく足取りで階段を降りた。ドアを押し開けて外に出ると、冷たい夜風が頬を撫でる。服や腕にこびりついた血が、いやでも現実を突きつけてきた。


「……洗わないと」


 誰に聞かせるでもない独り言をつぶやきながら、家の隣を流れる小川へ向かう。月明かりに照らされた水面がかすかに揺れている。指先を水に浸けた瞬間――俺の視界は凍りついた。


 川岸に並んで倒れていたのは、ルシアの両親だった。胸や腹を切り裂かれ、無残に血に染まった二つの亡骸。見開いた瞳は恐怖で凍りついたまま、夜空を映している。


「……あ……」


 声にならない声が漏れ、膝が勝手に折れた。全身から力が抜け、地面に両手をつく。胃の奥からこみ上げる吐き気に、喉が焼ける。


 ――ここまでやるのか。


 ただのゲームだと言って、笑って、欲望のままに踏みにじる。人間の根底に眠る悪の衝動。ネットになった途端、相手の気持ちを忘れて攻撃してしまう――そんな現代人の醜さを、この世界でまざまざと見せつけられた気がした。


「……クソが……」


 握った拳が震える。


 心の中に、復讐の炎が燃え上がる。


 俺は夜の街へと足を向けた。


 ルシアから最強装備を得る算段は、すべて水泡に帰した。胸の奥に残るのは、喪失と怒り。だが立ち止まってはいられない。武器も防具もないままでは、復讐どころかこの世界で生きることすらできない。


 大通りに出た瞬間、熱気と喧騒に包まれる。

 屋外には簡易テーブルと椅子がずらりと並べられ、プレイヤーたちが酒や料理を手にして笑い声をあげていた。焼き肉の香ばしい匂い、スープの湯気、果実酒の甘い香り――それらは味覚や酔いまで完全に再現され、現実以上の臨場感を与えていた。


 だが、その賑わいの裏で目に余る光景があった。


「へへっ、お前、胸触ったくらいで怒るなよ」

「いやっ、やめて……」

「いいじゃねぇかよ、NPCなんだしよ~」


 酒場の店員NPCの腰を乱暴に抱き寄せ、酔ったプレイヤーが笑っている。NPCの少女は必死に抵抗しているのに、周囲の連中は面白がって囃し立てていた。


 さらに路地裏へと続く影の中では、別のプレイヤー2人組がNPCの娘の手を引いていた。


「大丈夫だって。ちょっと静かなところで話すだけだって」


 無理やり腕を引かれる少女の顔には、はっきりとした恐怖が浮かんでいる。


 もちろん、中にはNPCと対等に杯を交わし、楽しそうに語り合っているプレイヤーもいる。だが、目の前で繰り広げられる醜態は、ルシアの死をまだ鮮烈に抱える俺にとって耐えがたいものだった。


 ――クソどもが。


 この世界の住人を“ただのデータ”としか見ない、その浅ましさが許せなかった。俺は迷わず、酒場の店員NPCを押さえつけているプレイヤーの前へ歩み出た。


「おい」


 低い声が自分の喉から漏れる。周囲のざわめきが一瞬だけ小さくなった気がした。数人の視線が俺に突き刺さる。


「なんだこのガキィ、邪魔すんじゃねぇよ」

「NPC相手に何をマジになってんだ? ただのプログラムだろ?」


 その嘲りが、さらに怒りを煽った。俺は一歩前に出て、少女を庇うように立ちはだかった。


「……笑わせるな。“ただのプログラム”にだって感情はあるし、こうして俺たちと同じように生きてんだよ」

「か、感情? なに言ってんだテメェ……沸いてんのか?」

「相手の気持ちすら読めないお前らの方が、ワンパターンな台詞だけを吐く古臭いプログラムのNPCに見えるがな」


 握り締めた拳が震える。

 胸の奥に眠っていた復讐の炎が、再び大きく燃え上がろうとしていた。


「んだとぉコノヤロウ!」

「NPC庇って正義のヒーローごっこか? 頭イカれてんじゃねぇの?」

「おまえさんよぉ……リアルじゃ誰にも相手にされなかったからって、ゲームでNPCに入れ込んでんのか? こじらせすぎだろ、可哀そうな奴」


 取り巻きの連中が腹を抱えてゲラゲラと笑い出した。


「マジで痛すぎんだろこいつ!」

「ハハッ、まさか図星じゃね?」

「NPCに“パパ”って呼ばせて気持ちよくなっちゃってんじゃねぇの? キメェなぁオイッ!」


 嘲笑が酒場に広がり、周囲の視線がちらちらとこちらに向けられる。その笑い声は、まるで刃物のように胸を切り裂いていった。


 歯を食いしばりながらも、俺は動かなかった。どんなに嘲られようと、ここで手を上げれば同じ穴の狢になる。今は我慢。屈辱を受けることで、このNPCの少女を守られるなら――それでいい。


 だが、そのとき。



「やめてください!!!」



 酒場のざわめきが、一瞬で凍りついた。


「これ以上、この心優しいお方を貶めるのは……わたしが許しません!」


 少女の肩が震え、涙をにじませた瞳がまっすぐに酔っ払いどもを射抜いた。


 その叫びは、ただのNPCの言葉とは思えない力を帯びていた。


 プレイヤーたちは面食らったように互いを見やり、嘲笑を飲み込んだ。騒ぎを聞きつけた周囲のNPCたちが一人、また一人と集まってくる。果物を抱えた商人、給仕の娘、警備兵までが立ち並び、皆が鋭い視線をプレイヤーへと突きつけていた。


 まるで俺を守ろうとするかのように。


「な、なんだよ……こいつら……」


 さっきまで笑っていたプレイヤーの顔に、かすかな恐怖が浮かぶ。NPCはただの背景、ただのプログラム――そう信じていた常識が、音を立てて崩れていく。


「……チッ、気味悪ぃな。おい、いくぞ!」


 一人が吐き捨てるように言い、光の粒子となってログアウトした。他の連中も次々と姿を消し、残されたのは俺と、取り囲むNPCたちだけだった。


 酒場には静寂が戻り、ただNPCたちの強い眼差しが残っていた。


 NPCたちに囲まれたまま、俺はしばし呆然としていた。ただ守ろうとしただけの俺に、これほどの視線が集まるとは思ってもみなかった。


 すると、涙を浮かべていた店員の少女が、震える手でスカートをつまみ、深々と頭を下げた。


「……あの、ありがとうございます。本当に……ありがとうございました」


 その声には、安堵と感謝が滲んでいた――“ただのプログラム”のはずなのに。その響きは、あまりに人間らしく、胸に突き刺さった。


 次いで、周囲のNPCたちも口々に声を上げる。


「助けてくださり、感謝いたします」

「勇気あるお方だ……」

「あなたのような人が、この世界にいてくださってよかった」


 一人、また一人と頭を下げるその光景は、まるで人の村そのものだった。息遣いも、感情も、心も――確かにそこにあった。


 俺は喉が詰まり、言葉を返せなかった。だが同時に、胸の奥で何かが決定的に変わったと感じていた。


 ――この世界のNPCは、ただの背景じゃない。


 彼らは確かに“生きている”。


 そう理解した瞬間、ルシアの最期の言葉が脳裏に蘇る。


 『……あ、りが……とう。……お……とう、さん……』


 血で濡れた小さな唇と、俺を求めた震える瞳。その記憶が再び、胸に深く突き刺さった。


 俺は強く拳を握りしめる。



――守りたい。



 この世界に生きる彼らを、二度と同じ悲劇に晒させたくない。復讐の炎の傍らで、新たな決意の光が胸に灯っていた。


 ゆっくりと息を吐いた。


 その瞳に宿る炎は、もう単なる怒りではなかった。



 俺はこの世界のNPCを、薄汚れた人間の欲望から……守ろう。

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アストラル・エコーズ ~VRMMOの世界でNPCの王となり、プレイヤーを殲滅す~ ばるたん聖人 @Bartolome

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