2.図書室の無口姫
種を明かすと、俺があの本を贈呈したときの記録が残っていたらしい。
「あの、そのっ……も、もしかしたらウチの学校の人が書いた本かなって、読みながら思ってて……ほら、あの、舞台の高校の描写とか、なんとなく見覚えが……それで、あの、…………い、いきなり手首、掴んですみません…………」
これ以上なくたどたどしく説明した後、止之森は声を消え入らせて、しゅんと肩を縮こまらせた。
俺はますます居心地が悪くなり、意味もなく閲覧スペースの机で頬杖をついて、目を泳がせる。
「いや、別にいい……。俺のほうもちょっと迂闊だった」
本当にそうだ。
いきなり図書室を出ていくのは不自然だとか意味不明な思考をして、無駄に本を借りようとした俺が、まったくもって迂闊だった。
自分で正体を明かしたようなものだ。『その本、実は俺が書いたんですよ! 面白かったでしょ?』みたいな感じに。そう思うと悪寒が走る。
「そ、それで、あの……いいですか?」
テーブルの反対側で止之森は、もじもじと両手の指をすり合わせながら、顔色を伺うような上目遣いで俺を見つめた。
「……ん? まあ別に」
「そ、それでは……!」
何の許可を取られているのか理解もせずに、さっさと図書委員の仕事にでも戻りたいのかと思って適当に答えたのが、またしても不覚だった。
止之森はテーブルに置いた『選択の彼方』に両手を添えながら、ぐいっと前に乗り出して、
「あのっ、あのあの……! 主人公が最初のシーンに戻ってくるところなんですけど……!」
猛然と、俺が書いた小説の感想を語り始めた。
その勢いといったら、まさしく怒涛のごとくという他にはない。俺があーとかうーとかうめき声のような相槌しか打てていないことにはさっぱり気づかず、止之森はここが良かった、あそこが良かった、どこそこは最高だったと褒めに褒め倒してくれた。
どこのどいつだ、こいつに無口姫なんてあだ名をつけたのは。
今、俺の前にいる止之森夢叶は、そのあだ名とは真逆の存在だった。
わかりやすくオタクである。好きなもののことになったら止まらない。相手がちゃんと聞いているのか、理解しているのかも関係ない。バランスのいいコミュニケーションというものをさっぱり知らない情熱の塊。
不思議と不快にならないのは、やっぱり自分の作品を褒められているからだろう。
俺は自分の才能に失望しているし、自分の実力も信頼していない。
しかし、褒められて不機嫌になるほどひねくれてはいない。
鈴が転がるような可愛らしい声で、自分が好きで書いた台詞やシーンを絶賛されると、そりゃあ俺だって嬉しくはなる。
10分も経った頃には、さっきまであった居心地の悪さはすっかり消えていた。
「――あ! あ……あの、すみません……」
ちょうどその頃、止之森の怒涛のごとき感想が、目詰まりを起こしたように途切れた。
「わ、わたしばっかり喋って……い、いつもこうなんです。挨拶さえまともにできないくせに、いざ喋りだしたら相手のことを考えられなくなって……」
「いや、いいよ」
俺は口元に笑みを滲ませながら言った。
「褒められて嬉しくない作家なんていねえよ。作家の友達はいねえけど」
「他の作家さんと、会ったこと……ないんですか?」
「一応あるけどな。受賞式のときに。担当編集に会場のあちこちに連れ回されてさ、『今度うちからデビューする誰々です』って先輩作家に挨拶回りすんの」
「へえ……へええ……!」
出版業界の裏話が刺さったようで、止之森は大きな目を輝かせた。
だから俺は調子に乗って、知ってる限りの話を聞かせてやった。編集部にも1回しか行ったことのない俺の業界話なんてたかが知れてるけど、止之森はどれも嬉しそうに聞いてくれた。
止之森が興味深そうに前のめりになったり、感動したように息をつくたびに、俺は少しだけ――高校生のうちにデビューしてよかったと、思ってしまった。
しかし、いつもそうであるように、楽しい時間はすぐに過ぎ去る。
「あの……どこまでお聞きしていいものかどうか、わからないんですけど……」
止之森はおずおずと、しかし思い切ったように声を絞り出した。
「2作目って……もう書き始めたり、してるんでしょうか……!」
その瞬間、俺の中の熱が一気に冷めたのを感じた。
……そうだ。何を作家ヅラしてるんだ、俺は。
2作目なんて書けそうもない……たまたまデビューして1冊出版できただけの、素人のくせに。
「あの……選崎さん……?」
黙り込んだ俺を見て、止之森は不安そうに首をかしげた。
どう答えたものか、俺は悩む。
今書いてるところだ、なんて適当な嘘をついても、そんなのはすぐにバレる。
何より、こんなに俺の書いたものを気に入ってくれたやつに、そんな不誠実なことはしたくない。
だったら……。
「実は……行き詰まってるというか……」
「え……」
「デビュー作になったそれが、初めて書いた小説だったしな……。それ以上に何を書けばいいのか、どう書けばいいのか……。1作目が上手く書けすぎたんだよ、正直」
せっかく出会えたファンにこんなことを言うのはひどく情けなかったが、それが実際のところだった。
もしかすると俺の中からは、もう小説なんて生まれてこないのかもしれない。
失望されたかもしれないが……無駄に期待させるよりは、ずっといい。
「悪いな。せっかく気に入ってくれたのに。でも俺は――」
「れ、練習しましょうっ!」
「え?」
突然立ち上がって叫んだ止之森を、俺は唖然として見上げた。
止之森はテーブルに手をついて、ぐいっと俺に顔を近づけてくる。
「い、1作しか書いたことないなら、練習すればいいじゃないですかっ……! 1作目ほど上手く書けなくても、練習していけば、きっといつかはっ……!」
「いや……んなことやっても、駄作を量産するだけで……」
「駄作でもいいですっ!」
俺の瞳を覗き込みながら、はっきりと止之森は断言した。
「選崎さんが書いたものだったら、なんでも……! なんでもいいので、読ませてください! わたし雑食なので、どんなお話でも楽しめます!」
止之森の勢いにのけぞりながら、俺は自然と断る言い訳を探していた。
だが、それでいいのか?
こんなに求めてくれてる人がいるのに、作ることから背を向けて……楽なほうへと流れて……。
この輝きに満ちた瞳を、裏切ってもいいのか?
「……本当に、何でもいいのか?」
「は、はい……! SFでもミステリーでもライトノベルでも……ちょ、ちょっとエッチなお話でも……!」
何でもいい。
『選択の彼方』より、面白くなくてもいい。
どうせ読ませるのはプロの編集者じゃなくて、同級生の女の子だけ――
「……それだったら、まあ」
ここまでハードルを下げられて、ようやく俺は、1歩を踏み出すことができたのだった。
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