第3話 田村仁の独り言②

その日、小生は塾終わりに駅前の本屋に行き、漫画の新刊を物色していた。


海賊王を目指す漫画を手に取り、小生も大きな夢を持たねばと思いながら、自分への戒めとして新刊を購入した。


お店を出ると、小生と同じ高校の制服を着た女子達が楽しそうに談笑しながら歩いていた。何とも羨ましいと思う。小生にも友達ができるのだろうか。もしや、小生などのような分際は、一人で高校生活を送る未来が待っているのだろうか。…それも致し方ない。一人でも生きる強さを持たねば。強くなるのだ。今まで、学生生活などずっと一人で生きていたではないか。悲観することなどない。ただ少し、目の前の光景を羨ましく思っただけだ。


まだ高校に入学して一ヵ月も経っていないが、中学を思い返して少し切なくなった。


「ゲホッ」


意識的な咳払いをして、気持ちを整理する。スマートフォンで時間を確認すると、二十時を過ぎている。もうすっかり空が暗い。早く家に帰って母上の愛情の籠った手料理を食さねば。


小生はロータリーに向かい、バス停の列に並んだ。


程なくしてバスが来たので乗り込む。


後方の二人席が空いているので適当に座る。


「扉が閉まりまーす。ご注意くださ…」


「ちょっと!待て!」


ドアが閉まる寸前、ドタドタと大きな足音を立てながらスーツ姿の男が乗り込んできた。


上半身を閉まるドアに無理やりねじ込み、運転手にドアを開けさせた。


「かけ込み乗車はご遠慮ください」


小さい声で「ちっ。うるせーな…」と言ったのを小生は聞き逃さなかった。


ん。よく見ると顔が赤らんでいる。そう言えば、なんか臭い。父上がよく嗜んでいるお酒と同じ匂いだ。


男はチラッと社内を見回した後、まっすぐに後ろの二人席に座った。


小生は目を疑った。なんとその席の窓側には、既に女性が座っている。小生と同じ高校の制服を着た所持だ。二人掛けの席の窓際に女子、通路側に酔っ払いという構図だ。


他にいくらでも座れる席はあるにも関わらず、態々そこに座るとは、なんと気味の悪い男なのか。


ちなみに小生は二つ後ろの席に一人で座っている。


小生しか感じていないかもしれないが、何だか嫌な空気だ。


もし、万が一、億が一でも、目の前でセクハラでも受けようものなら、ここは小生が立ち上がらなければならないだろう。そのときは、この不届き物を、小生の右手の鉄槌でぎゃふんと言わさなければ。


バスが走りだして暫くして、男はすぐに動き出した。


「君、女子高生?名前は?」


「…」


「どこの高校?俺もここら辺の高校に通ってたんよ」


「…」


「これから帰り?お腹空いてたら、美味しいご飯ごちそうしてあげるよ?」


「…」


「おーい。無視しないでさ。下ばっかり見てないで、人の顔ぐらい見なよ」


「は、離して下さい!」


肩に置かれた手が振り払われ、酔っ払い膝に置いた鞄が落ちて中身が散乱した。


「うわー最悪」


「ご、ごめんなさい」


「めちゃくちゃ散らばってんじゃん」


男が不貞腐れた様子で散乱した鞄の中身を拾う。運転手も流石にこの状況で「走行中に席を立たないで下さい」なんてことは言わなかった。


「え、何?君、ちょっと失礼じゃない?」


「す、す、すいません…」


「うわー。なんか手首痛いわ。捻ったかな…。君さ、ちょっと次降りてよ。話ししようよ。なんか手首凄い痛いんだけど」


こんな絡まれかたをしたら怖すぎるではないか。まるでドラマや漫画で見る光景だ。よく見ると、絡まれている子の肩が震えている。今小生には彼女の気持ちが痛いほどよくわかる。なぜなら、小生も恐怖で震えているからだ。


だが、ここは日本男児として立ち上がらなければならない。


父上からはよく「男たるもの、身を挺して女性を守れ!」と言われて育ってきた。大和魂だ。目の前の理不尽を許してはならない。


そうだ。明らかにこれは理不尽だ。


覚悟を決めて小生は立ち上がった。


「次、降りてもらうよ」


「そんな…」


「はいー!兄ちゃん!ちょっとその手離してやー」


なんだ?声のする方を見ると、一番後方の席の端っこに、来栖さんが座っていた。何たる偶然。全く気が付かなかったが、来栖さんと同じバスに乗車していたのか。


彼女の手に握られたスマートフォンのカメラのレンズが、真っ直ぐ酔っ払いに向いている。


それを見て、男がたじろぐ。


「お、おい。動画撮ってるのか?盗撮だぞ!」


「お兄ちゃん。あかんよ。酔っぱらってるからって、女の子に絡むのはどうなん?その子が何したん?あんたが勝手にその子の肩に手を置いて、それを振り払っただけでケガしたん?あんた、どんだけ身体弱いん?そんなしょうもないこと、止めた方がええで。言っとくけど、ぜーーんぶ動画撮ってるで。あんたがこんなに席が空いてる中、態々その子の横に座ってから、ずーーーーっと動画撮ってるねんからな。申し訳ないけど、随分酔っぱらってるし、鼻の下伸びてたから念のためにね。この動画、警察に届けたらどうなるやろ」


「警察って。そんな大袈裟なことを…」


男がトーンダウンする。


「その子から離れてくれへん?嫌がってるやん」


「分かった。分かったから。もう撮るなって。やめろ」


ちょうどバス停に停車した。だが、降りる人も乗り込む人もいない。


「お客さん。スーツの。立ってるお客さん。ここで降りて下さい」


「降りるって、ここ何処だよ?」


「他の乗客の方に絡むのは止めて下さい。目に余ります。ここで降りて頂けないなら、警察を呼びます」


「…」


男は来栖さんをじっと見る。来栖さんに何か言いたげだ。


ここで、何故かここで小生の体が自然と動き、気が付くと小生は男の前に立っていた。


「何だよ?」


「は、早く、降りてください」


「何でお前にそんなこと言われないといけないんだ。俺はあの女に…」


「は!早く!小生は早く家に帰りたいのであります!!!」


大きな声を出してしまった。


「お客さん。本当に、警察呼びますね?」


「…」


男は無言のまま、ゆっくりとバスを降りた。


「扉、しめます」


扉が閉まる。そして、ゆっくりとバスが動き出す。社内に安堵の空気が流れたが、来栖さんはそれをイに返さない様子で窓を開けて身を乗り出す。一見落着なのに、来栖さんは何をしているのか?


「おーい!村田潤平さーん」


男が振り向いた。驚いた顔をしている。


「山川銀行。第三営業本部。都市マーケティング課。主任の村田潤平さーん」


来栖さんは手に持った名刺を読み上げる。さっき、荷物が散乱したときに落ちたのだろう。でも、いつの間に拾ったのだ。


「お客さん。危ないから座って下さい」


「はい。すいません」


意外とそこは素直な来栖さん。直ぐに窓を閉めて座りなおした。


窓から後ろを見ると、男が必死に走ってくるのが見えたが、どんどんと小さくなっていき、やがて足をもつらせて派手にこけていた。


小生は小さく手を振った。


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