人はまた昇り くり返す
@JAPAN-NAPAJ
第1話
―ピピピピッ。
スマホのアラームが鳴り響く。
僕は手探りで画面をスワイプし、また布団に潜り込んだ。
「初日だから早めに寝よう」と思っていたはずなのに、昨夜は結局SNSのタイムラ インを眺めながら夜更かし。
流れてくる広告や「未来を信じろ」のスローガンをぼんやり眺めているうちに。
「……もうちょい、寝れる……ガガガッ……ピピー……」
その“もうちょい”が、地球の自転で言えば一周くらい回っていたらしい。
次に目を開けたとき、外はすっかり朝の光に満ちていた。
スマホを見る。
入社式まで、残り三十分。
「やっべえええ!」
布団を蹴って飛び起きる。
けれど頭の奥はまだ寝ぼけていて、重い。体も鉛のようにだるい。
「遅刻してクビになっても……別にいいんじゃないか」なんて、一瞬よぎる。
でも次の瞬間には、反射的にスーツを掴んでいた。
ズボンを片足で履こうとしてバランスを崩し、壁に激突。
ネクタイはポケットに突っ込んだまま、靴下は左右で柄が違う。
「まあ、気づかれないだろ」
鏡を見ると、寝癖が派手に跳ねていた。直す気力は湧かない。
むしろ「これも初々しさだ」と勝手に理屈をつけて、玄関を飛び出した。
街はすでに祝祭めいていた。
桜の花びらが舞い、ホログラム広告が空を覆う。
人々は笑顔でJUSのガラス塔へと向かう。
僕は全力で走りながら、だるい頭で考えた。
「入社初日に寝坊するやつなんて、逆に目立って出世するんじゃ……?」
しかし、スマホの通知が冷酷に響く。
《全社員ストリーミング入社式開始まであと五分》
「……いや、終わったな」
思わず苦笑いがこぼれた。
だるさと焦りと、どうしようもない滑稽さを抱えたまま、
僕は光の街に駆け込んでった。
昼休み、僕はひとりでコンビニのサンドイッチを抱え、所在なげにオフィスの片隅で立ち尽くしていた。
すると背後から、明るい声が飛んできた。
「新人くん、こっちこっち」
振り向くと、入社式の受付をしていた麗奈先輩が、片手にランチボックスを持ち、ガラスのドアを押さえていた。
「思いっきり遅刻してたね。せっかくだから、テラスで一緒に食べようよ」
案内されたテラスは、都市を見下ろす高さにあった。
ガラス張りの床越しに、きらめく湾岸が広がっている。
水面は昼の光を反射して銀色に揺れ、ホログラム広告の色彩がその上に映り込んでいた。
青空はどこまでも澄み渡り、遠くの桜並木がまだ花を散らしていた。
麗奈先輩はベンチに腰を下ろし、笑顔で弁当を広げた。
赤いリップが光を受けて艶やかに映える。香水の甘い香りが風に乗って漂ってきて、僕は少し緊張した。
「どう? この景色。日本中どこを探しても、こんな眩しいオフィスはないよ」
「……すごいですね」と僕は言った。だが言葉は頼りなく、声が風にさらわれそうだった。
麗奈は続けた。
「JUSはね、今や日本をリードする企業。
VR会議ひとつ開けば、国内はもちろん、アジア企業の一部も一斉に頭を下げる。
私たちは未来そのものを作ってるんだよ」
彼女の言葉は、まるで春風のように熱を帯びていた。
都市のネオンも、湾岸の光も、すべてが彼女の言葉に呼応するように輝きを増す。
僕はサンドイッチの味も分からぬまま、ただ景色と声に酔っていた。
――本当に、これが僕の未来なのだろうか。
ほんの一瞬、そんな問いが胸をかすめた。
しかし、桜の花びらが風に舞い上がり、光とともに視界を覆ったとき、その小さな疑問は消えていった。
午後、ホールの巨大スクリーンにCEOの姿が浮かび上がった。
社員たちは立ち上がり、控えめな拍手が広がる。
熱狂というほどではない。ただ、確かに会社が緩やかに大きくなっている――そんな空気だった。
ガラス越しに広がる空は快晴で、湾岸は柔らかい光を返していた。
桜の花はまだ散り残り、都市の輪郭を淡い色に染めている。
静かな繁栄の象徴のような風景だった。
CEOは落ち着いた声で語った。
「JUS―ジャパンユニバーサルシステム―はいつか世界と肩を並べる。全社員の力で、未来を拓く――」
ホールに頷く仕草が連なった。
その中で、スクリーンに映った海外支社の幹部たちは、どこか固い笑みを浮かべていた。
無表情の欧米幹部、ぎこちないアジア支社長。その温度差が、僕には不思議な影を落として見えた。
隣で、麗奈先輩が小声で囁いた。
「見て。海外の反応、あまり良くないでしょ。……貿易摩擦の一端になることを恐れてるのよ」
僕は答えられず、ただ拍手を続けた。
そのとき、少し離れた席にいたどこかクールで頭の回転が早そうな
同期の光が、ぼそりと呟くのが耳に届いた。
「……見えている景色にズレが現れている。危ない状況なのかもしれない」
その声に僕の背筋がわずかに冷えたが、そもそも僕は麗奈先輩も光も何を言っているか理解できなかった。
祝祭のような拍手はまだ響いていたが、それはどこか――不穏な幕開けを告げているように思えた
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