I 深夜の輸入業

 人は誰しも間違えることがある。

 俺、伊川諒も間違えた。進む道を。


「さっさと運べボケ新人ども。モタモタすんなあ」


 深夜の港、小型の船に揺られながら指示を飛ばしている男。タバコの煙が夜の闇に溶け込んでいく。

 アレが上司。ロクでもない職場だが、当たり前とも言える。

 なんせここは__


「見つかったらお前らもろとも豚箱行きだからなあ」


 密輸港なのだから。

 俺はその末端。何を運んでいるかすら知らされていない。

 今は1.8mほどの丸みを帯びた直方体を二人で運んでいる。包帯やガムテープのようなものでぐるぐる巻きになっている。

 中身?考えないほうがいい。


「ちょ伊川さん、一旦ストップ。腕が…」


「我慢しろ、止めたらめんどい」


 一緒に運んでいる凪という男が声にならない悲鳴をあげる。


 やっと運び終わり、船が出航していく。まともな免許を持っているようには見えない大陸系のおっさんと、さっきのクソ上司も乗っている。


「ようし、おっけ終わり!2度と戻ってくんなクソ!」


 現場を取り仕切っていたもう一人の上司が笑っていた。

 名前は確か天城。

 この人は優しい。上司というよりは頼れる先輩といったところだ。


「給料渡してなかったね、凪、伊川」


「「はい」」


「今日は頑張ってくれたし、アイツうざかったし、ちょっとオマケしちゃおっかなあ」


 そう言いながら天城さんは懐から封筒を取り出した。

 ぱっと見でわかる。太い。数十万入っている。


「今確認してもらっていいよ」


 封を破り、札を数える。十、二十、三十、四十万。凄まじい金額だ。凪のやつも目を輝かせている。


「で、これオマケ、五万ずつ」


 そう言って自分の財布から、計十万という凄まじい量を当たり前かのように取り出す。

 ほい、と一人一人に手渡しで五万ずつを握らせる。

 四十五万。元々の俺の月給を遥かに超える。


「二人ともよく働いてくれるし、そろそろ昇進も来るんじゃない?」


 不意に天城さんが口を開いた。

 昇進。その言葉は何を意味するんだろうか。というのも、この業界は隠語が蔓延している。放たれた言葉に対して深読みしてしまう癖がついてしまった。


「はい!昇進ってなんスか!」


 凪が元気よく聞いた。こいつの詳しい年齢は知らないが、間違いなく俺よりは年下だ。俺にも可愛がってたこんくらいの後輩がいた気がする。

 ま、こいつと俺は同期なんだが。


「昇進?昇進はねえ、本格的にうちの組織入るってことだよ。んで、俺みたいに現場監督するとか、そんな感じ」


「俺も、天城さんみたいになれるってことっスか!?明日の仕事も頑張れそうっス!」


「ふふ」


 凪、なんでこんな業界に来たんだろうな。犯罪組織って自認はあるんだろうか。


「そいえば、伊川。お前も昇進きたら受けてくれる?」


 にこやかにこちらを向いてくる天城さん。いや、違う。

 目が合った瞬間、背筋が凍った。にこやかに見えた表情の裏が見えた。

 これは同意を求める脅迫だ!


「受けてくれるよね?ん?」


 片目を瞑って見せてくる。残った片目からですらわかる。イエスと答えなければ、間違いなく、俺の身に最悪な出来事が起こる。


「い、イエス!」


「あはは、なんで英語なの」


 天城は笑いながら視線を戻した。既に先程の悍ましい雰囲気は消え、柔らかな雰囲気に戻っていた。


「天城さん!飲み行きません?」


「ええ…どうしようかなあ。俺ね、結構忙しいのよ」


「なんとかお願いしまっス!」


「ふふ、まあいっか。伊川も行く?」


 急に俺に振らないでくれ。


「え…ああ…」


「伊川サンも行きましょーよー!」


 こうして、半ば強引に飲みに連れて行かれるのだった。

 凪に袖を引っ張られながら、灯りがついている世界に戻り始めた。

 別に、この環境は悪いとは思わない。むしろ、元の職場よりは、断然いい。

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