3.ひそやかな感想会


 なんでもいいが一番困る、と世間の夕食担当は献立を考えるたびに言うらしいが、今回の俺に限っては、『なんでもいい』が一番ちょうどいいリクエストだった。

 2作目を書けないとは言っても、まったく何にもアイデアを思いつかないわけではなかった。

 思いつきはしたものの、「これは『選択の彼方』には敵わない」と考えて自分でボツにしたアイデアが、100均で買ってきたA7のメモ帳にゴミのように書き連ねられていたのだ。


 俺はその中から一つ、止之森の反応を見てみたいと思えたアイデアをピックアップして、短編にしてみることにした。

 当然のことながら、短編を書くのも初めてのことだ――しかし、前作を超えることを考えなくていいと思うと意外にも指は軽くなり、文章がすらすらとお下がりのノートパソコンの画面に並んでいった。


 並行世界を渡り歩く猫の話だ。

 夏目漱石の『吾輩は猫である』にSF要素を絡めたらどうなるかというのが着想のきっかけだった――だが長編の尺を持たせられるアイデアだとはとても思えなかったし、並行世界がどうこうは1作目でやったのでボツにしていた。


 細かいストーリーはさっぱり考えていなかったが、思いついた文章を次から次へとつないでいくと、3日くらいで完成した。

 出来については正直よくわからない。だが久しぶりにしてはマシなんじゃないかと思う。


 テキストエディタに打ち出された文章を直接読んでもらうというのも味気ないので、俺は家にあった古いプリンターをこっそり使って全文を印刷し、学校に持っていった。


 止之森とは一応同じクラスだが、俺たちは教室ではまったく関わりがない。というか俺に限らず、止之森が言葉を交わす相手は極めて少ない。何か提出物があるときの教師かクラス委員くらいだ。

 どこのクラスにもひとりかふたりはそういうやつがいて、このクラスの場合それは3人であり、そのうちのひとりが止之森だった。


 だから俺が教室で止之森に話しかけるのはリスクが高い。主に隠れ止之森ファンに夜道で襲われるリスクが。

 というわけで、俺は図書室でたまたま遭遇するのを待つことにした。


 待つといってもそう何日もかかりはしないだろうと高をくくっていたが、その予想は思った以上に当たり、その日の昼休みに貸出受付カウンターに座る止之森の姿を見つけることができた。

 相変わらず、他に生徒の姿はない。

 俺は普通にカウンターに近づいていき、止之森に言った。


「止之森、できたぞ」


 顔を上げた止之森は、丸みを帯びた目を期待に輝かせた。


「本当?」

「ああ。短編だけど」


 そう答えると、止之森はきょろきょろと左右を見回した。

 何を警戒しているんだ、巣穴を出るときのリスみたいだな、と思っていると、彼女はカウンターに身を乗り出しながらひそやかな声で囁いた。


「お、奥の席に行きましょう……」

「……なんでだ?」

「じ、実はこの前……大声で話していたのを、準備室にいた司書さんに聞かれてたんです」


 止之森は恥ずかしげに目を伏せる。


「ちょっと怒られちゃいました……。なので、今度は人目につかない奥のほうで」


 そこなら多少声を出しても問題ないってことか。

 わかったと俺が頷くと、止之森は手元の本を閉じて小脇に抱え、椅子から立ち上がった。

 無人になったカウンターを見て俺は尋ねる。


「ここは誰もいなくて大丈夫なのか?」

「司書さんがいるので大丈夫です……。実はわたしがここに座ってるの、ただの趣味なんです」


 変わった趣味だな、と考えていると、止之森は目をそらして、もじもじとした声で言う。


「司書さんには、その……わ、わたしの事情を優先してもいいと……むしろ優先しろと……い、言われているので。……い、いきましょう……!」


 …………?

 何に照れてるんだ?






 最後のページを読み終わった止之森は、そのコピー用紙を木漏れ日のような光の中に置いて、ふうっとため息をついた。


「すごくシャープな読み味のお話です……。感情が抑えられて、視点が独特で……どことなく純文学的な雰囲気もあって……」

「そうか? 純文学はほとんど読んだことがないからあまり意識してなかったな」


 夏目漱石を念頭に置いていたから、自然とそうなったのかもしれない。


「何にせよすごく面白かったです……! ……あ」


 止之森は口元を押さえて、ちらっと受付カウンターのほうを振り返った。司書さんに怒られるのを気にしているらしい。


「(えっと……)」


 止之森は声を落として、そっと肩を寄せてくる。


「(好きな言い回しがあったんですけど……)」


 こそこそとした囁きが耳をくすぐった。

 本棚の隙間からこぼれ落ちる光にひっそりと照らされたこのテーブルは、どうやら本来自習用らしい。壁に向かって長テーブルが置かれていて、そこに椅子が四つ設置されている。

 そのうち端っこの二つに、俺たちは隣り合って座っているのだった。


「(……ありました。こことか……主人公の猫の言い回しがハードボイルドで、ちょっと笑っちゃいました……)」


 まるでASMRのような囁き声と、今にも触れ合いそうな肩に、俺は落ち着かない気持ちになる。

 止之森としてはただ怒られたくなくて声を抑えているだけなんだから、俺が下心を持つわけにはいかない。だけど……。


「(書きながらハードボイルドなキャラのほうが面白いなって思ったんだよな……。アニメとかでたまにいるし。見た目は可愛いのに声はめちゃくちゃ渋い、みたいな)」

「(あー……見た目は女の子なのに声は中田譲治とか、見た目はショタなのに声は大塚明夫とか)」


 オタクな例えをさらりと繰り出しながら、楽しそうにくすくすと笑う止之森から、しかし俺は視線を引き剥がす。

 止之森は……実はめちゃくちゃ、スタイルがいい。

 猫背気味で目立たないだけというそれを、俺は初めてリアルで見た。こうして近くで見るとかなりの大きさだ。止之森の顔を見ようとすると、どうしてもそれが視界の端に見切れてしまって、目が吸い寄せられそうになる。


 止之森は純粋に俺のために小説を読んでくれてるのに、下心のある目を向けるなんて最悪だ。

 何より、一応は作家の端くれとして、ファンをそういう目で見るなんて終わってる――ような気がする。

 気がするだけだったが、『ファンに手を出した』っていう字面が恐ろしく悪く見えることだけは確かだった。


 落ち着け。気合を入れ直せ。

 ここで鼻の下を伸ばしたら、俺は作家デビューをしたことがあるという経歴を餌に純真な女の子を引っ掛けたクソ野郎だ。


「(やっぱり……好きです)」


 そのとき、熱っぽい囁き声が耳に流し込まれてきて、俺の心臓が跳ねた。


「す……好き?」

「(はい)」


 止之森は花開くように微笑んで、大切な宝物を包むように囁く。


「(選崎さんが書く、作品が)」

「あ……ああ……」


 だよな。

 そうだよな。

 びっくりした……。心臓に悪いぜ……。


「~~~~~~っ」


 動悸を抑えている俺の横で、俯いた止之森が顔を真っ赤にしているように見えたが、髪の陰になってよく見えなかった。

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