第9話

マニラでは街頭にJUSの広告があふれ、人々が手を振っていた。

「新しい時代が来る!」

だが同時に、学校の教科書から現地語は消え、JUS式教材が配布された。

「我々の子供に歴史を忘れさせる気か……」

教師の嘆きは封じ込められ、ニュースには笑顔の子供しか映らなかった。


ジャカルタでは抗議デモが起きた。

「雇用が奪われる!」

「通貨が紙屑になった!」

JUSは現地通貨を廃止し、自社クレジットに切り替えた。

生活費を払えなくなった人々は路上に座り込み、未来を失っていった。


その中で、買収を拒否した企業もあった。

「文化を守る。我々は屈しない」

彼らは会見を開き、JUSの進出を公然と非難した。

だが翌日、その企業のシステムは一斉にダウンし、資金はすべて凍結された。

役員たちは姿を消し、オフィスは封鎖された。

社員たちは散り散りになり、誰も行方を知らなかった。


抗議活動を続けた学生団体もあった。

「JUSは侵略者だ!」

街頭でプラカードを掲げていた彼らは、翌朝には姿を消していた。

ニュースでは「治安維持のため解散」とだけ報じられ、詳細は語られなかった。

人々は恐怖に口をつぐみ、次第に沈黙が広がっていった。



「環太平洋の経済圏は、完全に我々のものだ!」

幹部たちの声に、社員たちは歓声を上げ、机を叩いた。

跳ね上がる数字がフロアを照らし、未来に酔いしれる空気が社内を満たした。


僕もその渦の中にいた。

光の声はもはや遠く、耳に届くことはなかった。

「これは搾取だ。文化の死だ」――彼がそう叫んでいたかもしれない。

 

だが僕には、勝利と麗奈の笑みしか見えていなかった。



朝の光が都市を染めていた。

ガラス張りの高層ビル群は金色にきらめき、湾岸の海は鏡のように静かに輝いていた。

風は澄み、空はどこまでも高く、白い飛行雲が一直線に伸びていた。

その景色は、未来が約束されているかのように清らかで、美しかった。


「次の大規模事業がうまく成功すれば、JUSの勝利は揺るがないものになる」

 会議室に幹部の声が響いた。


「太平洋の覇権は完全に我々のものになる!」

社員たちは拍手で応え、グラフが天井へ突き抜けるように伸びる未来が確かに見える。


僕はその熱の中で、麗奈を見つめた。

「なあ……この勝利を掴んだら、俺たちは一緒になろう」

心臓の鼓動に突き動かされるように、言葉は自然にこぼれた。


麗奈は少し驚いた顔をした後、静かに微笑んだ。

「ええ……必ず勝つもの。だから、その先で」

その瞳に映る光は、未来そのものに思えた。

俺は完全に、狂気の支配する世界に踏み込んでいた。


東洋社長は立ち上がり、重々しく告げた。

「この大規模事業案件は、南雲部長に全権を委任する。AIの戦略は盤石だ。実行せよ!」


南雲部長は短く頷いた。

「承知しました」

JUSの未来を託された実感と同時に、失敗はJUSの崩壊を意味することを覚悟した。


――その瞬間、窓の外に黒雲が広がった。

朝日を浴びて輝いていた湾岸の海は、いつの間にか鉛色に変わっていた。

カラスが群れを成して飛び立ち、都市の屋根をかすめながら遠ざかっていった。

それはまるで、これから訪れる破滅を告げる合図のようだった。

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