あいじょうどーぞ

沙華やや子

あいじょうどーぞ

海音かいとぉ! お弁当持ったー?!」

「っるさいな~! 持ったってば! ママいい加減に子離れしたほうがええで! めっちゃウザいわ」 

 まったく、口の悪い息子だ。


(あたしべには40才、高校3年生のママだ。夫は居ない。シングルのまま子どもを生んだ。息子の父親は滅茶苦茶な人間だった。短気でギャンブル好き。仕事も続かない。交際中に「赤ちゃんができた」と告げると音信不通になり行方知れず。その時に紅の情は吹っ切れた。もういい、自分で生んで育てるわ! って)


 愛のない父親は子どものために居なくなってくれたほうが良いってなもんだ。

 妊娠したのは21才。それまで派遣社員として工場のライン作業をがんばっていたので続けようと考えた。が、妊娠の事をリーダーに告げると「ダメダメ! 紅ちゃん。赤ちゃんのために仕事はやめなあかんで! 福祉へ相談に行き」と言われ、半ば強引に辞めさせられた。

 民生委員の人や区役所の人は親切だった。でも、最低限の生活費で暮らした。決して裕福ではない家庭で息子は育った。


 海音は紅と違い、気が強くタフでドライだ。……そう、紅は何かとクヨクヨする方だ。人前に出るのが苦手だし、コミュニケーションも上手に取れないから、比較的人としゃべらず淡々とこなせる工場の仕事は向いていた。


 紅は息子を死に物狂いで育てた。自分がしてもらえなかったこと、してほしかったことをたくさんやった。幼い海音に毎晩絵本を読んでやった。喜んで、人差し指を立て「もっかい!」と何度でもせがむ海音。それが大変でもあったけど、やっぱりかわいく、嬉しい気持ちのほうが勝ち、紅は海音に負けないぐらい心を躍らせた。

 保育園の帰り道は手を繋ぎ、そぞろに歩いた。帰れば忙しいのだから早く帰りたいのはやまやまだが……息子の好奇心に付き合った。お花の名前・空の美しさ・お散歩している犬の愛らしさ、まだ海音が旨くしゃべられない内から、紅はなんでもおしゃべりして聴かせた。


 ほんで、こないに口が達者になったんやな! とちょっぴり呆れたり?


 母子はなんでも話をする。学校であった事、悩み事、宇宙の話やはたまた哲学にまで話は及ぶ。紅は海音の話がおもしろく、とても教えられる事がいっぱいある。

 また、海音は英語が凄まじく得意なので、洋楽の歌詞を訳して紙に書いてもらうのだ。その意訳がとても温もりに溢れ、好きだな~と思う。

「『そうそう、おまえのお母さん可愛いよな』ってツレが言うとったわ」と言われた時は……なんか、ビミョーでした。


「ただいま~」

「おかえり……」

「あれ? ママ、泣いてたん? どしたの」

 実は紅には遠くに暮らす好きな人が居る。おつきあいもしているが、ケンカばかり。優しい男性だ。紅は内弁慶なところがあり、恋人に対しては我儘だったりするのだ。

「ううん、考えごとしてたんよ、ごめんな心配かけて」

「俺は大丈夫やで、ママ。ゆっくりしたら……俺、米炊くわ」

「ありがとう……おかずどうしよ」

「俺が目玉焼き焼くわ!」

 紅は海音を生んでよかったと思う。ごはんを作ってくれるからではない。温かいからだ。そして、海音のおかげで、どれだけ強くなれたか。

 強いとは、思いやりを示せるという事。

『内弁慶』と先に説明したが、紅は恋人とはつかみ合いの喧嘩を厭わないほどの恐ろしい一面を持ち併せていた。ケンカが強いのだ。ヤバい。まじで。

 そんなケダモノを僅かなりとも人っぽくさせてくれたのは、息子に他ならない。


「あれ? どうしたん……ズボンのお尻、砂ついてるやん? 海音……」

「ああ、これね、ケンカ売られたから止めようとしたの」

(え! えええ! え! えっ! 箱に入れときたいぐらい可愛いウチの息子に、なぬッ?!)

 母親の狼狽の色を見て取り息子・海音は「もぉ――ママ! やめて! 大丈夫だって。みんな居たし、先生も仲裁に入ったんや。俺、ちっちゃい子とちゃうねんで」

 紅は気を取り直す。

「う、うん……ただ『虐め』やったら赦せへんと思ったんよ」

「ああ、アイツとは普段仲いいよ。ただカッとなりやすい奴やねん」

「ふーん……」

 いつの間に紅の瞳の涙は乾いていた。


 ……フー、海音、大学も決まったし もうすぐ卒業式って時に。

 毎日作り続けたお弁当も明日が最後だ。


 紅は……息子である海音が巣立ったら、遠距離恋愛中の彼のもとへ行く。海音はその話を聴いた時、とても冷静に「ママの人生なんだから、満足いくように思いきり好きに楽しむべきだよ!」と言ってくれた。

 海音は奨学金を使い進学する事となった。これからは奨学金とアルバイトで自活して行くのだ。海音がこの賃貸住宅を先に出て行く。


 少しずつ海音は、自分の部屋の荷造りをして行っている。マンションももう決まったのだ。


 紅は、高校最後のお弁当に小さな手紙を添える事にした。

 たいせつに前の晩から書いた。


『海音、ママの子どもで居てくれてありがとう。ママは、ずっと海音のお弁当が作れてしあわせだったよ。嬉しかったよ。これからは離れるけどさ、お互いがんばろうね!  大好きな海音へ ママより』丁寧にたたみ、シールで留めた。


「ただいま~!」

「おかえりー」そして紅は気になり開口一番言った。

「お弁当、食べれた?」……束の間の沈黙ののち、涙をこぼす海音。

 泣き笑いしつつ「もぉ~! ヤバかったって。ママ、泣きそうになったわ、手紙。ありがと」

 紅はニッコリし、右手をさし出した。海音もサッと右手を出した。母子の固い握手。紅の鼻の奥がツーンとし、涙がボロボロあふれ出た。

 繋がれた手には、これからの未来への希望も不安も夢もパワーもないまぜに宿っている。

 あんなにやわらかくてちっちゃかったもみじのお手てが、こんなにごつくなっちゃって。泣けてきた。

(もうハグしたら「きしょい」とか言われるんだろうな)とか思うと超さみしい! だからせめてもと握手を希望したのだ、紅は。


 いつまでたっても息子、なんだよー、息子よ。きっとあんたがおっさんになってもね。

 こんな穏やかな心地にしてくれる。感謝しかないね。ありがとう!

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あいじょうどーぞ 沙華やや子 @shaka_yayako

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