図書室の無口姫は、作家(おれ)の耳にだけ感想(あい)を囁く
紙城境介
1.高校生デビューなんてしないほうがいい
何者かになりたいという要求は、誰しも人並み程度にはあるものだ。
一昔前のアニメや漫画の主人公みたいに、平凡を愛し、何者でもないことを愛する――そんなやつは、それはそれで異端の類である。多感な思春期であればなおさらだ。
子供という立場で目の前に様々な可能性が開けているのに、そのどれにも魅力を感じず、群衆に埋もれた平凡でありたいなんていうのは、やっぱり考え直してみても普通の考え方じゃない。
だから俺も例に漏れず、何者かになってみたかった。
自分が何者で、どうなっていくのかを、早いところ定義してしまいたかった――何のヒヨコかもわからない、ぐちゃぐちゃな卵黄の状態でいることに耐えられなかった。
だから、小説を書いた。
そうすれば少しは自分と他人を区別できる気がして――内容は、好きとは言えないまでもよく読んでいたSFとミステリーをミックスした。テーマは後付けで考えた。普段考えていることが無意識に滲み出ていたようで、意外と一貫性があった。
そして、せっかく書いたのだから、と新人賞に投稿し。
何かの間違いで受賞した。
きっとこの世には、作家デビューができなくて苦しんでいる人間がごまんといるのだろうし、俺は紛れもなく幸運だ。
しかし、そんな作家志望たちにぶん殴られることになるであろうことは百も承知で、それでも上から目線で言いたくなる。
悪いことは言わない。
高校生デビューなんて、しないほうがいい。
昼休みになると、たまに図書室へと足を運ぶことがある。
中学の頃はもっと頻繁に訪れていたんだが、高校に上がってからは少しばかり頻度が減った。今までは友人に思えていた小説たちが、今となっては俺を急かしてくるプレッシャーの塊に見えてしまうからだ。
平成に濫造された2時間サスペンスドラマの原作を、中学の頃は『似たような話を量産しやがって』と心のどこかでバカにしていたが、今となっては尊敬しかない。
あれだけ大量の小説をたったひとりで書き上げるなんて、人間業とは思えない。
俺は廊下を歩きながら、ポケットの中のスマホの存在を意識する――受信ボックスに保存されている編集者からのメールは、もう長いこと開いていない。
重ね重ね、高校生デビューなんてしないほうがいい。
特に処女作でデビューなんてのは最悪だ。
ろくな経験も積まないうちに大人の世界に放り込まれて、分不相応な責任に押しつぶされることになる。
早い話――俺は、2作目が書けていなかった。
1作目が多少なりともマシな出来だったのは単なる偶然で、そこに再現性なんてなかった。俺には才能と呼ばれるものも実力と呼ばれるものもなく、ただ『2作目を書かなければならない』という責任を負わされている、役者不足のガキだった。
それでもやっぱり幸運なんだろうな――2作目を要求されてるっていうだけでも。
何だってそうだ。
他人より恵まれてるなんて言われても、目の前の問題が片付くわけじゃない――『アフリカの子供たちは満足に食べられなくて』なんて説教されても、苦手な食べ物が食べられるようになるわけではないように。
本当は現実逃避して、小説なんて一切触らず、図書室にだって近づかないほうがいいんだろう。
だけどそれもなんだか気が咎めて、『構想を練っています、アイデアを探しています』というポーズを取るためだけに、俺はしばしば図書室に足を運んでいたのだった。
テスト前でもなければ、図書室なんてのは決して人気のスポットじゃない。
今日も閲覧スペースは無人で、無事に独り占めできそうだった。
しかし、だからって図書室すべてが無人なわけじゃない。
貸出カウンターの中を見て、俺はおっと思った。
今日は『無口姫』の当番か。
――図書室の無口姫。
それは男子の間で、こっそりと口さがなく交わされる、その図書委員の女子の密かなあだ名だった。
その声を聞いた人間はいない、なんて大袈裟な噂が流れるくらいの人見知りで、実際、本の貸出をするときの事務的なやり取りでしか俺はその声を聞いたことがない。
言ってしまえば暗くて地味なタイプの女子なのだが、それが『姫』なんて敬称をつけられているのは、やっぱり当然ながらその見た目が理由だった。
肩口で揺れる黒髪のボブカットに、どこか優しげで穏やかな面立ち。
かすかに響く声は鈴が転がるように可愛らしく、男の庇護欲をぐさぐさと刺してくる。
「止之森って暗いよなー(俺には優しいけど)」
「ぼそぼそ喋ってばっかだよなー(俺はちゃんと聞き取れるけど)」
ってな具合に『俺だけは良さをわかってる』と思わせてくるタイプの女子。
それが彼女――
図書室の無口姫という半分悪口のようなあだ名は、男子たちのささやかな独占欲と彼女の魅力への敬意が絶妙にせめぎ合った結果、生まれたものだった。
図書委員の当番は結構ランダムなところがあるらしく、何曜日に止之森がカウンターに現れるのかはわからない。
きっと今、俺がLINEだかインスタだかでこの情報を流したら、素知らぬ顔をした男子どもがわざとらしい口笛を吹きながら続々と集まってくるんだろう。
当然それは俺の望むところではないので、ただ黙ってカウンターの前を通り抜けた。
止之森はカウンターの中で膝の上に本を置き、それに没頭しているようだった。
彼女はなかなかの読書家のようで、男子の中には彼女が読んでいる本を調べ上げ、自分もそれを読んでお近づきのきっかけにしようとしたやつもいるらしいが、結局彼女は恥ずかしがったのか怖がったのか、まともに口をきいてくれなかったという。
そのせいか、彼女は本をカウンターの裏側に隠していたので、何を読んでいるのかはわからなかった。
別に知りたかったわけじゃない。
自然と気になっちまうんだ、電車の中でもどこでも。
とはいえ、じろじろ見ているわけにはいかないので、俺はカウンターの前を離れて本棚のほうに向かった。
今日はSFにするか、ミステリーにするか……そういえばSFの古典名作がどこかの棚にあったような。
そんなことを考えながら、本棚と本棚の間に足を踏み入れようとしたとき、後ろでパタンと本を閉じる音が聞こえた。
振り返ると、止之森がカウンターの上に本を置いて、その表紙を眺めていた。
読み終わったのか?
余韻に浸っているのかもしれない。俺もたまに、ああやって読み終わった本の表紙をしばらく眺めることがある。
なかなかいい本だったらしい。そうなってくると、やっぱりタイトルが気になって――。
あ。
ひやりとしたものが背筋を撫でた。
その表紙には見覚えがあった。
見覚えどころじゃない。タイトルだってはっきりと言える。
――『選択の彼方』。
内容は、パラレルワールドやタイムトラベルといったSF要素を絡めたミステリー。
知ってて当たり前だ。
だってそれは――俺が書いた小説なのだから。
そういえば、と思い出した。
俺が作家デビューをしたことは、学校の知り合いにはほとんど話していない。話したら話したで、なんとなく面倒そうだったからだ。
しかし学校には話を通した。
そしてその流れで、図書室に1冊、出版された本を贈呈した。
もしかして、それで止之森の目に触れたのか。
博覧強記と噂の無口姫だったら、リクエストもないのに図書室に増えた新人作家の小説に興味を持ってもおかしくない……。
俺は居心地が悪くなり、今すぐ図書室を飛び出したい衝動に駆られた。
しかしそれはいかにも不自然な行動だ……。何か適当に本を借りてしまったほうがいい。
俺は本棚にさっと目を巡らせると、目についたタイトルの文庫本を抜き取り、早足でカウンターに向かった。
まだカウンターの上に俺の本を置いて、うっとりと見つめていた止之森は、目の前に立った俺に気づいて、はっと顔を上げる。
「……あっ……か、貸出ですか……?」
無口姫よりもさらに無口に、俺は文庫本を差し出した。
止之森はそれを受け取って、続いて蚊が鳴くような声で言う。
「……あ、あの……生徒証を……」
無言の俺からプレッシャーが出ているのか、止之森はおびえた様子だった。
ちょっと悪い気がするな。さっさと借りて出ていこう。
俺は無言のまま財布から生徒証を取り出して、カウンターの上に差し出す。
止之森はハンディタイプのバーコードリーダーをそれに近づけようとして――
「…………
――と、なぜか、生徒証に書かれている俺の苗字を読み上げて、手を止めた。
なんだ? どうかしたのか?
生徒証の写真と今の人相が違ったのだろうか。いや、そんなことねえよな。イメチェンした記憶はないし。
あと考えられるとしたら、カウンターに置きっぱなしの本の作者が俺だって気づいたとか?
いや、そんなはずないか。本に載ってるのはペンネームだし、本名はどこにも公開してない。まさか俺が『選択の彼方』の著者であることがバレるはずが――
「――あのっ!」
止之森が、聞いたこともない大声で叫びながら、生徒証を差し出した俺の手首をガッと掴んだ。
彼女は俺の顔を食い入るように見上げながら言う。
「もしかして……この本の! 『選択の彼方』の作者さんですか!?」
「…………………………」
……バレてるー……。
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