第3話

「……うそ」


リリアが、か細い声でつぶやいた。

無理もないだろう、さっきまで何もなかった森の広場に、立派な家が突然現れたのだから。

たとえ魔法だとしても、すぐには信じがたい光景のはずだ。


妹のルナは、姉の後ろに隠れたままで、くりくりした緑色の瞳で家と俺の顔を何度も見ている。

その表情は恐怖から驚きへと変わり、今では好奇心の色が浮かんでいるようだった。


「さあ、入って。今日からここが君たちの家だ」


俺が扉を開けて招き入れると、リリアはためらいながらも、妹の手を引いて一歩を踏み出した。


家の中は、木の温かい香りで満ちていた。

外側だけでなく、内装も俺の想像通りにできていた。


「わあ……」


リリアが、感心の声を漏らす。

部屋の中には、壁際に三つのベッドが並んでいた。

まだ布団などはない、木の枠だけの状態だが、地面で寝るよりずっと快適だろう。

部屋の真ん中には、家族で囲むのに丁度いい円いテーブルと、三つの椅子が置かれていた。

そして、奥の壁には石を組んで作った暖炉があった。


「すごい……全部、木でできてる……」


リリアは、恐る恐るテーブルに触れた。

その表面は滑らかに磨かれており、職人が作ったと言われても信じるだろう。


「ベッドだよ、一つは俺ので、二つは君たちの。好きな方を使っていい」


「わたしたちの……?」


「ああ、もう硬くて冷たい地面で、眠らなくていいんだ」


俺がそう言うと、リリアの青い瞳が少し潤んだ。

ずっと張り詰めていた気持ちが、少しだけ緩んだのかもしれない。

妹のルナは、さっそく一番奥のベッドに駆け寄ると、ぴょんぴょんとその上で跳ね始めた。


「るな、こら!行儀が悪いでしょう!」


リリアが慌てて止めようとするが、ルナは楽しそうに笑うだけだ。

その無邪気な姿に、俺もリリアも、つい笑ってしまった。


「まあ、いいじゃないか。丈夫に作ったから、それくらいじゃ壊れない」


とはいえ、このままでは夜は冷える。

寝るための道具が必要だ。


俺は暖炉の前にしゃがみ込むと、近くの乾いた枝を数本集め、火をつける場所に置いた。

前の世界の知識では、火を起こすには摩擦を使ったり、火打石を使ったりする必要がある。

しかし、この世界にはもっと便利なものがあった。


確か、初歩的な生活魔法に、点火というものがあったはずだ。

貴族の趣味として、最低限の魔法は教わっていた。

もっとも、俺には魔法の才能がないと、先生に諦められたのだが。


「『点火』」


俺が指を鳴らして唱えると、指先に小さな火の玉ができた。

それを枝に移すと、ぱちぱちと音を立てて燃え始める。


「わっ、魔法……」


リリアが、小さな声でつぶやいた。

どうやら、俺が魔法を使えるとは思っていなかったらしい。

まあ、木工の技術しかないと思われても仕方ないか。


火が落ち着いたところで、俺は次の作業を始める。


「さて、次は布団だな」


「ふとん?」


「ああ、温かい寝床がないと、風邪をひいてしまうからな」


この森には、確か「わたの木」という植物があったはずだ。

その実からは、名前の通り綿のような繊維が取れる。


俺は一度家の外に出て、森の中を少し歩き回った。

運よく、わたの木はすぐに見つかった。

白い綿毛に包まれた実が、いくつもなっている。


それを両腕いっぱいに抱えて家に戻ると、リリアとルナが不思議そうな顔で俺を見ていた。


「ルーク、それなあに?」


ルナが、初めて俺に直接話しかけてきた。

まだ少しだけ、幼い口調だ。


「これはわたの木の実だ。これで、ふわふわの布団を作るんだよ」


俺は床に実を広げると、技術を発動させた。

頭の中に思い浮かべるのは、布の袋と、それを満たす綿だ。

そして、それらを縫い合わせる針と糸もイメージする。


もちろん、俺の技術は木工だ。

布や糸を、直接作り出すことはできない。

しかし、応用はできる。


俺はまず、わたの木の実から繊維だけを丁寧に取り出し、魔力で固めて糸にした。

そして、その糸を織り上げて、丈夫な布を作り出す。

これは、植物の繊維を加工するという点で、木工とあまり変わらない。


出来上がった布を袋の形に縫い合わせ、その中に残りの繊維をたくさん詰め込む。

最後に口を閉じれば、簡単なマットレスと掛け布団の完成だ。


「……え、えぇぇ!?」


リリアの驚きの声が、部屋に響き渡った。

目の前で起きたことが、信じられないという顔をしている。

無理もない、ただの木の実が、数分で立派な寝具に変わったのだから。


「ほら、できたぞ。これで今夜から温かく眠れる」


俺は完成したマットレスをベッドの枠の上に敷き、その上に掛け布団を置いた。

それを、三つのベッド全てに用意する。


ルナがおずおずとベッドに近づき、指で布団を突いた。

その柔らかさを確かめると、ぱあっと顔を輝かせ、勢いよくベッドに飛び込んだ。


「わーい!ふわふわー!」


「る、ルナ!だから、行儀が悪いってば……!」


再びリリアが注意するが、ルナは布団の感触が気に入ったのか、顔をうずめて頬ずりしている。


リリアも、そんな妹の姿を見て、とうとう諦めたように小さくため息をついた。

だが、その口元は優しく笑っている。


「ありがとう、ルーク。あなた、本当にすごいのね……」


「大したことないさ、俺にできるのは、これくらいだからな」


これは、本心だった。

戦闘技術もなければ、高度な魔法も使えない。

俺にできるのは、こうして物を作ることだけだ。


だけど、目の前で喜ぶ姉妹の笑顔を見ていると、それだけで十分じゃないかと思える。

誰かに必要とされること、誰かの役に立てること。

それは、前の世界の俺が決して得られなかった、温かい気持ちだった。


「さて、と。お腹も減っただろう、何か簡単なものを作るよ」


俺は暖炉の火を少し強めると、再び技術を発動させた。


次に作るものは、鍋と食器だ。

これも、木で作る。

特別な加工をして、燃えにくく、水が漏れないようにしなければならない。


これも、前の世界で得た知識と、この世界の技術が合わさって初めて可能になることだ。

木を魔力で圧縮し、密度を高めることで、火と水に強くすることができる。


あっという間に、三人分の木の皿と、スプーン、フォーク、そして大きめの鍋が出来上がった。


「わ……お皿も、スプーンも……」


「これで食事ができる。問題は、食べ物だな……」


鞄の中には、あの硬いパンの残りしかない。

さすがに、これだけでは寂しい。


俺は川で魚でも釣ろうかと考えたが、リリアが「それなら、これがあるわ」と言って、小さな布袋を取り出した。


中には、木の実や食べられる野草が少しだけ入っていた。

森をさまよっている間に、必死で集めたものなのだろう。


「すごいな、リリア。ちゃんと食べられるものを知ってるんだ」


「うん、森のことは、お母さんに教わったから……」


リリアの表情が、少しだけ曇った。

家族の話は、まだこの子たちにとって、辛い記憶に繋がっているのかもしれない。


俺はあえてそれには触れず、にこやかに言った。


「ありがとう、リリア。助かるよ、これを使って、温かいスープを作ろう」


俺は鍋に川の水を汲んでくると、暖炉にかけた。

そして、リリアが集めてくれた木の実と野草を洗い、鍋に入れる。

味付けになるものはないが、塩くらいは欲しいところだ。

確か、家を出る時に台所から塩の入った小袋を持ってきたはずだ。


鞄をごそごそと探っていると、ルナが俺の服の裾をくいっと引っ張った。


「なあに、ルナ?」


「……おもちゃ、ほしい」


上目遣いで、そうお願いしてくる。

その姿は小動物のようで、思わず頭を撫でたくなる。

断れるわけがなかった。


「おもちゃか。いいよ、何が欲しい?」


「うーんとね……うさぎさん!」


「よし、任せろ」


俺は近くに転がっていた手頃な木を拾い上げると、技術を発動させた。

頭の中に、丸くて可愛い、うさぎの姿を思い浮かべる。


数秒後、俺の手のひらの上には、今にも跳ねそうな、愛らしい木のうさぎが乗っていた。


「わーい!うさぎさんだ!」


ルナは満面の笑みでそれを受け取ると、ぎゅっと抱きしめた。

それを見ていたリリアが、少し羨ましそうな顔をしているのに、俺は気づいていた。


「リリアも、何か欲しいものはあるか?」


「え、わ、私はいいの!子供じゃないんだから……」


リリアは、慌てて首を横に振る。

しっかり者であろうと、必死に頑張っているのが伝わってきて、なんだか微笑ましかった。


「遠慮するなよ、姉妹お揃いのものがあった方が、うさぎも喜ぶだろ?」


俺はそう言って、もう一つ木を手に取った。

今度は、少しだけ大人びた、賢そうな表情のキツネを作る。


「ほら、リリアには、このキツネを」


「……!」


リリアは驚いたように目を見開いた後、小さな声で「ありがとう……」と言って、その木彫りのキツネを受け取った。

その頬が、少しだけ赤く染まっているように見えた。


そうこうしているうちに、鍋からいい匂いがしてきた。

ことことと煮込まれたスープの、優しい香りだ。


俺は木の器にスープを注ぎ、テーブルに運んだ。


「さあ、できたぞ。熱いから、気をつけて食べろよ」


「「いただきます」」


二人は小さな手を合わせると、スプーンでゆっくりとスープを口に運んだ。


「……おいしい」


ルナが、幸せそうな顔でつぶやいた。


「うん……温かい……」


リリアの瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。

慌てて手の甲でそれを拭うが、次から次へと涙が溢れてくる。


「り、リリア……?」


「ご、ごめんなさい……美味しくて、嬉しくて……。こんな温かいもの、食べたの、久しぶりだから……」


しゃくり上げながら、それでもリリアはスープを食べ続けた。

その姿を見て、俺は胸が締め付けられるような思いだった。


この子たちは、一体どれだけの間、辛くて怖い思いをしてきたのだろうか。

俺は何も言わず、リリアの頭を優しく撫でた。


「大丈夫、もう、大丈夫だ。これからは毎日、温かいご飯を一緒に食べよう」


「……うん」


リリアはこくんと頷くと、涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、それでも嬉しそうに笑った。


その日の夜、俺たちは新しいベッドで眠りについた。

リリアとルナは、よほど疲れていたのだろう。

すぐに、すうすうと可愛らしい寝息を立て始めた。

二人の手には、俺が作ったうさぎとキツネの木彫りが、大切そうに握られている。


俺は暖炉の火が消えないように薪を足しながら、その寝顔をしばらく眺めていた。

追放された時は、自由な一人暮らしが始まると、胸を躍らせていた。

それはそれで、楽しかっただろう。

だけど、今は違う。


この小さな姉妹との暮らしを、大切にしたい。

俺の心の中には、今まで感じたことのない、温かい気持ちが芽生え始めていた。

暖炉の火が、俺たち三人を優しく照らしていた。

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