プロローグ_2
――生活経済課特殊案件相談係
少女が鼻歌を歌う。
その音色は楽しげで、場違いなほどに軽やかだった。ページを繰る指先も同じく。細く美しい指先が軽やかに、正確に、迷いなく、規則的にリズムを刻む。
彼女が眺めるのは、九条たちが収集する日本各地の不審死リスト。何時の間にか、それは「禁死録」と呼ばれるようになっていた。冗談めかして誰かが口にした名は、記録が折り重なるに連れてソレ自体が重く、冷えた空気を纏うようになっていった。まるで呪いの様に。
静寂――
理解し、動かない。その笑えない不審死の元凶が、今ここに来ている。楽しそうに、まるで誇らしげに己の成果を読みふける。その場にいる誰も声を出せず、鼻歌だけが空気を支配していた
「何なんだよ、一体?もう
堪らず、九条が率直な疑問をぶつけた。禁死録をめくる手が、鼻歌が止まった。少女の冷めた目が九条を睨む。背後から様子を伺っていた加賀谷達がヒ、と恐怖を漏らした。
「そうね、あの件は終わり。だけど、個人的に」
と、そこで言葉を区切った少女は禁死録のあるページを九条に見せた。はい、と少女の喉が鈴を鳴らす。
「な、なんだよ?」
「コレ、私達じゃないよ」
「は?」
「はぁ!?」
突拍子もない台詞に九条達は困惑した。混乱する視線が、少女の手が添えられたページをなぞる。
東京都江東区、65歳男性。死因、餓死。発見場所、自宅私室。更に詳細を見る。発見状況には次の内容が記されていた。冷蔵庫内に三日分の備蓄食料を、台所に調理中の痕跡を確認。
「だ、だから僕が……その、生かされた訳でして」
こんなバカげた殺し方、百鬼夜行以外の何が成せるのか。
嘘。その可能性が九条の思考を過る。だが、隣に座る安西が背を縮めながら恐る恐る語る言葉に即断で考えを改めた。この女が嘘をついてまで警察を煙に巻く理由はない。そもそも、少女の力は常識や人知を超えている。と、すれば一体?
「まさか、アンタ」
ややあって、何かに気付いた加賀谷が動揺を吐き出した。そんな場所にいようが少女には関係ないだろう、と九条と安西が揃って特殊案件相談係の入り口から動かない加賀谷達を冷笑した。
「アハハ。そうそう、話が早くて助かるわぁ」
少女が屈託なく笑った。僅か遅れ、九条も気付く。
「つ、つまりですね……こちらの方は我々に捜査協力を申し出ておられる、という事でして」
「って事は、この不審死は?」
「はい。その、人間の仕業……だそうです。信じがたいでしょうけど」
既に少女のスポークスマンと化した安西が九条の続きを引き継いだ。
「そんな馬鹿なッ、だって俺達」
「鑑識としても信じられないと言わざるを得ません」
「そりゃそうよ。だって……呪い殺されたんだから」
少女が無邪気に言い放った。瞬間、空気が凍りつく。
「の、呪い!?」
「要はですね……誰かが意図的に呪殺したと、おっしゃりたい訳ですよ」
安西の震える声に、少女が楽しげに頷いた。
「ですよ……って安西、お前さぁ」
九条が吐き捨てる。が、心のどこかで認めざるを得なかった。百鬼夜行を知る彼が否定しきれる道理はない。
だが、九条達は違う。百鬼夜行という、もはや災害に等しい「とある青年に対してのみ異常なまでに過保護で献身的な怪異の群れ」を原因とする多数の不審死を、何ならその中心となる強力な個体「白い影」も直に見ている。
それに、と九条は改めて安西を観察した。控えめに、酷い身なりだ。頭はボサボサ、スーツはヨレヨレ、シャツも食べかすで汚れている。だが何より、はっきりとすえた臭い。監禁されていたのか、数日以上は風呂に入っていない臭気が鼻を衝く。
「ぼ、僕だって信じてませんでしたよ。でも、目の前で人の首が自然に180度ねじれたんです。見たんですよ、目の前で」
安西が震える声で訴えた。言葉の端にまで恐怖が行き渡っているのがはっきりと分かる。やはりか、と九条達がごちる。監禁中に呪殺の現場を見たとの推測に間違いはなかった。
「まあ、そうだよな。何なら俺達も百鬼夜行を見たし」
加賀谷が短く相槌を打った。
「あッはは、酷いなぁ。この人、何もしてないでしょ?」
少女は笑う。軽やかで、だがどこか遠い。途端に安西が首をブンブンと縦に振ったが、頬の色は引いている。吸い寄せられるように少女を見る瞳には、色濃い恐怖が浮かんでいた。
「いやいや、無関係な奴なら巻き込んでるだろ?少なくとも岐阜県警で一人」
九条が鋭く指摘した。途端に、安西の顔が真っ青になった。
「アイツ等は見境ないから、って言いたいけどアレは恐らく偶然。だけど私は違う。現にホラ、ちゃんと生かしておいたでしょ?」
残酷な台詞を、まるで友達同士の雑談の如く切り出す少女。その言葉が、室内の空気を一気に冷やす。一層血の気が引く安西の椅子の背もたれがギシ、と悲鳴を上げた。
「大丈夫、今回は目的があるから。手伝ってくれるなら問題なしよ」
「も、勿論ですとも」
少女は無邪気に肩をすくめる。安西は一瞬、歓喜の色を滲ませ、次いで顔を引きつらせた。唇を噛む。彼の手がわずかに震えている。コイツ、と数名が冷めた視線を投げかけたが、当然気にもかけない。
「その手伝いってのが、この不審死か?ま、確かにここ最近は西日本で頻発してたのに、これだけ東京だもんな」
「地理的にちょいと怪しいとは思ってたが……まさか、な」
「だけど、なんだってコイツはこんなタイミングに、東京なんかで殺しを?」
九条が引き続き不審死のページをなぞる。指でページを押し、死亡時刻に視線を落とした。僅か数日前の日付が記されていた。
「簡単だろ?木の葉を隠すなら森の中、不審死を隠すなら不審死の中、ってな」
加賀谷が低く呟くと、九条は小さく頷いた。
「かもね。だけど、そんな事より……時間よ」
時間、と切り出した少女がふっと表情を替えた。その一語に、九条の胸の奥で何かが動いた。少女が核心へと切り込んだ、そんな直感。もしこれが本当に人間の仕業なら――曲がりなりにも刑事として勤めてきた経歴が、犯人の思考をなぞる。
「証拠隠滅。つまり、とっとと犯人を見つけないと呪殺に使った何かを処分されると?」
九条の問いに少女は笑って首を傾げた。
「そうね。で、これは直感なんだけど……多分、まだ続くわ」
「何ぃ!?」
九条達が一斉に驚いた。
「何を根拠に?」
「標的が一人だけなら呪いじゃなくたって、他に幾らでも手段あるでしょ?なのに、たった一人に危険な呪いを使った。だから無差別じゃなく、今後も誰かが死ぬ」
正攻法で殺せない理由があるから割に合わない呪いを使った。少女の推測に唸る九条の目が再び禁死録をなぞる。経歴、出身共に平凡で取り立てた特徴は見当たらない。
「普通の思考してりゃあ殺しなんて方法選ばねぇ。だが、それでも殺したって事ぁ怨恨か?何かがあって鬱屈していた殺意が爆発した。でも、それだけじゃあ」
「で、本題な訳よ」
少女がゆっくりと懐から紙を取り出した。弾くような小さな音を伴い、視界に白い紙が泳いだ。何の変哲もない紙。
にこりと笑い、少女は紙を九条の方へ差し出した。そこには――くにがまえの中に「死」と記された一文字が静かに浮いていた。途端に安西の顔が蒼白になった。椅子から跳ね上がり、机の下へ沈んだ。声にならない、かすれた悲鳴が床に広がる。
「オイオイ。で、何これ?」
「その呪殺方法」
「「「おううううい!?」」」
九条と震える安西を除く全員が、一糸乱れぬ動きで特殊案件相談係から逃げ出した。無数の靴音と叫び声が廊下を反響する。
「アハハ。ゴメンゴメン、大丈夫よー」
「ホント、だろうな?」
一目散に逃げだした加賀谷が扉から九条の顔色を伺う。無言で頷く九条。死の気配はない。安堵した加賀谷が額の汗をシャツの裾で拭った。
「そもそも、協力者を殺す訳ないでしょ?」
「協力しないと、ってパターンもあるだろ?」
九条が反論した。少女は目を細め――頭良いネ、と褒めた。固まる加賀谷一同。
相変わらず屈託ない、曇りない笑顔に九条の心は動揺する。少女の美しさ、ではない。この少女は人の命に価値を見出していない。否。ただ一人以外。だから、恐らく――
「かもね」
無言の間に、少女が一言吐き捨てた。心を読まれた。直感した九条の肩が跳ねる。心臓が、恐怖に激しく鼓動する。九条の視界がゆっくりと動く。少女を見て、全てを悟った。腹を括り、重ねて「これが、呪いか?」と問いかけた。少女は笑顔で頷く。
九条は椅子を引き、机に置かれた紙きれを睨んだ。何の変哲もない、白い紙に記された見慣れぬ漢字。
指先で紙の端をつまんだ。墨の黒が微かに揺れ、視界の端が薄く滲んだ――ような錯覚が九条を襲った。僅か数秒だが、世界が遠のいた感覚。九条の背筋を冷たい何かが這い上がる。だが、視界に変化はない。
「こんな漢字、見たことあるか?」
九条が入口に問う。未だその場所から一歩も踏み込まない加賀谷は答えず、安西は震えながら首を横に振った。
「ちなみに、どんな効果だ?」
「数日後、心臓麻痺で死んじゃう」
死を、漢字の効果を平然と言い切る少女。その残忍さに九条は臍を嚙む。僅か残った疑念は、完全に吹き飛んだ。
「だから、これは何の力もないわよ。でも、これが呪殺のやり方」
「レクチャーどうも。なら本物は見た瞬間に?」
九条の答えに少女は笑顔で頷いた。
「だからこその予行演習。で、ここが問題なんだけど……問題の字が分からないのよね」
「分からん、って……そもそも何だよ、この字は?」
「
個人的な理由。その一言に九条は深いため息をついた。つまり、他の「白い影」の助力は期待できない。だからこそ警察に協力を要請し、手土産に安西を引き渡した。
九条の頭が損得を弾く。他の白い影は情けも容赦も持ち合わせていない。一方、目の前の少女はまだ話が通じる。もう一つ、深いため息を落とした九条は要求を呑んだ。
「だが、その前に」
「用意してあるわ、当然でしょ?」
少女が声を弾ませた。対策がある。暗に語った一言に扉の向こうの加賀谷達が一斉に膝から崩れ落ちた。
見た者を問答無用で呪う文字を捜査しろ、となれば嫌でも目にする訳で。誰も彼もが死を覚悟した。捜査に協力すれば禁字に殺され、協力しなければ(恐らく)少女に殺される。八方塞がりと己の運の悪さを呪っていた彼等は今日この日、初めて心底から神に感謝した。
そんな、ともすれば情けない大人たちのあり様に少女は目を細めた。まるで何か言いたげな雰囲気だ。
「まだ、何かサービスしてくれるのか?」
察した九条が半ば投げやりに問う。少女はフフ、と微笑み「不審死を減らす」と口にした。
全員、途端に目を丸くした。出来るなら早くそうして欲しかった、そんな本心を全員が共有する。が、決して口にしない。少女の機嫌を損なう言動に意味などない。
「ま、ちょっとやり過ぎだったしね」
「俺達も助かるが、でも出来るのか?」
「彼に協力してもらえば簡単よ」
渡りに船。とんとん拍子に話が進む中、九条は再び深く思考する。そもそも、この少女が警視庁を訪れた時点で「協力しない」という選択肢など存在しない。拒否すれば、最悪は警視庁内で無数の不審死が起きる。
マスコミもインフルエンサーもここぞとばかり、悪辣に囃し立てるだろう。一方、仮に殺されなくても少女との接点は完全に途切れる。その意味が理解できない訳ではない。
協力すべきだ。置かれた状況、提示された条件をどれだけ勘案しても協力しない理由が見つからない。ただ――もう何度目かのため息と共に少女を見た。控えめに見て美少女。だが外見に心揺れるなど起きない。目だ。その目を見ていると恐怖に震える。
「俺達は」
九条は深く息を吐き、誰にともなく言葉を落とした。腹の底に恐怖を押し込め、加賀谷達を見据えた。これは己にしか出来ないと悟った。死の予兆を視界の歪みという形で見る事が可能な己だけが。少女は九条の特異体質を見抜き、だから彼の元を訪れた。
「これから独自に『呪いで人を殺す人間』を追う。悪いが協力してくれ」
禁字囘録<キンジュ カイロク> ~プロローグ 風見星治 @karaage666
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