第2話


その日の空は曇っていた。

灰色の光がオフィスのガラスにまとわりつき、街並みもくすんで見えた。

桜はまだ枝に残っていたが、鮮やかさはなく、風に揺れるたびに散りかけている。


フロアでは、VR会議の準備が進んでいた。

社員たちはヘッドセットや端末を抱え、慌ただしく動いている。

「今日は今後を占う重要なグローバル会議になる」

そんな声が自然に聞こえてきた。


僕は窓際に立ち、社員証を見下ろした。

「JUS」のロゴは、曇天を映して頼りなく揺らいでいた。


VR会議室に入ると、光の円卓が浮かび上がった。

各国の幹部たちのホログラムが整列し、その表情だけで空気が硬直していた。


欧米の代表たちは椅子に深く腰をかけ、腕を組み、見下すような余裕を漂わせていた。

その視線は、対等な同僚に向けるものではなく、あくまで従属を前提にした目だった。


対照的に、アジアやアフリカの新興国の支社長たちは、半数以上が前のめりに頷いていた。

「これこそが正義だ」と言わんばかりの真剣な眼差し。

だが彼らの熱は、まだ場の力を覆すほどには強くなかった。


CEOが立ち上がり、声を張った。

「JUSは、世界とともに未来を築きたい。

 国による差別をなくし、すべての国が平等にチャンスを得る社会を――」

僕は、至極当然の発言に思えた。


新興国の代表が拍手を送った。

すぐに複数の国から賛同の拍手が重なり、円卓に熱が広がろうとした、その時。


欧米の幹部のひとりが、冷たく言い放った。

「対等? 我々が君たちと同じ舞台に立つとでも?」


別の幹部が鼻で笑う。

「歴史も技術も持たない者に、同じ権利を与えれば混乱するだけだ」


さらに一人が口を挟んだ。

「市場は血統と文化の上に成り立つ。君たちがそれを持っているのか?」


新興国の幹部たちは言葉を失い、拍手は一瞬で途絶えた。

場の空気を支配するのは、嘲りを含んだ笑い声と、拒絶の沈黙だった。


提案は、議論され、投票では賛成が反対を上回ったが

議長国であったアメリカの一声、中止という名の反対で否決された。


僕は拳を握りしめ、胸の奥が熱くなるのを感じた。

正しい言葉が、どうしてここまで踏みにじられるのか。

あの言葉を口にした連中が、未来を名乗る権利を持っているのか。


隣で麗奈先輩が静かに呟いた。

「ね、これが“世界”なのよ。変わらないの」


その声は、曇天の空をさらに暗く落とした。


会議はあっけなく終わった。

ホログラムが次々と消え、光の円卓も薄れていく。

残されたのは、冷たい沈黙だけだった。


フロアのあちこちで社員たちが小声で語り合っていた。

 「やっぱり無理だったか……」

 「でも新興国の多数は日本の発言を支持していたぞ」

 そんな言葉が飛び交うが、誰も声を張り上げようとはしなかった。

 否決の重さは、それほどまでに明白だった。


僕は窓際に立ち、曇ったガラス越しに街を見下ろした。

桜は枝先から散り始め、花弁は灰色の空に溶けるように舞っていた。

湾岸の水は光を失い、ただ濁った鏡のように沈んでいる。


拳を握る。

正しい言葉がなぜ届かないのか。

好意的に聞いてくれた人たちでさえ、なぜあの冷笑の前では黙らざるを得ないのか。


背後で麗奈先輩が小さく笑った。

「正義なんて、力がなきゃ誰も聞いてくれないのよ」


その言葉は、静かに胸に刺さった。

オフィスに満ちる沈黙は、祝祭の余韻ではなかった。

それは、曇天のように重く垂れこめる――不穏な幕開けの気配だった。

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