セミナー

伊藤沃雪

穴のなかの穴のなかの穴

 じっと穴を見下ろしている。

 昼下がりの我が家で、ご近所の皆さんと懇親会を行っている。地方の小さな街へ越してきた私達は、この地域の人達に暖かく迎えてもらえた。始めは戸惑うばかりだった私、娘も、いまはこうして歓待する側が務まるほどになった。

 住人の年齢層は高齢の方が四割、子育て世帯が三割、独身の人達が三割、といった具合であり、かなりバランスが整っている。最低限をこなしていれば、厄介なしがらみに巻き込まれもしない。住めば都とはこのことだ。

 そう、最低限。

 

 私が見つめている先で、近隣に住む男性達がスコップを手に、穴を掘り下げている。ジュースの入ったコップを片手に歓談している奥様方や、走り回っている子供達を叱る声や、そんな喧噪が別世界のことのように、この部屋だけは静まり返っている。

 ざく……ざく……ざく、ざく。

 我が家のリビングの二間隣に、穴がある。穴のための部屋で、穴を掘ってくれている皆さんと、穴を見ている。



 

 

「ここなにー?」

「ふふ、ここは来年から済むお家だぞ!」

「えっ、新しいおうち?」

「そうだぞー、新しいお家だ、愛海!」

 拓也が娘の愛海まなみをだっこしながら言うと、愛海は無邪気に高い声で笑った。

 結婚して、娘の愛海が生まれてから十年。

 私は、多忙な拓也を支えるために専業主婦をしている。新築を建てる話はとんとん拍子に進んだ。拓也の勤め先へのアクセスもよく、子育てに関する行政の支援が豊富にある地域。新しい生活を始める地へと決めるのに、そう時間はかからなかった。

 地域密着型の建築業者さんとやり取りし、夢のマイホームは今まさに形を持とうとしている段階だった。


「あ、こんにちは。瀬川さんのご家族ですか?」

「あっ、そうです! お世話になっております〜!!」

 作業を進めている最中だった職長さんが、こちらを見つけて声をかけてくれる。営業マンをしている夫がすかさず用の声色に変わり、愛想良く挨拶をした。

「どうもどうも、お世話に……ああ、ご主人、こんな所でなんですが一つご相談が……」

「はい? なんでしょう」

「このお宅ですがね、〝穴〟の部屋が見当たりませんが宜しいので?」

「……は? 穴……って?」

 職長さんが聞いてきた内容に、拓哉が腰を低くしたまま首を傾げた。

 私も何のことか全然分からなかった。

 〝穴〟って、なんだろう。


 職長さんは何も言わない。答えを教えようとする素振りもなく、ただ、じっと待っている。

「……え〜と……大丈夫です! ひとまず、先日お願いした設計通りにお願いします」

「そうですか、では進めていきますね」

「はい!」

 拓也はぎこちない喋り方で職長さんへ伝えた。絶対、意味は分かっていないけれど、職長さんの機嫌を損ねて家の建造に悪影響が出たらたまらないから、無難に進めてもらおうとしたのだろう。

 職長さんは結局、どういう意味なのか教えてはくれなかった。どこか熱に浮かされたような表情のまま、作業中である新築の骨組みの中へと戻っていった。



 こうして、新たな土地で新たな我が家は完成した。

 キッチンダイニングとリビング、子供部屋が二つと拓也の仕事部屋、私の部屋、寝室。あとは玄関と浴室と風呂、クローゼットや納戸。要るところだけ確保したような小さな家だが、私達には充分すぎるほどだ。

 荷物を解いて、引っ越し祝いの蕎麦を食べて。土日が終わると拓也は仕事に出ていき、私は愛海と一緒に荷物の片付けを進めた。実質一人で片付けと家事、愛海の相手をこなさなければならないので、疲労していた。やらなければならない作業が山積していた。

 私は愛海とともに家の周辺、つまりご近所の方々に挨拶へうかがった。都会と違って、地方では人間関係が重要になるよ、と友人達からアドバイスを貰っていた。

「こんにちは、突然失礼します。先日越してきました、瀬川と申します」

「あらあら! あの新しいお家の方でしょう。わざわざすみませんねえ……ちょうどお茶にするところだったのよ、良かったら上がっていかれない?」

 お隣にあるのは年配のご夫婦のお宅で、昼間は基本的に奥様の千代子さんだけがいるようだった。私達は千代子さんのご厚意に与って上がらせていただき、お茶とお菓子をご馳走になった。柳さんのお宅は我が家より一回り大きく、客間が和室になっている。畳に不慣れな愛海があたふたしていたが、千代子さんの方から声をかけ、教えてやってくれた。

 お茶をしながらお話させていただいて、私はとても安心する。千代子さんはとても常識的で教養があって、偏見や差別を持たない方だ。愛海に対しても下手に叱ったりせず、微笑みながら相手をしてくださった。

「実はね、息子と娘がいるのだけれど、もうどっちも子供がいるからねえ。孫を連れて帰ってくることも多いから、もう慣れっこなのよ」

 ほほ、と上品に笑い声を立てながら千代子さんが言う。

 素敵な方だな、と思う。愛海も同じように感じたらしく、祖母に触れるときのように千代子さんに懐いている。


「千代子さん、あの、ところでなんですが……」

「はいはい、どうかしたかしら?」

「あの……その、〝穴〟って、何ですか?」


 私は千代子さんの背後、客間と襖を隔てて続いているもう一室の和室、そこに空いている大きな〝穴〟を指差して言った。中央にあるので囲炉裏や炬燵のためのものかとも思ったが、異様なのだ。あまりにも大きすぎる。人がすっぽり三、四人は入れそうな直径である。

 千代子さんは何も言わない。

 上品で愛想の良い、笑顔を張り付けているだけ。彼女のことが初めて、人形のように見えた。


「今度、セミナーがあるのよね」

「……せ、セミナーですか?」

 さも自然だという態度で、千代子さんは話題を変える。

「気楽なものなのよ。この辺り……私の家とか瀬川さんのお宅まわりのね、ご近所さんで集まって。お菓子やジュースをつまみながらお話するだけよ。お子さんも連れられて来るから、愛海ちゃんにとっても良いと思うわ」

 ねえ?と千代子さんが傍らの愛海へ尋ねる。愛海は千代子さんに安心しきっており、うん!と元気よく返事をした。

 セミナー。千代子さんの説明してくれる内容を聞く限り、参加する意義のあるものに思える。

 けれど、私は彼女の後ろにぽっかりと口を開けた、黒い大穴が恐ろしく、不気味で仕方なかった。

 

 

 次の週、私は愛海を連れてセミナーへ参加していた。

 会場は私達の家から一区画隣の、渡部さんのお宅。リビングにテーブルを寄せ集めて、お菓子や紙コップに入ったジュースが広げられている。集まった人数は十数名ほどで、千代子さんが言っていた通り、ご近所の家庭が集まった小規模なものだった。

 地域の方達はとても親切にしてくださり、愛海も同じ年頃の子供達と仲良くなれたのか、追いかけっこやゲームをして遊んでいる。

「瀬川さんのご主人はお仕事、営業さんでしたっけ? 接待もあるでしょうし、大変でしょう」

「そうですね、夜はいつも遅くて……あの子も寂しくしていたので、今日はとても良かったです」

 渡部さんの奥様が、隣の席に掛けながら話し掛けてくれる。

『セミナー』という言葉の持つイメージからはかなり離れていたが、結果的に参加してみて正解だった。渡部さんも千代子さんのように落ち着いた方で、居心地が良かった。


「さて、じゃあそろそろ取り掛かりましょうか」

 唐突にそう言って、渡部さんが立ち上がった。

 すると、それまで各自和やかに過ごしていた雰囲気が一転、張り詰めたような空気に変わった。会話が止んだ。

 私は内心とても焦って、何が起きたのかと思い、固まってしまう。取り掛かるって、何のことだろう。

 そんな様子を見とがめてか、渡部さんが優しい所作で私の肩を掴んだ。

「瀬川さん、せっかくだから見ていって。あっちの部屋でやるから」

 渡部さんが先程までと変わらない調子で言い、指差した先には、引き戸式になっている三枚の扉があった。彼女がゆっくりと歩いて行く後ろ姿を、私以外の人達も凝視している。

 引き戸が左側にまとめて押しやられると、その奥側に……〝穴〟があった。

 私はひゅっと息を呑んだ。

 千代子さんの家にもあった、客間やリビングの奥に続く、別世界。

 〝穴〟の部屋。

 ここから見ていても、やはり数人がすっぽり入ってしまえそうな大きさでぽっかりと口を開けている様子は、まるで深淵に続いているかのようだ。

 渡部さんが手招きすると、歓談していた地域の人達がテーブルから離れて、〝穴〟の部屋へと向かう。私も彼らの後についていく。途中、不安げな顔をした愛海のもとへ行って、「大丈夫よ」と声をかけた。


 引き戸の奥に進んで、〝穴〟を目の前にした。千代子さんの家のものと同じくらいの大きさだ。

 セミナーに参加していた男性陣三人が、スコップを手にして〝穴〟を掘り進めている。私から見ると底無しのように真っ暗で見えるのだが、どうやらそこまで深くはないようで、普通に内側に立っていた。

 彼らは警察、役場の職員、教師の方だと聞いている。一人は渡部さんのご主人だ。貴重な土日休みに公務員の方も参加するなんて、大事な催しなのだなと思っていたが、も

て本旨はなのだろうか。

 奇怪な光景だった。誰一人口を開かず、ただただじっと、〝穴〟が掘られていくのを見下ろし続けている。

 一体何が起きているのか、誰かに尋ねるのすら憚られた。これを見ていなければいけない、というような同調圧力を感じた。

 数時間ものあいだ、スコップで穴を掘り、それを観察する。一七時になったのをきっかけに、渡部さんがセミナーの終了を宣言し、解散となった。


 帰宅してから、私はさっそくネットで検索した。

 あの気味が悪い行為は、部屋は、〝穴〟とは何なのか。ヒットした検索結果は少なかったが、近しい情報は出てきた。この地域で噂されるカルト宗教に、似通った例があるそうだ。信者達は穴を掘る行為を尊び、新参者に対しての勧誘を行う。

 そして、もしも『穴を掘らなかった』場合……例外なく消息不明になっているということも。


 


「いや、何言ってんだよ?」

 帰宅した拓也に相談すると、ある意味、当然の反応が返ってきた。

「リビングの奥に穴を掘る? どうかしちゃったんじゃないのか」

 ネクタイを外し、ワイシャツを脱ぎながら、拓也は苦笑する。

「でも、本当にあったの。千代子さんの家も、渡部さんの家も。だから、もしものことがあったら……。愛海のためにも、穴を掘らないと」

 ネクタイとワイシャツを預かりつつ、私が不満を隠さずに言うと、拓也はその場で立ち止まった。何だろう、と思って俯いていた視線を持ち上げると、拓也は幽霊でも見るかのような顔でこちらを見ていた。

「本当におかしいぞ、お前……せっかく建てた家に穴を掘るなんてあり得ないだろ!」

 そうやって怒鳴られ、一も二もなく拒絶されてしまう。拓也はどすどすと浴室からリビングへと向かっていく。

 取り残されてしまった私はネクタイとワイシャツを抱えたまま、項垂れるしかなかった。


 その日も、セミナーに呼ばれていた。

 私は愛海を連れて、ご近所の金田さんのお宅へお邪魔している。まだ〝穴〟が始まるまでは時間がある。

 隣には千代子さんの姿があった。前回は不在だったが、都合があったようで数日ぶりに顔を合わせた。

「夫が、反対しているんです。家に〝穴〟を掘るのはありえないって」

 私はどうにもならない心境を吐露し、千代子さんに訴えた。〝穴〟のせいで愛海に危機が迫っているなら、手をこまねいてはいられないのに。

 千代子さんはうんうん、と深く頷いてから口を開く。

「私の夫も同じだったわ。まずは、ご主人にもセミナーに参加してもらうのが一番ね」

「主人にも?」

「ええ。実際に目で見ないと、どういうものなのか想像がつかないでしょう?」

 確かに、千代子さんの言う通りだった。

 ただ穴を掘るのだと言われるだけでは、無意味、酔狂だと思えるだろう。けれどもセミナーに参加して、目の前で男性方が懸命に掘っている様子を見ていると、ちゃんと地域に必要なものだと分かるのだ。

 そう、私も少しずつ理解し始めていた。〝穴〟を掘ることが、この人達と付き合っていくためには不可欠であると。


 次の土曜日、私は渡部さんのお宅で行われるセミナーに拓也と愛海を連れ立って参加した。

 拓也は持ち前の営業スマイルでご近所の皆さんと交流をしている。元々、誰かと交流するのは好きな人間なので、角が立つような真似はしないはず。その様子を見守りながら、私は胸をなで下ろしていた。

 和やかに懇親会が進んでいき、そろそろかな、というタイミングで渡部さんが立ち上がった。

「では、そろそろお願いします」

 彼女の声かけを合図に、会話が止んだ。初めて参加したときの私と同じように、拓也が驚いた顔できょろきょろと見回している。私は拓也の背を軽く叩き、囁くようにして声を掛けた。

「ねえ、拓也もやってくれない? 〝穴〟をやる頃だから」

「は? 穴を……何だって?」

「掘るのよ。こっち来て」

 狼狽える拓也の手を引き、渡部さんが寄せた引き戸の奥に続く〝穴〟の部屋に向かう。

 すでに渡部さんのご主人と、もう一名男性が、スコップを片手に〝穴〟の中に立っている。私は部屋の隅に置かれているスコップと軍手、長靴を拓也に手渡す。

「ちょ、おい、お前……」

「さ、早く履いて。難しいことないわよ、ただ普通に掘るだけだから」

 私が促すと、渋々といった様子で拓也が長靴と軍手を身につけ、穴の中へと降りる。穴の中で待っていた男性二人が軽く頷き、緩慢な動作でスコップを差し、穴を掘り始めた。

 拓也もたじろぎながらスコップを差し、動かし始める。

 そこからは、いつも通りだ。数時間程度、穴を掘り続けて、皆でそれを見守るのである。

 

「……なあ、おい。もう帰るぞ!」

 しかし、その流れを打ち破ったのは、〝穴〟を理解したかに思われた、拓也だった。穴から這い出てスコップを放り捨てた彼は、私の手を引き、それから遠巻きに見守っていた愛海を拾い上げて、渡部さんの家から出て行く。

「な、なにしてるの、拓也……?」

「何してるのはあっちだろ! あいつら、お前達を意味分かんない行事に連れ込みやがって……!」

 急に引っ張りだされて動揺するうち、渡部さんの家からはかなり離れてしまっていた。どうにかこうにか引き留めようとしたが、拓也は怒り心頭といった様子で聞く耳を持たない。

「やめて、戻って! 拓也、穴を掘らなかったらあなたが……!」

「この前の消息不明ってやつか? そんなワケがないだろ! あいつらカルト宗教か何かだな、絶対訴えてやる……!」

 拓也はセミナーに参加して、〝穴〟に関する行為をいっそう嫌悪してしまったようだ。

 家に戻ってからも、彼はしきりに地域への不満を口にし、落ち着きなく動き回り、弁護士の面談予約をつけた。カルトを必ず追い出してやるから、と意気込んでいた。



 その翌日、拓也は会社への通勤中に消息を絶った。

 車通勤だというのに、車も、死体も見つからなかった。会社まで辿り着けず、まるでどこかへ連れ去られてしまったかのように、暗中へと消え失せてしまったのだ。


 


 ……じっと〝穴〟を見下ろしている。

 拓也が行方不明になってから、我が家にも〝穴〟の部屋を作ることになった。今、〝穴〟を掘っている部屋が、元々は拓也の仕事部屋だった場所だ。

 私と愛海は地域に馴染み、いよいよセミナーを開催する立場になった。地方の片田舎といえるこの町では、何をするにも人出がかかる。地域の住民同士が協力していくのが、、必要なのだ。


「……何なんだよこれ! も、もうやっていられるか!」

 その時、〝穴〟の中で作業を進めていた青年が喚いて、穴から這い出してきた。彼は最近、この地域に越してきたばかりの新入りさんだ。数年前には自分も同じ立場であったことを思い出して、ふと懐かしい心地になる。

 ともに〝穴〟の作業を見守っていた皆さんに視線を巡らせ、頷く。青年は我が家から逃げようとしたところを皆さんに引き留められ、穴の中へと引き摺り戻される。

「おい、何すんだよっやめろ! やめろっ、やめてくれえええ……!!」

 青年は恐怖に顔を引き攣らせ、喉を引き絞られるような叫び声をあげる。この部屋にいる人達はもちろん、二間隣のリビングで遊んでいる子供達、見守り役の奥様方も、助けを求める声にはまるで気付かない。穏やかな交流会が続けられている。


「たすけて、たすけてくれえええ!!」

 

〝穴〟はいまや深淵を、底が見えないほどの暗闇を湛え、大きく口を開けている。

 私は皆さんと協力して、逃げようとする青年を、暗く深い穴の底へと放り込んだ。

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セミナー 伊藤沃雪 @yousetsu

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