第3話 17歳
あのあとも、教義の細かい変更は続いていた。そうして二年ほどで、配布される冊子の厚さは当初の二倍ほどになっていた。
規約ができて、役員制度ができて、会費の制度が細かく設定されて。これまで曖昧だったものを明確化するのだ、と言われたら、誰も反論できなかった。たしかに、よく言えばおおらか、悪く言えば適当に運営されていた面があったからだ。
集会に集まる信徒も半数ほどになっていた。二年も経てば、それまであった『祝福』がまったくなくなっていることに誰でも気が付いた。それでも、『祝福』以外の要素は充分に魅力的だったので、参加を継続するメンバーもまだいた。
集会に参加しなくなった信徒は、単純に抜けるだけの場合も、完全に遠く離れた場所に移住してしまう場合もあったようだった。
始と並んで帰宅しながら、夕暮れの空を見上げた。
「俺も高校出たあとは、ちょっと考えちゃうな」
「考えるって?」
「続けるかどうか」
「抜けるの?」
「このままなら。進学したら、この街を出ることになるんだろうし」
数歩歩いて、始がついてこないので、振り返ると、彼は斜め下に目線を向けて立ちすくんでいた。
「僕が、言ったとおりに、なったろう」
「そうだな。お前が、正しかった」
「なあ、藤太」
僕を置いていくのか、と言った始の目は、いつもよりも緑みを増して見えた。
「お前を置いていくもんか!」
「でも、抜けるなら」
「だから。」
始の手を取る。彼の、まだ細いばかりの手は、震えていた。
「始、一緒に、東京に行こう」
始の目は、大きく見開かれた。
それは、とっさに思いついたことではあったが、藤太にもいいアイデアであるように思えた。
「ふたりで、東京で、新しい人生を探してみよう。色々見てさ、やりたいこと決めるんだ。いいだろ」
「いい、のかな」
「いいんだよ。連れて逃げたっていいんだ。どうしたい?」
「行きたい。僕も、東京。藤太と一緒に行きたい」
「よっしゃ!」
「でもさ、その前に」
「なに?」
「勉強、しなきゃ」
言われてみれば、始はともかく、藤太の成績は、進学クラスのなかでも比較的低い位置にいた。拝み倒して、始に勉強を教えてもらうことにした。
始は、暗記科目についてはヤマを張らずに気合ですべて覚えるストロングスタイルだったのであまり参考にはならなかったが、特に、こと数学と物理については、概念を掴ませることが異様にうまかった。
放課後の図書館の学習室で、ふたりで問題集を解く。
「始、教師に向いていると思うぜ」
「そうかな」
「そうそう。特殊能力じゃなくても、じゅうぶん凄い」
「うぬぼれそう。藤太が、次に一位取れたら、それ信じるよ」
「マジかよ」
などと笑いながら、参考書をめくる。
始に、話があるんだ、と呼び出されたのは、そんな日が続いた冬のことだった。一緒に公園に向かう。
「許しが出た」
「なんの?」
「東京行きの」
始は、それでも、あまりうれしくはなさそうに、笑った。
「あいつら、僕がまだ、組織の頂点に立つのを狙っているとか思っていたみたいで、どう追い出すか画策していたようなんだ。父親と僕は、顔が似ているから、特にね。都合がよかったみたいで、学費も負担してくれるらしい」
「よかったじゃないか」
「厄介払いさ。あいつらだけじゃない。母親も、僕がいらなくなってる」
「そんなこと、」
「あるんだよ」
夕陽で逆光になり、始の顔はよく見えない。
「どうして、歳の離れた、他に家族がいて一緒にもなってくれない、愛しているわけでもない男とそういうことをして、子どもを産もうって、いまの僕たちの歳で考えると思う?」
思い当たる節はあった。
「金銭的な支援?」
「昔から、あの息子、後継者としての資質に疑問が持たれていたからね。僕のほかにも、それで作られたきょうだいが何人かよそにいて、僕以外は全部だめだったみたい」
始は、顔を手で覆った。
「いま、うちには、母の男が出入りしている。居場所は、ないんだ」
どうしても、わかってしまった。
始が『祝福』が起こせることを、明らかにしていたら。
その結果どうなるにせよ、始の居場所はまだここにあったことが。
教義がねじれていくことも、集会ががらんどうになることもなかったことが。
そうして、始の人生は他人に利用されるだけになってしまうだろうことも。
「始」
「なに?」
「つらい思い、させたの、俺だったらごめん。」
「藤太だけのせいじゃない。自分で決めたことでもある」
「でも、誰の人生がどうなっても、俺、始とまだ一緒にいられそうで、それがすごくうれしいんだ」
陽が沈んで、あかりに照らされた始の顔が、ようやく見えた。
「一緒に、どこまでも行こう。俺、始が来てくれっていうなら、どこにでも行くから。まずは、東京に、俺と一緒に来てくれ」
「そんなこと、言っていいの。僕、振り回しちゃうかもよ?」
「いいよ。俺の命は、あのとき、始にもらったんだし」
「それは、僕のほうだ。じゃあ、また、約束」
始が出してきた小指に、自分の指をからめる。
「げんまん、って、拳を一万回、って知ってた?」
「マジかよ」
「本当にやるからね」
そういって、始は笑った。
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