第1話:サービス開始

「よっし、これで……完成だ!!」


 誰もいない夜のオフィスに、思わず声を張り上げた。時計は午前三時を回っている。外は当然真っ暗だし、オフィスの照明も節電モードでほとんど落ちている。残ってるのは、俺のモニターから漏れる青白い光だけ。


 机の上にはエナドリの空き缶が山のように積み上がり、横にはぬるくなったカップ麺。会社のデスクなのに、どっからどう見ても不健康なオタクの巣窟だ。あぁ……これを上司に見られたら説教どころじゃ済まないだろうな。


 でもいい。どうでもいい。


 三日三晩、寝る間も惜しんで書き込んできたコードが、今ようやく動いたんだ。

 「EXECUTE」の緑文字が点滅するのを見た瞬間、思わずガッツポーズした。


「……これで俺は、最強だ。ふふふ……ふふふふふ……はーっはっはっはっはっは!」


 世界初のフルダイブ型VRMMO、《アストラル・エコーズ》。開発チームの一人として、このゲームに携われたことが俺の唯一の誇り。

 だけど、俺はテストプレイヤーでも、ディレクターでもない。ただの末端プログラマー。


 だからこそ“仕込む"ことができた。


 始まりの街の片隅で、ひっそり暮らすNPC。両親と三人暮らしの、極々普通の女の子。


 ……の、はずだった。


 けど今や彼女は、俺専用のチートキーだ。秘密の合言葉を囁けば、レジェンド級の武器や防具、スキル本、それに大量の高級消耗品……要は、最強へのフリーパスが俺に届く仕掛けになっている。


 会社にだってバレやしないさ。だってテスト環境と本番環境のミラーサーバーの間に“デッドリンク領域”を仕込んで、その中に特別なコードを隠したんだ。アクセス権限はroot権限を偽装したダミーアカウント経由、ログはcronで定期改竄、監査用の監視プロセスにはバックドアを潜らせてある。


 しかも実装時にはバージョン管理のコミットを時系列ごと書き換えて、俺以外が気づく可能性はゼロ。仮にコードを全部精査したとしても、そこには“存在しない”ことになってる。


 卑怯? ズル? ……それがどうした。


 俺はこの瞬間のために生きてきたんだ。《アストラル・エコーズ》の企画が動き出すって噂を耳にした、その日から。数年をかけてこの会社に潜り込み、末端のプログラマーとして泥をすすり、地を這い……それも全部“今日”のため。


 世の中の勝ち負けなんて、勝負が始まる前からもう決まってる。強いカードを握ってるやつが勝ちで、持ってないやつは負け。


 誰にも邪魔はさせない。この世界で俺は――最強になるんだ。


「……あとはサービス開始を待つだけか」


 そうつぶやくと、徹夜でガチガチの背中がようやく椅子から離れた。俺の目は赤く充血しているし、体は限界。

 でも、不思議と胸の奥は軽かった。


 これで俺は勝ち組になれる。その瞬間を思うだけで、徹夜明けの足取りもどこか軽いのだった。


 そして――ついにその日が来た。

 VRMMO《アストラル・エコーズ》、正式サービス開始。


 このゲームはただのゲームじゃない。世界初の量子型フルダイブMMO。量子コンピュータによって構築された演算領域は、従来のVRゲームの何百倍もの処理能力を持ち、無限に近い並列世界を同時に生成できる。


 その上で動いているのが、《エコーズAI》――NPC一人ひとりに、「記憶」と「感情」と「選択」を与えた、最新型の人工知能だ。テンプレートの返事しかしないモブはいない。街角でパンを売る商人でさえ、昨日の売り上げを気にし、家に帰れば家族のことで悩む。“人間と区別がつかないNPC”という売り文句は、決して大げさじゃなかった。


 その世界へ入るために必要なのが、《エコーズ・チェア》。見た目はハイエンドなゲーミングチェアを未来風にしたような、黒基調のカプセル型シート。全身を預けると、背もたれやアームレストに内蔵された無数のナノ・インターフェースが、皮膚と神経に微弱な信号を流し込む。頭にヘッドギアをかぶる必要もない。身体そのものをチェアに接続することで、神経伝達を遮断し、意識を仮想領域に“丸ごと”転送するのだ。


 初めて触れたときは、まるで病院の手術台にでも縛りつけられるようで不気味だった。だが慣れてしまえば、この窮屈さこそが「異世界へのゲート」を実感させてくれる。


 ――夢ではない。もう一つの現実だ。


 俺は深く息を吸い、エコーズ・チェアに身を沈めた。拘束具が音を立てて固定され、冷たい金属の感触が腕と足を締め付ける。背後で、量子同期装置の低い唸りが響いた。


「……接続開始」


 次の瞬間、意識は暗転し五感はすべて――虚空へと解き放たれた。


 《ASTRAL ECHOES》


 黄金に輝くタイトルロゴが、虚空を切り裂くように展開された。やがてその背後には、果てしなく広がる青空と、聳え立つ城壁、流れる大河、天空を舞う竜の影が現れる。視界は千の映像を同時に投影し、ただの“ゲーム”を超えた世界の存在を見せつけてきた。


 これが、俺が長い間準備してきた舞台。現実じゃ何者にもなれなかった俺が、ついに“最強”を掴む舞台だ。


 光の奔流が収まり、俺の視界に広がったのは――白亜の大理石で築かれた荘厳な神殿だった。天井は高く、ステンドグラスを透かして七色の光が降り注ぎ、床に神聖な紋章を描き出している。ここが《アストラル・エコーズ》の初期ログイン地点――始まりの神殿アイギス。


 視線を巡らせたその先に、ひとりの女性が立っていた。純白の修道服をまとった若き女神官。柔らかな微笑みを浮かべ、両手で聖印を胸に抱いている。


「ようこそ、旅人よ。ここはアイギス。あなたがこの世界で歩み出すための――」


 そう言って歩み寄る彼女の声は、驚くほど自然だった。テンプレートな台詞読みじゃない。間の取り方や抑揚が、まるで本物の人間と変わらない。これが《エコーズAI》……。開発中に何度も目にしたはずなのに、実際こうして本番と対面すると鳥肌が立つ。


 だが俺は、彼女に向かって手をひらひらと振った。


「悪いな。俺にチュートリアルは不要だ。ありがとな」


 ぽかん、と女神官の瞳が大きく見開かれる。まるで予想外の言葉をかけられた人間のように、しばし口を閉ざしたまま固まってしまった。


「……えっ……? あ、あの……えっと……」


 NPCのくせに、本気で困惑している。この反応ひとつで、《エコーズAI》がどれほど高度かが分かる。


 俺は少し意地悪な気分になり、問いかけてみた。


「そうだ、今サービス開始から何時間経ってる?」

「えっと……二日と二十時間くらいですね。ずっとここにいるので、時間の感覚が曖昧になってきましたけど」


 女神官は一瞬目を伏せ、すぐに小さく指を折りながら答えた。正確な時間が即答で返ってくる。しかも迷い方まで妙に人間臭い。


「ぶっ続けで対応するのは大変だろう」

「……まぁ、正直ちょっと大変です。でも、それが私の役目ですから。こうして新しい旅人さんに会えるのは嬉しいことですし」


 彼女は控えめに笑ってみせた。疲れているように見せまいとする仕草に、逆に“人間っぽさ”が滲んでいた。


「しっかり睡眠はとれているのか?」

「少しは……はい。合間を見つけてうとうとするくらいですけど……ベッドが恋しいのは確かですね」


 言葉の最後が弱々しくなる。まるで現実の新人シスターと雑談しているような錯覚すら覚えた。


「ん? そういえば、ここは二交代制のはずだろう? もう一人は?」

「あぁ、それがですね……昨晩から戻ってこなくて。多分、寝過ごしてるんだと思います。ウチの相方はほんとにおっちょこちょいで……」


 肩をすくめる仕草すら自然で、思わず笑いそうになる。


「……あ、でもご心配ありがとうございます。ちょうど落ち着きつつありますので、このあと起こしに行こうかと思います」

「そうか。あまり無理はしないようにな」


 女神官は驚いたように目を瞬かせ、それから小さく微笑んだ。


「はい……お気遣い、感謝します」


 俺は女神官に別れを告げそのまま神殿の大扉へ向かった。厚い扉が音を立てて開き、外の眩しい陽光が差し込む。


 始まりの街ルミナリア。白い石造りの城壁と尖塔が連なり、大通りには行き交う人々の声が絶えない。市場からはパンの焼ける匂い、鍛冶場からは鉄槌の音が響き、街全体が活気に包まれていた。


 すでに駆け足でレベルを上げた冒険者たちが、最新装備に身を包んで広場に集まっていた。仲間同士で戦術を語り合ったり、個人取引で値段交渉をしている姿は、まるで長年この世界で暮らしてきた住人のようだ。


 だが、その一方で――街のあちこちに「驚きの声」が溢れていた。


「えっ……このNPC、今俺の冗談に笑ったよな!? 今めっちゃ凄くねwww」

「この店員さん昨日ウチが買ったポーションのこと覚えてくれてるんだけどやばくない?!」

「武器商人に恋愛相談したらちゃんとしたアドバイスしてくれたんだが、まじですげーな」


 プレイヤーの半分以上は、まだ《エコーズAI》の性能に驚いていた。誰もが知っている「ただ決まったセリフを繰り返す人形」ではなく、NPCたちはまるで同じ時間を生きる住人のように振る舞っている。


 パン屋の主人は「今日は粉の仕入れが遅れててね」とぼやき、子供のNPCは「昨日転んでまだ足が痛いんだ」と膝をさすり、路地裏の老婆は「次の満月の日に孫が帰ってくる」と語る。そんな会話を目にするたびに、プレイヤーは足を止め、目を丸くし、やがて笑顔になってそのまま雑談を始めるのだ。


 広場の噴水では、プレイヤーとNPCが肩を並べて座り込んでいた。

「今日はどこまで行った?」

「西の森まで。でも狼が怖くて逃げ帰っちゃった」

 NPCの青年がそう苦笑し、隣のプレイヤーが「次は一緒に行こうぜ」と肩を叩く。その光景は、もはや区別がつかないほど自然だった。


 ――これが、《アストラル・エコーズ》。ただのゲームじゃない。もう一つの現実。NPCすらも“人間”として受け入れられつつある世界。


 もちろん、事前キャラメイクは済ませてある。サービス開始前に行われたキャンペーンで、髪や瞳の色をいじったり、職業を選んだりは一通りやっておいた。……といっても、俺は結局ほぼ現実の自分の姿をそのまま使うことにしたのだが。別人になるより、“俺自身”で最強を掴む方がしっくりきたからな。


 俺は大通りを歩きながら、そんなざわめきを静かに眺めた。そして心の奥でふっと笑う。


 この世界は、俺にとってまるで我が子。血と汗と、膨大な時間をかけて築き上げたこの世界を、無数のプレイヤーたちが楽しんでくれている。グラフィックも、AIも、環境音も、全部、俺たち開発者の魂の結晶だ。そのひとつひとつが人々の心に届いている――そう思うと、胸の奥がじんわりと熱くなる。


 開発者冥利に尽きる、とはこのことだろう。


 ふと視線の端で不穏な光景が目に入った。街角で、小さな籠に山盛りのリンゴを抱えて歩いていたNPCの青年。その肩を、乱暴に突き飛ばす冒険者がいた。


「おっと、邪魔だなぁおまえ」


 青年はバランスを崩して倒れ、籠ごとリンゴをぶちまける。真っ赤な果実が地面を転がり、カランカランと乾いた音を響かせた。


「おいっ……待ってくれ、それは――!」


 必死に拾おうとする青年を尻目に、冒険者は数個のリンゴを片手に掴み取ると、振り返りもせずに笑いながら立ち去っていった。


「んだよ……お前ただのNPCだろぉ? プレイヤー様に歯向かってんじゃねーぞ! お前から物を盗んだって、犯罪フラグなんて立たねぇんだしよ」


 仲間らしき数人が肩を揺らして笑い、通りの奥に消えていく。取り残された青年NPCは、地面に膝をついたまま、ただ俯いていた。震える手でリンゴをかき集めながら、小さく呟く。


「……どうしてこんな目に……」


 誰も助けない。通りを行き交うプレイヤーたちはちらりと視線を寄越すが、すぐに目を逸らし、我関せずと歩き去っていく。


 俺はその光景をしばらく見つめていた。胸の奥がざらつく。喉の奥に苦いものがこみ上げてくる。


 ――NPCだから、何をしてもいいのか?


 理屈では分かっている。けれど、目の前の「青年」はどう見ても人間と変わらない。その瞳の奥に浮かぶ痛みや屈辱を、無視できるほど俺は鈍感じゃなかった。


 嫌な気持ちが胸にこびりついたまま、俺は視線を逸らし、通りを歩き出した。


 ――彼女の元へ向かおう。


 街の喧騒を抜け、石畳から土道へと切り替わる境目を歩く。人影はまばらになり、代わりにNPCがちらほらと農作業や荷物運びをしているのが見える。賑わいは完全に遠のき、行き交うプレイヤーの数も減っていった。露店の喧騒も、武器屋の呼び込みも、もう聞こえない。


 その時、前方から年齢層高めの5人組冒険者が笑い声を上げながら歩いてきた。防具を一切着用していない……初心者なのだろうか。だが顔には妙な高揚感が浮かんでいる。


「さっきのすっげぇ気持ち良かったよな……」

「あぁ、あまりにもリアルすぎて大人げなく興奮しちまったわ」

「このゲームには色んな“楽しみ方”があるって、他の奴らにも教えてやらねぇとな」


 俺は軽く横目で彼らを見て通り過ぎる。――一体何のコンテンツについての話をしているのだろうか。まぁ、このゲームはあらゆるコンテンツにおいても徹底して作り込まれている。何をやったとしてもそういう感想になるのも頷ける。この世界はどんな人間であっても関係ない。思い描く理想の自分になれる素晴らしい世界なんだから。


 思わず口元が緩む。やはり自分が関わった世界を他人が楽しんでくれるのは嬉しい。俺はその一言一句に特別な意味を見出そうとはせず、胸を高鳴らせながら歩みを進めた。


 やがて街の外れへと足を進めると、そこには小さな畑と木造の民家が点々と並んでいるだけになった。普通のプレイヤーなら、わざわざ足を運ぶ理由もない。クエストもなければ、レアアイテムのドロップもない。ただNPCが暮らす、世界の背景として用意されたエリア。


 だからこそ、俺はここに"仕込んだ"。


 ――ルシア。


 俺だけが知る、最強への抜け道。心臓が早鐘のように鳴っていた。思わず笑みがこぼれる。


 最強装備を手に入れたら、まずはどこへ行こうか。序盤ダンジョンに乗り込んで、初心者を導いてやるのもいい。ギルドを作ってマスターをやるのもいい。PvPエリアに乗り込み、調子に乗ってる上級プレイヤーをまとめて蹂躙するのも悪くない。あるいは延々と狩りに没頭して、経験値テーブルの頂点に最速で到達してやるか……。


 くくっ。想像するだけで楽しくて仕方がない。現実じゃ、どれだけ足掻いても底辺のままだった俺が――この世界じゃ、勝者になれるんだ。


 さらに奥へと進む。そこに、小さな木造の家が見えてきた。窓辺に吊るされたランタンが、夕焼けの光に照らされ、かすかに揺れていた。ここが俺の目的。


「ルシアちゃんいますかー?」


 玄関の扉をノックして律儀に呼びかけた。ずっとニヤケヅラのまま、浮き立つ心を抑えきれずに。


 ……しかし、反応はない。


 耳を澄ませても、生活音すら聞こえない。家の中が、あまりに静かすぎた。


「おかしいな……この家族は、この時間なら家にいるはずなんだが……」


 恐る恐る窓から覗き込むと、リビングには誰もいない。鍵のかかっていない扉を押し開けると、ギィ、と乾いた音がした。踏み込んだ家の中は、異様なほど静まり返っていた。家具は整然としているのに、空気だけが重い。


「え、まさか出掛けてるのか?」


  そりゃあ最先端の人工知能エコーズAIだ。開発者の俺でさえ予想のつかない行動をする場合だってある。というかむしろNPC達の行動を全て把握し制御できる人なんて、開発者であってもほぼいないだろう。


 恐ろしいことを言っているのは自覚しているが、それがこのゲームの最大の売りなのだから仕方がない。そのおかげで、従来のMMOでありがちな“攻略サイト漁り”のような行為は意味をなさない。


 クエストはプレイヤーごとに状況が変わり、NPCは誰もが異なる反応を返す。選択肢ひとつで展開が枝分かれし、昨日の正解が今日は通じない。最適解をまとめて「これ以外はゴミ」と切り捨てる――そんなユーザー体験を歪める弊害は存在しない。

 いや、そもそも情報をまとめること自体が無謀なのだ。無数の分岐を持つ世界を、どうして紙の上に収められる?この世界は、生きているんだから。


 俺は二階へ向かった。軋む階段を一歩ずつ上がっていくと、奥の扉が風に揺れてギィッ……と開いた。


 なぜだか胸がざわつき呼吸が浅くなる。


 そして俺の視界に飛び込んできたのは――



「……っ!?」





 胸に剣を突き立てられ、血に濡れたルシアの姿だった。

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