第8話
僕もその中にいた。
胸の鼓動が早鐘のように鳴り、視界が赤く染まっていくようだった。
何が正しいのか、間違っているのか――そのような思考は頭の片隅にも存在しなかった。
ただ叫び、ただ叩き、ただ笑う。
「見た? これが時代の熱よ」
耳元で麗奈の声がした。
振り返ると、彼女の顔は近く、赤いリップの光が眩しかった。
香水の甘い香りが頭を痺れさせ、僕は思わず息を呑んだ。
「私たち、勝者になるのよ」
彼女の瞳は炎のようで、その光に吸い込まれそうだった。
気づけば僕は彼女の肩を抱いていた。
周囲の歓声と拍手の中で、二人の距離は一気に溶けていった。
欲望に呑まれる。
その瞬間、世界は麗奈と僕だけのものだった。
光が遠くで何かを叫んでいた気がする。
だが僕の耳には、もう届かなかった。
熱狂の渦の中で、僕はただ麗奈の笑顔に酔いしれていた。
未来も理想も、罪も正義も、どうでもよかった。
欲望がすべてを覆い隠し、僕の視界は完全に閉ざされた瞬間だった。
その日、全社員に告げられた。
東洋部長が新社長に就任した――。
拡大を掲げ、反対を押し切ってきた彼が、ついに組織の頂点に立ったのだ。
フロアは歓声に包まれ、拍手と叫びが渦を巻いた。
「これでJUSの時代だ!」「もう誰にも止められない!」
新社長の第一声は鋭かった。
「いよいよアメリカを叩く。奇襲で奴らのサプライチェーンを切断しろ!」
視線を受けたのは山園部長だった。
彼は重く頷き、何とも言えぬ表情で命令を実行した。
命令は重要で、もう時間的余地はなかった。
スクリーンに映し出されたのは、AIが弾き出した作戦計画。
《アメリカ西太平洋拠点へのシステム侵入。成功率100%》
赤い文字がフロアを照らし出す。
次の瞬間、息を呑む静寂が広がり――爆発的な歓声に変わった。
「やれる! 一撃でアメリカを止めろ!」
「これで太平洋の流通は我々のものだ!」
今、目の前で経済戦争が始まった瞬間だった。
作戦開始。
スクリーンに映し出されたのは、米国西海岸の巨大な物流ネットワーク。
サーバー群が次々にブラックアウトし、港湾管理システムが沈黙した。
クレーンは動きを止め、積荷は宙吊りのまま固まり、トラックはルートを失って市街地で立ち往生した。
「システム全停止!」
「アメリカの港湾が止まった!」
同時にニューヨーク市場の映像が流れた。
株価は暴落し、メディアは速報を叫び続けていた。
「全米の物流が停止! JUSのサイバー攻撃か!」
「アメリカは受けたことのない打撃を受けた!」
そして、暗転したスクリーンに、アメリカ企業連合のトップが姿を現した。
険しい顔でこちらを見据え、低く怒りを押し殺した声で言い放つ。
「JUSはこの日を、永遠に記録すべきだ。
卑劣な奇襲を行った貴様らに、我々は容赦しない。
アメリカは一致団結し、全力で叩き潰す!」
その言葉は怒りと憎悪を孕み、世界中へ同時に配信された。
だが、JUSのフロアは沸き立った。
「怖じ気づいているぞ!」
「アメリカの時代は終わった!」
社員たちは抱き合い、涙を流し、机を叩きながら狂ったように叫んだ。
僕も拳を突き上げ、声を張り上げていた。
そのとき、麗奈が僕を引き寄せ、耳元で囁いた。
「見える? これが始まりよ。これからも勝利は続くわ。私たちが一緒なら」
赤いリップが光を弾き、瞳は燃えるように輝いていた。
僕は狂気に似た得体の知れない表情で、ただ彼女を抱き寄せるようにしていた。
ただ一人、光だけが沈黙していた、スクリーンを見つめ、小さく呟いた。
「……もう引き返せない。終わりの合図だ」
最初の大規模奇襲の成功は、JUSを止められない勢いへと変えた。
AIの指令に従うだけで、太平洋の要衝は次々と手中に収まっていった。
シンガポールでは、大手財閥がJUSを歓迎した。
「我々の市場は、あなた方と共に拡大する」
調印式で現地幹部は笑顔を見せ、握手を交わした。
スクリーンには祝賀の映像が流れ、社員たちは拍手で応えた。
だが裏では、人員削減の通知が出されていた。
何十年も働いた社員が「JUS基準に合わない」と切り捨てられ、ロビーで頭を抱えていた。
それは、ここだけの話しではなかった。
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