第2話
フィリアの森は、街から見た想像よりもずっと深かった。
高くそびえる木々の隙間から差し込む太陽の光が、地面にまだらな模様を描いている。
街の近くは人も通るからか道が整備されていたが、奥に進むにつれて道は消え獣道のような細い道になった。
まずは、今夜を過ごすための安全な場所を探さないとな。
森にはゴブリンなどの魔物がいると聞くし、強力な個体は少ないらしい。
それでもまだ五歳の子供にとっては、最弱のゴブリン一体でも十分に命の脅威だ。
しばらく慎重に歩いていると、せせらぎの音が聞こえ小さな川が流れている場所を見つけた。
生きていく上で水の確保は重要だから、この辺りを拠点にするのがいいかもしれない。
俺は川辺の大きな岩に腰を下ろし、一息ついた。
鞄から革の水筒を取り出して、乾いた喉を潤す。
「よし、さっそくこのスキルを試してみよう」
まずは、何か簡単なものからだ。
俺は足元に転がっていた手のひらサイズの、ちょうどいい大きさの木片を拾い上げた。
木のコップを、できるだけ具体的に頭の中で思い浮かべる。
設計図なんてものは必要なく、前世で何度も作ったことのある馴染み深い形だ。
滑らかな手触りと、持ちやすいように少しだけくびれた形をイメージする。
スキル『創造(木工)』を発動させると、体の芯から温かい何かが手のひらに集まってくる。
これが、この世界の力である魔力というやつか。
すると俺の手の中にあるただの木片が、まるで柔らかい粘土のように形を変え始めた。
ざらざらした表面が削られ、内側が綺麗にくり抜かれていく。
作業はほんの数秒もかからずに終わり、俺がイメージした通りの木のコップが完成した。
「おお、本当にすごいなこれ」
出来上がったばかりのコップを手に取り、まじまじと観察する。
表面は高級な紙やすりをかけたように滑らかで、美しい木目がくっきりと浮かんでいた。
釘も接着剤も一切使っていないのに、完璧な形をしている。
早速、透き通った川の水を汲んで飲んでみた。
ひんやりとした水が、木の香りと混じり合ってほんのりと美味しく感じさせる。
「これなら、本当に何でも作れそうだ」
次に、簡単な椅子を作ってみることにした。
いつまでも地面に座り続けるのは、さすがに体が疲れるだろう。
その辺りに落ちていた適当な太さの枝を何本か拾い集め、頭の中でシンプルなスツールの設計図を組み立てる。
平らな座面とそれを支える四本の脚を、頑丈に組み合わせるだけだ。
再びスキルを発動させると、地面に置いた枝がひとりでに動き出し音を立てて組み合わさっていく。
それぞれの接合部分は、少しの隙間なくぴったりとくっついている。
あっという間に、大人が座ってもびくともしない頑丈そうな木製のスツールが完成した。
「快適、実に快適だ」
完成したばかりの椅子に腰掛けて、俺は満足のため息をついた。
このスキルがあれば、この森でも十分に文化的な生活をしていけるだろう。
まずは小さな家を建ててふかふかなベッドを作り、食事のためのテーブルと椅子を置こう。
やりたいことが、まるで泉のように次から次へと思い浮かんでくる。
まさに、俺だけの秘密基地作りが今始まったのだ。
子供の頃に誰もが夢見た、最高の遊びが現実になった。
これからの自由な生活に胸を躍らせていた、まさにその時だった。
ガサッ、とすぐ近くの茂みが大きく揺れる音がした。
魔物か、と俺は慌てて立ち上がり身構えた。
武器になるようなものは何もないから、さっき作ったばかりのスツールを固く握りしめる。
しかし、茂みから現れたのは魔物ではなかった。
「え、子供か」
そこにいたのは、二人の小さな女の子だった。
透き通るような銀色の髪が、木漏れ日を浴びてキラキラと輝いている。
二人とも人間にはない尖った耳をしており、物語で聞くエルフという種族だろうか。
着ている服はボロボロで、顔や手足は泥と痛々しい擦り傷だらけだった。
姉らしき女の子が、妹らしき小さな子を必死に庇うように強く抱きしめている。
姉の方は大きな青い瞳で、俺を射殺さんばかりに強く睨みつけていた。
全身から、強い警戒心でいっぱいなのがひしひしと伝わってくる。
妹の方は緑色の瞳を涙でいっぱいにし、恐怖で小刻みに震えていた。
二人とも、ひどく衰弱しているように見えた。
立っているのがやっとのようで、今にも倒れてしまいそうだ。
「だ、大丈夫か、君たち」
俺はできるだけ優しい声で、ゆっくりと話しかけた。
武器に見えそうなスツールをそっと地面に置き、両手を上げて敵意がないことを示す。
姉の方は、何も答えない。
ただ、その鋭い視線で俺を睨みつけるだけだ。
言葉が通じないのかもしれないし、人間そのものを警戒しているのかもしれない。
その時、妹の方がくぅと小さくお腹を鳴らした。
よほど、長い時間何も食べていないのだろう。
「お腹、空いてるのか」
俺は自分の鞄の中から、家を出る時に厨房からこっそり失敬してきたパンを取り出した。
少し硬くなってしまっているが、食べられないことはないはずだ。
それを半分にちぎり、ゆっくりと二人の前に差し出した。
「これ、もしよかったら食べるか」
姉の方は、まだ俺を疑うように見ている。
だけど妹の方は一切れのパンを見て、ごくりと喉を鳴らした。
「……リリア、おなかすいた……」
妹が、とてもか細い声で呟いた。
リリア、というのが姉の名前らしい。
リリアと呼ばれた少女は、しばらく俺とパンを交互に見ていた。
やがて意を決したように、おずおずと俺の手からパンを受け取った。
そしてそのほとんどを妹に渡し、自分は本当に小さなかけらを口に運んだ。
よほど飢えていたのだろう、二人は夢中でパンを頬張った。
「水も、あるぞ」
俺はさっき作ったばかりの木のコップで川の水を汲み、そっと差し出した。
リリアはそれも受け取り、まずは妹に飲ませてから自分の喉を潤した。
少し落ち着いたのか、リリアの表情から険しさが少しだけ和らいだように見えた。
「……ありがとう」
ぽつりと、蚊の鳴くような小さな声でお礼を言われる。
「どういたしまして、俺はルークだ、君たちの名前は」
「私はリリア、この子はルナ」
「リリアとルナか、二人ともいい名前だな」
俺がにっこりと笑いかけると、リリアは少しだけ驚いたような顔をした。
妹のルナは、まだ俺を怖がっているのかリリアの後ろに隠れてしまっている。
「どうしてこんな森の奥にいるんだ、君たちの親は一緒じゃないのか」
そう尋ねた瞬間、リリアの顔が悲しそうに歪んだ。
大きな青い瞳から、ぽろりと大粒の涙がこぼれ落ちる。
「……村が、みんな……悪い人たちにいなくなっちゃった……」
どうやら、何か深刻で辛い事情があるらしい。
まだ幼いこの二人に、無理に聞くことではないだろう。
「そうか、それは大変だったな」
俺はそれ以上は何も聞かず、二人の頭をそっと撫でた。
リリアはびくりと体を震わせたが、もう抵抗はしなかった。
日が、ゆっくりと西に傾き始めている。
森の夜はきっと冷えるだろうし、こんなボロボロの服では体力を奪われてしまう。
それに、夜行性の危険な魔物もいるかもしれない。
このまま、か弱い二人を放っておくわけにはいかない。
「よし、決めた」
俺は、すっくと立ち上がった。
「ここに、俺たちの家を建てよう」
「え、いえ、ですか」
リリアが、きょとんとした顔で俺を見上げる。
「ああ、雨風をしのげる温かい家だ、君たちが安心して眠れる場所を作ってやる」
こんな幼い子供たちを守るのは、中身だけとはいえ大人の俺の役目だろう。
それに、一人よりも二人で二人よりも三人の方がきっと楽しいに違いない。
「見てろよ、今からすごいものを見せてやるから」
俺はニヤリと笑い、スキルを使うための準備を始めた。
まずは、頭の中に設計図を描く。
前世の知識を総動員して、頑丈で快適なログハウスを建てる。
広さはそこまでいらないし、俺とこの小さな姉妹が暮らせるくらいの大きさで十分だ。
間取りはシンプルなワンルームで、調理と暖を取るための暖炉も必要だ。
窓も欲しいけれど、この世界にガラスはないらしい。
とりあえずは、開閉できる丈夫な木の窓を作ろう。
ベッドは三つで、テーブルと椅子も三つずつ作ろう。
頭の中に、完璧な設計図が瞬く間に組み上がっていく。
「よし、やるか」
俺は森の木々に向かって、両手を大きく広げた。
「『創造(木工)』、最大出力」
俺の魔力に反応して、周囲の木々がざわめき始める。
地面から数本の太い木が、根こそぎゆっくりと空中に浮かび上がった。
「え、えぇ、何これ」
リリアが信じられないといった表情で、目を大きく見開いている。
ルナも、泣くのを忘れて呆然と空中の木を見つめていた。
浮かび上がった木は、俺の頭の中のイメージ通りに加工されていく。
邪魔な枝が払われ分厚い皮が剥がれ、一定の長さに切り揃えられていく。
そして加工された丸太が、寸分の狂いもなく組み上がっていく。
頑丈な基礎ができ壁が立ち上がり、あっという間に屋根が組まれていった。
まるで、見えない巨人がブロックを組み立てているようだった。
轟音と共に次々と木材が加工され、立派な家の形になっていく。
釘も金槌も使わず、ただ俺の魔力とイメージだけで巨大な建造物が出来上がっていく。
リリアとルナは、その圧倒的な光景をただ呆然と眺めていた。
口をぽかんと開けて、目の前で起きている奇跡のような出来事を見つめている。
作業開始から、一時間もかからなかっただろうか。
森の中に、周囲の自然と調和した立派なログハウスが完成した。
「できた、今日からここが俺たちの家だ」
俺がそう言うと、リリアはゆっくりと俺の方を振り返った。
その美しい青い瞳はさっきまでの警戒心ではなく、純粋な驚きと尊敬のような色を浮かべていた。
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